
教えてくれた人
塚本やすし(つかもと・やすし)/1965年、東京都生まれ。主な絵本に『おにのパンや』『このすしなあに』『やきざかなののろい』(以上、ポプラ社)など多数。『しんでくれた』(谷川俊太郎・詩/佼成出版社)で第25回けんぶち絵本の里大賞・びばからす賞など、数多くの賞を受賞。
目次
暴飲暴食と節制を行ったり来たりの10年。反省しない日々が続く。
仕事が忙しかった30〜40代。私はストレス発散のために大食い、深酒を繰り返していた。寝不足なうえに、二日酔いの状態が続く日々。カラダにいいことなんか何もやっていない。当時はまだ無理ができたし、何よりもはしご酒が好きだった。慢性的にだるかったが、毎日は充実していた。しかし、気づけばカラダはボロボロだった。
近所の個人病院に3か月に一度通うようになり、最初は血圧の薬を処方されていただけだったが、そのうちに肝臓や血糖値、中性脂肪の数値が悪くなり、検査のたびに先生に怒られるようになった。
検査の数値が悪いとしばらくは節制した。すると3か月後の数値は良くなっている。そこで安心すると、また暴飲暴食の日々に戻った。当然、数値は悪化して、また先生に怒られる。
そんなことが10年ほど続いたある日、先生から「そろそろ総合的に検査できる総合病院に行ったほうがいいですね」と言われた。長年通っていたその病院は、実は小児科だったのだ。私はそのとき初めて知ったのだ。どうりで待合室に子供が多かったわけだ。
塚本さんの糖尿病ヒストリー。
幼少期 | 好き嫌いの激しい少年だった。 |
学生時代 | 食欲旺盛な青年だった。何でも食べた。 |
20代 | 食欲旺盛にお酒が加わった。 最初の頃は激しい二日酔いに悩まされたが、次第にカラダが慣れた。 |
30代 | 暴飲暴食の日々。仕事が忙しく生活が乱れた。徹夜の日々が続く。 |
40代 | 相変わらず暴飲暴食の日々。 仕事も忙しくストレスも相当な感じになり、お酒の量も増えた時期。 高血圧と糖尿病で病院に通うようになる。 →教育入院 |
50代 | ようやく健康に気を使う年齢になったが、まだ無茶をすることもあった。 |
現在59歳 | 運動や食べ物に注意をして健康的に過ごす。血糖値や血圧も安定。 |
総合病院に転院すると、待っていたのは突然の教育入院!?
紹介状を書いてもらい、初めて総合病院の門を叩いた。
総合病院なのですべての診療科が揃っていて、待合室にはたくさんの人々がいる。長椅子に腰掛けて順番を待つ。どのような先生なのか、とても不安だ。順番を待つ間に看護師さんに呼ばれ、採尿と採血を行った。まずは目盛りのついた紙コップを渡され、トイレに行ってお小水を出す。
続いて採血だ。私は昔から採血が苦手で嫌いなのである。上手な臨床検査技師さんなら痛みは少ないのだが、下手な人だとものすごく痛い。いつだったか3回ぐらい針を刺し直したことがある。その腕は見事に内出血した。
無事に採尿と採血を終えると、診察までまた順番を待つ。総合病院は忙しく、看護師さんも早足で動き回っている。総合病院に行く時は、予約をしても長時間待つことを覚悟しておいた方がいい。
やがて私の順番になった。少し緊張しながら診察室のドアを開けた。すると同年代であろう女医さんが私を待ち受けていたのだ。私がぼーっと立っていると「はい。こんにちは。そこの椅子に座ってくださいね」と、検査結果のデータが入力されているパソコンを見ながら言った。糖尿内科のその先生は、華奢で赤い縁の眼鏡をかけていた。
パソコンからなかなか目を離さない先生が、突然、私を見て言った。「入院ですね」。えっ入院? 私の頭の中はとても混乱をしている。「先生、私、入院なんですか? 」と慌てて聞いた。すると先生は「はい。入院です。この数値をほっとくわけにはいきません。教育入院です」とキッパリ言った。
「先生、仕事があるので入院はできません」と言うと「だめです」と言う。仕方がないので「仕事に使うパソコンだけ取りに帰りたい」と言うと「だめです」と言う。厳しいのである。
それにしても、「教育入院」って初めて聞いた言葉である。先生いわく、カラダ全体の検査をして、現状の悪い数値の回復と糖尿病について真剣に学ぶ入院なのだと教えてくれた。確かに今までは、糖尿病のことをネットや書籍で学んでも、あまりピンとこないでいた。血糖値のこともまるで知らないでいたのだ。
初めての入院生活が始まる。血糖値の検査は本当に嫌いだ。
晴れて(?)教育入院になったのである。私は病院に来た姿のまま、入院棟の4人部屋に入った。初めての入院である。とても不安なのである。若い看護師さんが入院時のルールを教えてくれた。
さっそく、ベッドに寝かされて点滴が始まった。点滴は1時間ぐらいかかっただろうか。私は深く心地よい眠りに入っていた。
起きると昼食の時間だったが、私の分はなかった。何せ当日に入院と言われたので、病院食も間に合わなかったのだろう。
起床後と就寝前、朝昼晩の食事の前には血糖値を測る。人差し指を看護師さんに差し出して、指先にぷちっと針を刺し、血を出して数値を測る。その針が悲鳴を上げるほどではないし、泣き叫ぶほどの痛みでもない。何とも中途半端な痛さなのだ。私はこれが嫌いで仕方がない。
夕方、妻に着替えや洗面道具、パソコンなどを持ってきてもらった。ジャージに着替えてベッドに入るとやはりほっとする。妻には教育入院であることを話す。「しっかり勉強してね」と言われた。
