モンキー乗りという騎乗スタイル
「競馬のジョッキーの騎乗スタイルは、日常生活のなかではあまりない姿勢、動きなんです。いわゆる“モンキー乗り”。馬術競技では尻を鞍につけて、上体は起こしますが、モンキー乗りでは鞍に乗らず、上体を地面と平行にします。立位では馬をコントロールしやすいのですが、スピードという点で劣る。競馬の騎手に求められるのは、とにかく速さなので、馬の負担にならない、馬の動きを妨げないことが一番重要になってくる。
カラダを起こすと、風を受けてしまうから、馬に制限をかけてしまいます。だから、あんな乗り方になったんですね。ただ、馬は直進するだけではないので、ジョッキーもコントロールはしなくてはならない。速さと制御、2つを求められるので、難しい乗り方だと思います。騎乗には正解はない。ただ、股関節と肩甲骨の使い方は重要です。僕も現在進行形で、よりよいスタイルを探っています」
馬を速く走らせる理想の騎乗
「馬の走りでは、後ろ脚が原動力になります。蹴った脚が(前に)返ってくるときが重要なポイント。このときに、馬の負担にならないようにしないといけないし、速く走れるように促さなくてはならない。これは、ラストの追い込みをかける場面の話です。蹴った脚が返ってくるときに、馬の首は自然に下がります。尻が上がりますからね。そこで騎手は、肩甲骨から腕を動かすようにして手綱を操り、さらに首を押し下げる。
すると、相対的に尻の位置は一段と高くなり、それに合わせるように馬の脚はより前へと返ってくる。こうすることで、騎手は馬のストライドを1cmでも2cmでも伸ばしていこうと考えているんです。
ストライドが伸びれば、スピードも乗ってきます。また、手綱を使って馬の首を押すことは、もっと速く走らなければならないと馬に思わせる、合図にもなっている。最後の直線を争うときには、ムチだけでなく手綱も重要なんです」
股関節と足首、筋力と柔軟性
「騎手が騎乗するときに馬と接するのは、鐙に乗せた親指の付け根(拇趾球)だけなんです。この一点で体重を支えて、足首、膝、股関節を深く曲げ、上体を地面と平行に保持します。とても不安定な状態ですが、そんななかでも騎手は、できるだけ馬に負担をかけないようにしないといけない。
たとえば、人間がリュックを背負って走るとき、それが前後左右に揺れたら走りにくい。馬も一緒で、騎手が揺れては思うように走れない。だから、騎手は馬に合わせることが一番重要になります。ただ、馬の動きは一定でないので、瞬時に対応することが大切です。
騎乗しているときは、膝は馬につけないし、固定してほとんど動かしません。骨盤を安定させて股関節と足首を動かす。馬に合わせて2つの関節の屈曲をすばやく、微妙にあるいは大胆に変えることが大切。そのために、股関節まわりの筋力と柔軟性は、なくてはならないんですよ」
馬に負けない強い肩甲骨
「追い込みをかけるときは、手綱で馬の首を押し下げるのですが、それは終盤に限ったことで、それまでは、手綱を引く動作のほうが多いんです。馬は前へ前へと行きたがるので、それを抑えないといけない。そのままにしておくと、馬の体力が持ちませんからね。
ただ、競馬馬の体重は500kgもある。それを手綱だけでコントロールしなくてはならないんです。大きな力がいるし、あるときには細かな動きも必要になってくる。だから、手綱と言っても手だけを使っていては馬に負けてしまう。
まずは、カラダ全体を柔軟に動かすことが重要です。そして、手綱は肩甲骨から肩、腕、手を使って操るようにする。たとえば、手綱を押し下げるとき肩甲骨は開くし、逆に引くときは閉じる。カラダの中心から動かすことで、馬に応じられる力が生まれるんです。もちろん、そのためには股関節と同じように、騎手の肩甲骨まわりも柔軟性と筋力が求められます」
ケガに勝つ、タフなハート
「騎手にケガはつきものです。2001年には骨盤の5か所、両恥骨、両坐骨、片側の仙腸関節を骨折しました。ところが、このときは50日と少しでレースに復帰することができたんです。1か月はベッドから起きられなかったけど、そこから3週間で復帰。骨盤は騎乗の要でまだ痛かったですが、自分で走るわけではないので(笑)、どうにかレースができたんです。
アスリートはケガの治りが早いといわれますが、僕もそう。騎手なので馬に乗れないと何も残らない。だから、ケガした直後からベッドの上で足先、指先だけでも刺激を入れるようなトレーニングはしていました。治ってきたら木馬(騎乗のシミュレーションマシン)で股関節や骨盤の状態を探ったり、実際に乗れるのかを試したり。結局、馬に乗りたいという一念で、治ったことにしてしまったというのが本当のところなんです」
トレーニング、そして明確な目標
「トレーニングはやっています。1日でも休んでしまうと、現状を維持できないと思うし、馬券を買ってくれる人に対して責任もありますから。さぼりたい気持ちは当然湧きますよ。でも、20分でもいいからマシンでランニングという感じで、動くようにしています。ただ、競馬では斤量(馬がレースで背負う重量)が決まっているので、筋肉を増やすようなパワー系のトレーニングは一切やりません。
ケアも重要。これもトレーナーさんに頼んだり、自分でも行っています。土・日が競馬開催日で、1日10鞍(10レース)乗るときもある。そうすると、脚は延々と“うさぎ跳び”をやったような状態になる。とくに股関節は常に使うので、カラダの内側にある腸腰筋が硬くなる。重点的にストレッチで伸ばします。とにかく、トップレベルでレースに出場し続けることが、今の明確な目標なんです」
難しすぎる馬、ディープインパクト
「一番思い出のある馬はディープインパクトです。デビュー戦から引退するまで全レースに乗りましたが、最後のレース・有馬記念でやっと馬と一体になれたと思った。それまでは、この馬を乗りこなせているという感触というか、手応えを覚えることがなかったです。
それぐらい難しい馬でした。ディープインパクトは全力で走ることが好きすぎて、それに待ったをかけるのが大変だった。抑えるために、体力的な部分だけではなく、騎乗テクニックなども含めて考えさせられることが多かったです。
それが、有馬記念では一体になれた。3コーナーから4コーナーにかけては、本当に飛んでいるような感じで、すごく気持ちよかった。ああいう感覚は、なかなか味わえない。最後の最後に完璧だと思いましたね。うれしかったです」