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西洋とは捉え方が真逆だった? 日本人の「座る」の歴史

日本人はどう座ってきたのか?

日本人は座りと深く関わることで文化を醸成してきた。その歴史をひもとくと、ヨーロッパとも他のアジアとも違う一面が見えてくる。座ることで見出した日本人の価値観と、時代を経て変化してきた座り方を考察してみよう。

教えてくれた人

矢田部英正さん(やたべ・ひでまさ)/日本身体文化研究所主宰、武蔵野美術大学講師、椅子デザイナー。筑波大学大学院体育研究科修了。『坐の文明論』(晶文社)では、座ることを深く自在に考察する。

座れば座るほど健康になる。東洋ではそう考えられてきた

近年の研究では、現代人の座りすぎによる健康被害やリスクが次々と明らかになり、できるだけこまめに立ち上がることが推奨されている。ところが、それとは真逆に、座れば座るほど健康になることを常識としてきた文明もある。それは、他ならぬ日本をはじめとする東洋の文明だ。

「東洋、そして日本では、座ることは害悪どころか、養生法として伝えられてきた歴史があります。座ることは心身に調和をもたらし、健康状態を高め、やり方によっては自然や神と一体となる修行法の一つとして捉えられてきたのです」

そう語るのは、『坐の文明論』などの著作があり、椅子デザイナーでもある矢田部英正さん。

確かに、座りすぎの弊害を糾弾する狼煙が上がったのは、欧米から。

アメリカの著名なメイヨー・クリニックの医師ジェームズ・レヴァインが、座り続けることは喫煙や肥満と同じく深刻な病であり、場合によっては「死に至る」と指摘するセンセーショナルな論文を発表したのは、2014年だった。

そこには歴史的な背景もある。古代ギリシャの思想家でソクラテスの弟子であるクセノポンは、「常に目覚めて直立している姿勢こそが、人間本来のあり方である」という言葉を残している。

この古代ギリシャ以来の伝統を受け継ぐヨーロッパでは、立位こそが理想の姿勢だと考えられていた。

日本で最近流行してきたスタンディングデスクは、ヨーロッパには古くからあり、15世紀にはレオナルド・ダ・ヴィンチが使っていたという記録が残る。19世紀の文豪ゲーテも立ち机を愛用していたという。

人類が直立二足歩行を始めて手が使えるようになり、道具を工夫し、脳が発達したのは間違いない。かといって、東洋では座ることで健康を高める伝統があった事実を忘れてはならない。

古代インドのヨガから、座る健康法が発展する

座ることは、善か悪か。そのジャッジを左右する一因は、床や地面に座る床座がメインか、椅子に座る椅子座がメインかの違いにありそう。

日本をはじめとする東洋では、基本的に座る=床座だった。椅子や寝台などを用いず、床の上に直接腰を下ろす暮らしだったのである。

東洋に限らず、古代オリエントの影響を受けて古くから椅子に座る椅子座が普及したヨーロッパや中国などを除くと(後述。座ることをテーマとするこのページに限り、東洋から中国を外して考える)、世界の大半の人びとの暮らしは、古来床か地面に座って営まれていた

この床座をいち早く極めたのは、古代インドだった。古代インド発祥の健康法といえば、ご存じのヨガ。4000年ほど前に栄えたインダス文明に起源を持つヨガが、まず重視したのは、床に座ることだった。

ヨガのポーズを、「アサナ」という。アサナは、古代インドのサンスクリット語で「座る」という意味。現代では、いかにアクロバティックなポーズが取れるかに目を奪われがちだが、古典的なヨガはただ両脚を組んで床に座り、呼吸を整えて深く瞑想することを重んじた。

ヒンズー教の僧侶たちの座法である「パドマ・アサナ(蓮華坐)」や、仏教を興したブッダが悟りを開いた「結跏趺坐(けっかふざ)」も、このヨガの座り方に由来する。

僧も腰痛、痔に悩む?
僧も腰痛、痔に悩む?

