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“スリップインするだけ™”じゃない!《スケッチャーズ スリップ・インズ》快適学。
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2000年代初頭に大流行した『ビリーズブートキャンプ』に、糖質制限ダイエット、レコーディングダイエットなど、現在もさまざまなダイエット法が考案され続けている。1960年代に熱狂をもたらしたツイッギーに象徴されるように痩身信仰が根強い現代だが、かつて肥満は自慢できることだった。国の発展とともに変化するダイエットの歴史を紐解こう。
「まず運動し、お風呂で休養したら、健康的な栄養を摂りなさい」
そう説くのは、現代の肥満外来のドクターではない。2世紀に活躍した古代ギリシャの医師ガレノス。ダイエットの黄金律を、人類は遥か昔から知っていたのである。でも、ガレノスが相手にしていたのは一部の恵まれた特権階級。庶民には飢餓の危機が身近であり、痩せることを考える余裕はなかった。
肥満は食生活が豊かな証拠であり、富の象徴だった。19世紀のアメリカでは、〈ファットマンズクラブ〉が各地で結成される。ダイエットクラブではなく、肥満を自慢する会だ。
ところが、19世紀末から、欧米を中心に食料事情が改善。肥満者が増えるにつれて、肥満は避けるべきという考えが流布するようになり、前述の肥満クラブも次々と解散する。
この頃、世界最初のダイエット本『肥満についての書簡』がイギリスで出版。欧米を中心に6万部ほど売れたのは、それだけ肥満に悩む人が多かったからだ。著者は、肥満を克服した葬儀屋バンティング氏。
彼が実践したのは、糖質をカットし、赤身肉からタンパク質をたっぷり摂る方法。つまり糖質制限であり、のちに1970年代のアメリカでアトキンス・ダイエットとして復活する。
世界のダイエットを牽引するのは、いまも昔もアメリカ。
アメリカでは20世紀初頭に食生活が激変。カロリーと脂質が多いものに変わり、肥満者が増えた。1921年には世界初のファストフードチェーンが爆誕。自動車が大衆化するモータリゼーションが進み、運動不足に拍車がかかり、肥満者が急増。それに応える形でダイエット法が次々生まれる。
ダイエットするには、体重を量る必要がある。アメリカでは1920年代に、コインを入れると体重を教えてくれる「ペニースケール」があちこちに置かれ、のちに家庭用の体重計も普及。
1940年代、メトロポリタン生命保険は男女別に死亡率が低い「理想体重」を公表する。身長と体重から求めるBMIは1985年、肥満度の代替指数の地位を確立する。
タニタが体重計を《ヘルスメーター》と名付けて発売したのは1959年。体重を増やす=ヘルス(健康)という考えでネーミングされたものだ。
日本でダイエットが意識されるようになったのは、1964年の東京オリンピックを境に「食の欧米化」が進み、生活習慣が徐々にアメリカナイズされたから。
1970年代には、ファストフード店もアメリカから上陸。アメリカから半世紀遅れでモータリゼーションが進み、肥満者も増えてダイエットが少しずつ脚光を浴び始める。
1970年、カロリーという言葉を広めた『ミコのカロリーBOOK』が150万部のベストセラーになったのは、1960年代のミニスカ女王ツイッギーに憧れた女性が痩身信仰に染まった証しだろう。その傾向は現在も続く。
その後の糖質制限もビリー隊長の軍隊式エクササイズもアメリカ由来だが、2000年代に入ると、レコーディングダイエット、カーヴィーダンスといった日本オリジナルの痩身法が現れては泡のように消えた。それは継続性や効果に難があるから。ガレノスが言うような急がば回れの王道以外、ダイエットに近道はない。
取材・文/井上健二 イラストレーション/うえむらのぶこ 参考文献/『ダイエットの歴史 みえないコルセット』(海野弘著、新書館)、『ヒトはなぜ太るのか?』(ゲーリー・トーベス著、メディカルトリビューン)
初出『Tarzan』No.842・2022年9月22日発売