江戸時代のベストセラー・ 貝原益軒の『養生訓』に疲労回復の知恵を学ぶ
人間五十年が当たり前だった江戸初期、長生きの効用を説く健康書の先駆けが生まれた。それが貝原益軒の『養生訓(ようじょうくん)』である。そのなかから、忙しなく日々を過ごす現代人の我々が学ぶべきポイントをまとめた。
取材・文/坂田滋久 イラストレーション/高橋将貴
初出『Tarzan』No.797・2020年10月8日発売
今でこそ「人生100年時代」という言葉を耳にするけど、江戸の昔は40歳にもなれば隠居暮らしとなり、50歳前後で冥土へ旅立つのが当たり前だった。
そんな時代に堂々と「人生五十にいたらざれば血気いまだ定まらず」…人生五十歳に達しないと血気が定まらない(五十歳からが本当の人生だ)と説き、長生きのすすめを説いた革命的な学者がいた。貝原益軒、江戸の超ベストセラー『養生訓』の著者だ。
ただ長生きすればよいわけではない。今日の疲れを明日に残さず、明日は今日よりも元気潑剌、意気軒高であらねばならぬ。そのための術を八巻にわたり、83歳の益軒が書き残した魂の書『養生訓』を読んでみると、これが滅法に面白い。全巻、養生の術のことばかりこれでもかと記してある。
300年以上昔の書物だから、なかには現代の感覚に合わない部分もなくはない。そこも含めて温故知新、味読すれば現代の暮らしに生かせる知恵の宝庫である。
【長生】の知恵。
『養生訓』で貝原益軒は高らかに宣言した。「長生きを保つことは人の力でどうにでもなる。理由があることだから疑ってはいけない」…。
この自信がベストセラーの条件かもしれない。『養生訓』を読んで実行すればカラダは衰えることなく、健康で長生きできる。『ターザン』に先んじること3世紀、「快適なんてカンタンだ!」に近い教えを『養生訓』は説いている。
現代人は体力のピークを概ね20歳ごろと考えるのが常識だが『養生訓』は違う。若者は血気が安定しないからダメであると述べる。50歳から先の人生こそリア充である。教えを守れば誰でも実り多き人生を全うできる。以下の各論を参照されたい。
【快楽】の知恵。
「何事も、一時的に快楽を覚えることは必ず後で災禍となる」と貝原益軒は戒める。ほとんど『養生訓』八巻で述べることはこればかりと思えなくもない。それほど重要な戒めだ。
酒食を欲するままに摂れば、そのときはおいしくてハッピーだが、やがて生活習慣病になるようなものである。はじめに辛抱すれば後で必ず快適になる。野菜が嫌いでも、辛抱して食べていればビタミンが代謝を助けてカラダが強くなり、きっとフィットする。
気ままを抑えて、もっぱら慎むことを益軒老人は推奨する。なんだか田舎の祖父に説教されているようで、うるさいような懐かしいような気がする。
【労働】の知恵。
「常にカラダを動かしていると、気力と血液がよく循環し、食物が詰まらない。これが養生の要術である」…出た! 『養生訓』の核心。すなわち、常にカラダを動かすこと。『ターザン』的に適度な運動という訳になるけれど、『養生訓』の場合は家事労働がメインになる。
家にいるとき、座りっぱなしはよくない。ステイホームなら1時間に一度は立ち上がる。家の中のことは下男・下女を使わないで、できるだけ自分でやる。そうすればアクティブレストになるし、人を使う心労もないので余計な疲れを負わない。
静かにしすぎるとふさがり、動きすぎると疲れる。動も静も度を過ごさず慎むことだ。
【感情】の知恵。
「怒った後ですぐ食事をしてはいけない。また食事の後で怒ってはいけない」…じいちゃん余計なお世話だよと、つい文句を言いたくなる教えである。
さらにお説教は続く。「心配ごとを持ったまま食事をしてはいけないし、食後に心配してもいけない」…現代人は心配の種が尽きないのだから、そんなこと気にしてたらメシ食えないよと、つい思ってしまうけど、貝原益軒は「メシ食うな」とは言ってない。食事の前後は心を静めて、副交感神経優位な状態でおいしくごはんを食べないと栄養にならないと言っている。まあ副交感神経優位とは書いてないが、文脈から判断すると、そういうことなんだろう。
【呼吸】の知恵。
「呼吸をしなければ死ぬ。人の体内にある気は天地の気と同じであって、内と外で通じ合っている」…息をしなければ死ぬのは江戸時代も現代も変わらないけど、カラダの中の気が天地の気と通じ合って同じものだという考え方は、どうも朱子学の理気二元論っぽい。
難しい話になるのかと身構えて先を読むと、「人が天地の気の中にあるのは、魚が水中にいるようなものである」と、何やらカワイイことが書いてあってちょっと楽しい。体内の気は淀んでいるけど、天地の気は澄んでいるので呼吸で気を入れ換えて疲れを払い、常によい気をカラダに循環させることが大切なのである。
【入浴】の知恵。
「昔の人は十日に一度の入浴を習慣にした。まったくもっともなことである」…貝原益軒を含めて、江戸時代のお侍さんはみんな朱子学(儒学)を習うから、孔子の一挙手一投足に至るまで生活の鑑にしがち。『養生訓』の「古人」とは何時代の人か、よくわからないが、二千年ぐらい前の中国の習慣かもしれない。気候風土も違うし、十日に一度の入浴じゃベタベタしそうだけれど、貝原益軒はそれで納得していたらしい。
入浴しすぎると、温気が高まって肌の毛穴が開き、汗が出て気が減ると古人は考えた。基本的にタライに湯を張って入る。現代人の場合は、内風呂に毎日入ってよいのでは?