現代では座の身体技法を忘れた日本人も少なくない。「修行僧にも腰痛や痔の悩みが多いようで、曹洞宗の禅寺に呼ばれて“釈迦に説法”で座り方を伝授しました」と矢田部さんも苦笑い。

上虚下実を会得すれば、床座も椅子座も楽に

発祥は古代インドだが、座の技法がもっとも洗練された形で伝承されたのはここ日本だと、矢田部さんは指摘する。ことに、禅宗や武道で受け継がれてきた「上虚下実」という言葉には、座れば座るほど健やかになるための極意が結実している。

上虚下実は仏像に学べ
上虚下実

仏像の基本デザインは、結跏趺坐。国宝の薬師如来坐像(9世紀)では、みぞおちから肋骨にかけて優美なくびれがあり、上体の力を抜いて骨盤で体重を支える上虚下実の良きお手本だ。

“上虚”を現代的に表現するなら、上体の無駄な力を抜いて緊張を緩め、自由にリラックスさせること。そのために、みぞおち部分にくびれを作るように凹ます。すると、みぞおちの背面にある胸椎に、自然な後彎が生まれる。

その結果、腰椎の前彎のピークが、骨盤の上縁である腸骨稜より下がる。これが“下実”につながる。上虚のままだといわゆる猫背だが、腹圧を高めて骨盤を立て、下実を作ると姿勢が定まって美しくなる

「腰椎のいちばん下にある第5腰椎から仙骨を中心とする骨盤周辺を、下実で安定させると、人体最大の骨である骨盤全体で体重が支えられる。だから、大きな負担を避けながら、座り続けることができるのです」

加えて和装では、座位に有利なポイントがある。帯を締めるからだ。

帯は衣服を留めて整えるだけではなく、姿勢を保つ機能を併せ持っている。洋装のベルトはウェストで巻くが、帯は骨盤上部で巻いて骨盤をしっかり締める。すると腹圧が上がり、骨盤が前傾しやすくなり、上虚下実を導きやすい。

この上虚下実のルールは、床座でも椅子座でも変わらない。

帯が座る姿勢を助ける
帯が座る姿勢を助ける

ウェストで巻く洋装のベルトとは異なり、和装の帯は骨盤上部に巻く。それにより、腹圧がアップ。床座でも椅子座でも骨盤が前傾して後傾しにくくなり、上虚下実が作りやすくなる。

ランバーサポートから、ペルビスサポートへ

一方、床座の経験に乏しい西洋の人間工学や整形外科が椅子座で注目しているのは、第3腰椎。腰椎の下から3番目にある骨だ。

立位を理想とする西洋の人間工学や整形外科では、立ったときと同じように、椅子座でも背骨のS字カーブをキープすべきだと考えている。立ったとき、腰椎の前彎のピークは第3腰椎あたりにあるから、座ったときも第3腰椎のカーブを背板でサポートするのが正しい。そういう主張が大勢を占めている。

これは西洋では20世紀半ばにようやく提唱される姿勢理論だが、同じく椅子座の歴史が長い中国では、13世紀の宋代にはすでに、背板に背骨の彎曲を模したS字カーブを施す技術が開発されていたという。

いずれにせよ、背板に背中を預けようとすると、骨盤が後傾しやすくなり、下実が作りにくい。これは、着物で帯を締めると骨盤が前傾し、背もたれに背中を預けなくても、上虚下実で椅子でも苦もなく座り続けられるのと対照的である。

「第3腰椎の周辺は、わずか直径5~6cmのか細い椎骨で、骨盤と胸椎を連結しているだけ。この部分を反らせようとすると、椎間板に大きなストレスが加わりやすく、そこをサポートするとむしろ腰痛が増える結果を招きかねません。

骨盤(ペルビス)のストレスに対する耐性は、腰椎(ランバー)とは比較にならないほど強い。椅子座では、背骨のS字カーブを支持する場所を下げ、ランバーサポートではなく、ペルビスサポートにするべきでしょう」

支えるのは腰椎か、それとも骨盤か
日本人はどう座ってきたのか? 支えるのは腰椎か、それとも骨盤か

欧米の人間工学や整形外科では、腰椎の前彎のピークを作る第3腰椎を支えることを推奨する。だが、第5腰椎と骨盤あたりをペルビスサポートで支えた方が正しい姿勢は取りやすい。

骨のように隠れた物事の本質を把握し、核心を摑むことを「コツ(骨)を摑む」という。骨格がいちばん強い力を発揮する“コツ”がわかれば、楽に座り続けられる。

かつての日本人は、着物を着て和室に座り、お茶を嗜んだりする過程で座る“コツ”を摑み、骨盤で負担なく座る技術を体得してきたのだ。

椅子は古代オリエントからヨーロッパと中国へ広がる

座り続けると「死に至る」と警告した先のレヴァインは、“コツ”を無視し、「椅子座を基本とする社会をデザインしたことが人類史上もっとも深刻な誤り」と大袈裟に嘆く。

歴史をうんと遡ると、そもそも人類史で椅子に座るという文化を最初に作ったのは、いまから5000年以上前の古代オリエントだというのが定説になっている。

「彼の地で、椅子は、神から統治権を授かった支配者の象徴である玉座として誕生しました。それが古代エジプトとギリシャを経てヨーロッパへ伝わり、紀元前2世紀頃に成立したシルクロードを経由して古代中国へと伝播したのです」