尿をビーカーに溜める蓄尿。それを見るのが嫌で仕方ない。
入院2日目からいろいろな検査が始まった。検査項目は心電図、レントゲン、腹部エコー、頸動脈エコー、便潜血検査、CTなど。朝からけっこう忙しい。血液や尿だけでなく、脳や内臓のすみずみまでだ。これらの検査を2日間ぐらいで済ました記憶がある。
苦痛なのが「蓄尿」である。蓄尿はお小水をトイレに行って流すのではなく、トイレにある自分専用の大きなビーカーに溜めていくのである。「24時間の尿量と尿中の糖やタンパク質の量を測定して、糖尿病の程度や腎臓の状態などを調べる」と看護師さんが言っていた。ビーカーのサイズはかなり大きく、バケツほどだったと思う。ガラスのビーカーなのでお小水の色が分かる。
自分のだけを見ているのはいいのだが、トイレには他の教育入院の患者さんのビーカーも4つぐらい並べてある。それを見るのが嫌で嫌で仕方がない。気持ち悪いのである。人それぞれ、いろいろな色をしているし、濁ってもいる。赤い血のような山岡さん(仮名)のお小水はおぞましく、まいったもんだった。
えっ、これだけしかないの? 病院食の量の少なさに驚愕。
2日目には、管理栄養士さんによる栄養指導があった。部屋に入るといろいろな食べ物の模型が並んでいる。それを見ながら、食べ物のカロリーや糖分、塩分などについて学んだ。幼稚園生になった気分だ。この指導でびっくりだったのは、大好きな握り寿司もお米や砂糖が多く使われているので、糖尿病には良くないということだ。
毎日の病院食。私の場合は1日1600キロカロリーの食事だ。糖尿病用なので、量はとても少ない。ご飯は1食150gである。初めて見た時は病院を呪ったもんだ。私のこれまでのご飯の量は、今でいう漫画盛りである。外でレバニラ炒め定食や餃子定食なんかを食べるときは必ず大盛りご飯だし、自宅でカレーライスや野菜炒めを食べるときも大盛りご飯だった。血糖値は爆上がりだ。
糖尿病の病院食は心もとない少なさだ。入院中は1日1〜2㎏ずつ体重が減っていった。すると、カラダも軽くなるし、体重計に乗るのが楽しくなった。今考えると入院中は運動をしないので、筋肉も減っていったのだろう。
それにしても病院食は、量が少ない。早食いの私は普段なら3分で食べ終わる量である。それでは寂しいので、よく嚙んで時間をかけて食べるようにした。よく嚙むことはカラダにいいとはわかっていたのだが、今まではとてもじゃないけど無理だった。でも実際によく嚙んで食べると、少ない量でもお腹が落ち着いたのだ。
食事は写真を撮って記録をした。今ではその食事の画像をデスクの横に貼っている。戒めにもなるし、あのあっけらかんとした食事の写真を見ていると、清々しい感じになるからだ。写真を見ると、食べる量も抑えられる。
ずっと寝ているのも飽きた。自己流ストレッチや仕事をする。
禁酒、少食、睡眠のおかげで、3日目ぐらいから体調は良好。だるさも消えて気分が良い。すると、ベッドの中でずっと寝ているわけにもいかなくなった。しかし外出はできない。私が入院した病院には、運動療法がなかった。仕方がないのでベッドでできる運動をやった。腿上げや自己流のストレッチだ。相部屋なので迷惑をかけないように静かにする。
ベッドに座りパソコンを広げて仕事もやっていた。パチパチキーボードを叩く音も、周囲に迷惑をかけないように、ゆっくり音を立てないように打った。しかし相変わらず、大嫌いな血糖値測定の時間はやって来る。看護師さんがワゴンを押す音が聞こえると、やはり気が滅入った。
ある程度の検査が済んだら、日々の入院生活は病院食と血糖値、血圧の測定だけだ。暇である。もちろん重病の方には申し訳ない。
1週間ほどで血液検査の数値は、ほぼ改善されてきた。検査の結果も特に悪いところはないらしい。血圧も正常値に落ち着いてきた。血糖値の測定は相変わらず痛い。
入院期間は14日間の予定だったが、肉体も気分も特に深刻なことはないので、先生に退院をお願いしてみた。するとあっさりと退院を許可されたのだ。肝臓に脂肪が溜まっているので、食生活を正すことと禁酒、運動を心がけるように言われた。10日間で体重は5kg減。清々しい気分で退院できた。
晴れて退院。和食中心の食事と運動に目覚めて数値も安定。
やはり健康には、食事に気をつけることと、十分な睡眠をとることが大切だと、教育入院をして改めて気づいた。
退院してしばらくは規則正しい生活を送っていたが、やはり気が緩むこともあった。糖尿病は数値が悪くても、痛みなどの自覚症状がないからすぐに油断してしまうのが難しいところだ。
最近の数値は安定している。飲みに行く機会も減り、自炊するようになった。オニオンスライスや海藻、ぬか漬けなどを食べるなど、和食中心の食生活を続けている。ウォーキングや自転車などの有酸素運動も習慣になった。適度な運動も、健康には大事だ。
糖尿病とつきあった20年について、詳しいことは拙著『イラスト日記 ゆるして! 糖尿病』に綴っている。医学監修は白澤卓二先生。イラスト満載で、私の不摂生時代と健康になるために試した実体験が書いてあるので、ぜひぜひ読んでみてくださいませ。
『イラスト日記 ゆるして! 糖尿病』
塚本やすし(著)、白澤卓二(医学監修)/主婦の友社 定価1,650円
検査数値が良くなったのに、暴飲暴食してまた悪くなる。塚本さんは負のループをどう乗り越えたのか。糖尿病で悩む方のヒントになる、抱腹絶倒のイラスト日記。