【防災】の知恵。
これも今と昔で感覚が異なる気がする。「もし激しい風雨やものすごい雷が来たら、夜であろうと必ず起きて、衣服を整えてちゃんと座ること」…えっ、台風とか来たら寝ないで起きてなくちゃいけないのか! すぐ避難できるようにということかもしれない。危険に対処するのも養生のうち。
ちなみに夜通し起きてたからといって昼寝していいかというと、よくないようだ。昼寝どころか、食後に長く安坐してもいけないと『養生訓』には書いてある。横になって寝るなんぞ禁物である。食後は常に300歩ぐらい歩くがよい。ときにもっとずんずん歩くがよい(五六町ほど)と、昼寝には厳しい。
【睡眠】の知恵。
「夜寝るときは、必ず横向きになって脇を下にして寝ること。仰向けに寝てはいけない」…どうして仰向けに寝ちゃダメかというと、気がふさがってうなされることがあるから。さらに、胸に手を置いて仰向けで寝ると悪夢を見ることがよくあるから胸に手を置いて寝ないこと、と貝原益軒は念を押す。
両手の親指を曲げて、他の四指で握って寝ると、手で胸の上をふさがないので夜うなされることがない。そんなことまで、親切にアドバイスしてくれる。どうしてそこまで夜うなされる心配をするのか謎だけど試してみても悪くない。ちなみに、うつ伏せ寝は口からヨダレが垂れるので望ましくないと戒めている。
【飲酒】の知恵。
昼寝にやたら厳しかった貝原益軒だが、飲酒には割合に寛容なスタンスを取る。「少し飲み、ほどほどに酔うのは、酒の禍もないし、酒を味わう趣があって大変よろしい」…酒は天からの贈り物である、とまで言っている。ほどよく飲めば陽の気を助け、血気を和らげて食べ物の消化をよくし、心配ごとを取り去り、興を生じてとても利益になる。寛容というよりベタ誉めに近い。貝原益軒、イケる口とみた。ただし冷酒は好まない。ぬる燗を推奨している。
もちろん飲みすぎは戒めるのだが、四季折々の自然を愛でながら、ゆったりした気分で燗酒を傾け、天地の気をカラダに取り入れるのはOKらしい。
【色慾】の知恵。
「精気を浪費し、元気を減らすのは寿命を縮める元である。恐ろしいことだ」…貝原益軒、性には腰が引けている。とてもセックスを怖がっている。
性交はカラダを疲労させてしまう。養生とは正反対の行為という認識である。老人はとくに脾腎の真気を養い保たねばならないので、性交は控える。ここで益軒が執筆時80代だったことを思い出す。
精を漏らしてよい回数は20代なら4日に一度。30代なら8日に一度。40代は16日に一度で、50代は20日に一度。60代からは射精禁止。どうしても盛んな人は月に1回とする。これを破れば長生きできないとある。色欲方面は、かなり慎んでいる。
【医術】の知恵。
「医術は役に立つものである。医術を専門に学ぶ者でなくても少し学ぶとよい」…専門家になるつもりがなくても、医学の心得は少しあるほうがいいと、貝原益軒は人に勧める。
医学生へのアドバイスも多く記してあるが、よい医者と悪い医者はどこが違うかといった、ジャーナリズム的な記述もある。『養生訓』は健康書の先駆けであると同時に、処世のガイド本といった側面もある。世渡りも養生のうちなのだろう。
そして、医の道を志さなくても新しい知識に触れておくことの大切さを説く。現代ならば、ちょうど『ターザン』を読んで常識のブラッシュアップを図るすすめのようである。
【飲食】の知恵。
「元気は生命の根源である。飲食は生命の養分である」…いよいよ直球でおいでなすった。スピリチュアルな記述が続くかと思えば、さにあらず。飲食について『養生訓』はおびただしい紙幅を割いて、あれを食べろそれは食べるなと指示を出す。その執念のものすごさ、益軒があの時代に84歳まで生きたのは食の力だと実感する。
基本的に、薄味の料理を推奨する。和食の「さしすせそ」が出るかと思ったら、砂糖が登場しない。江戸初期、まだ貴重品だったのかも。労せずして糖分カットの食生活だった。
豆腐を避けよと益軒は言う。食べるなら火を通せと指示する。冷たいものは基本NG。