中国に古代オリエントから椅子が伝わったのは、漢(紀元前206~紀元220年)の時代。初めに広まったのは、靴を脱いで床と同じように座る「牀(しょう)」という座具。寝具(ベッド)としても使える大きなものだった。

続いて、靴を履いたまま一人で座る折りたたみ式の椅子「胡牀」が入ってきた。胡とは、古代中国の西北部で移動生活していた異民族・胡族のこと。彼らがラクダの背中に乗せてシルクロードを介して伝えたことから、その名があると矢田部さんは推測している。

複数の人が同時に座れる「牀」から、1人の人が足裏を地面につけて座る「胡牀」が武帝の宮廷を中心に流行。宋代には、靴を履いて椅子に座る暮らしが、庶民層を含めてほぼ全土に広がったようである。

中国と盛んに交易していた日本には、胡牀は6~7世紀の古墳時代には伝来していたようだ(その証拠に、埴輪が残っている)。聖武天皇が寝台として使っていた「牀(御床)」は正倉院に保管されているし、遣唐使が伝えた唐様の「御椅子(ごいし)」も宮廷や寺院で用いられていた。

平安以降、胡牀は宮廷儀式や戦場などで用いられたが、中国と違い、椅子がそれ以上普及することはなく、武士も農民も床座を続けた。

日本に椅子座が広がるのは明治以降であり、一般大衆まで本格的に受け入れられるのは、第二次世界大戦後になってから。日本における椅子座の歴史は想像以上に浅いのだ。

床座の習慣がないと、椅子でも正しく座れない

日本で床座が続いた理由の一つに、住まいの作りがある。

日本の伝統的な家屋は、縁の下を持つ高床式。高温多湿な環境下で、穀物の劣化を防ぎ、害虫などの侵入を抑えるのに適した米倉の構造を引き継ぐ。これは、似たような気候風土を持つ東南アジアと共通だ。

高床式だと、履き物を脱いで足を洗い、外の汚れを落として室内を清潔に保つ習慣付けにつながる。その延長線上に床座がある。

中国の家屋の大半は日本のような高床式ではなく、地面に石を敷き詰めた床なので、その上で靴を履いたまま過ごすスタイルが合っている。だから、寒さや暑さを避ける意味でも、そして衛生面からも、地面から少し高さがある「牀」が古くから好まれたのだ。

ヨーロッパ人や中国人のように床座の習慣がないと、股関節、足首、骨盤まわりの可動域が狭く、硬くなる。このため、椅子に座っても骨盤を立てておくのが難しく、日本人のように上虚下実が作りにくい。

ゆえに、椅子に長時間座ったままだと途端に腰痛などのトラブルを引き起こし、「座れば座るほど健康を害する」という主張がすんなり受け入れられる素地ができたのだろう。

座ってカラダを観察し、その理法や秩序に従う

西洋と東洋では、なぜ座ることの捉え方が180度異なるのか。その相違には、人間と自然を巡る世界観の違いもありそう。

「西洋では自然を人間に従わせようとしますが、東洋では人間を自然に従わせようとします。

言い換えると、西洋では、自らの意志や自我でカラダという自然をコントロールしようとする。脳の指令で動く筋肉を、トレーニングで大きくしようとするのは、まさに西洋的な発想です。

一方、東洋ではカラダというもっとも身近な自然をじっくり観察して、理法や秩序を見出し、そこに意志や自我を従わせようと考えるのです」

カラダという自然を観察するには、闇雲に動き続けるのではなく、じっと座るのがいちばん。だからこそ、ヨガでもヒンズー教でも仏教でも、座ることを重視したのだろう。そのため東洋では、長く座るための身体技法(カラダの使い方)が、数千年という長い時間をかけて確立されてきた。

「“座るな、立て!”と言う前に、床座でも椅子座でもストレスなく座り、心身を健康に保つ伝統的な身体技法の存在に改めて目を向け、それを学ぶ努力をしてみるべきではないでしょうか」

正しく座るための上虚下実のコツを摑むため、ヨガや坐禅、和装などを体験することから始めてみよう。

取材・文/井上健二 イラストレーション/浅妻健司

初出『Tarzan』No.849・2023年1月26日発売

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