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タンパク質と、何が同じで、どう違う?ジェーン・スーと〈味の素(株)〉社員が語るアミノ酸のこと。
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誰に教えてもらわずとも、ヒトはあるとき歩き始める。実はそれは、生き物としてとても稀有で難しいアクト。大人になると、我々は歩くことを億劫に感じてしまう。実はそれは、生き物の在り方から遠ざかる行い。そもそも“歩く”という行為にはどんな意味があるのか? 福岡ハカセ、私たちに教えてください!
《ゆく河の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし》
『方丈記』の冒頭にある川の描写は福岡伸一博士の研究テーマのキーワード、「動的平衡」そのものと言っていい。だからだろうか、「私はわりと水辺が好きなんです。なんだか安心するんです。今日は大量の水があるところに連れてきてもらって嬉しいですね」
ご機嫌な様子。普段の散歩道も自宅近くの多摩川沿い。川の流れを視界に入れ、風を感じながらそぞろ歩くのがお好きだという。
「生命とは何か?」、この途方もない難問に挑み続ける福岡博士に、今回、「ヒトはなぜ歩くのか?」という問いを投げかけてみた。水辺の公園を心地よさげに逍遥しながら、博士は次のように切り出した。
「人間は生物の中でも非常に特殊な存在です。特殊性のひとつは直立二足歩行をするということ。アライグマは立てますが一瞬ですし、鳥やかつて存在した恐竜は二足歩行ですが体幹が前傾していて直立ではありません。重心が足の真上にあってすっくと立って歩けるのは人間だけなんです」
ホモサピエンスの祖先の類人猿はもともと森で生活をしていた。移動手段は主に樹から樹へと飛び移るというもので、地上では拳を地面について歩くナックルウォーク。そんな類人猿の一部は、どうしたわけか森から追い出されて草原で生活をするようになる。
直立二足歩行が確立されたのは、この草原生活からと考えられているのだ。そして直立二足歩行の獲得が、他の生物にはないさまざまなメリットを生み出すきっかけとなったという。
「まず、ナックルウォークのときに比べて高いところから遠くを見渡すことができるようになりました。これによって獲物や敵や異性をより早く見つけることができます。
また、手が使えるようになって道具を扱えるようになり、同時に手をコミュニケーションの道具として使えるようになりました。肉親や友達や異性に触れたり、誰かの“手助け”をする。これが他者と共存し共生する、利他的な行為の起源になったと考えられます」
いいことばかりではない。骨盤の大型化で産道が狭くなって出産が困難になったり、体重の負荷が腰に集中して腰痛が引き起こされるデメリットもあった。意外なことに副鼻腔炎も直立二足歩行の副産物なのだという。
体幹が前傾している動物は、鼻の穴の周りにある空洞に鼻水などが溜まりにくいというのがその理由。とはいえ、直立二足歩行はそれらを凌駕する大いなるメリットをもたらした。
「2本の脚を使ってあらゆるところに移動していってエサを探索し、仲間や異性を見つける。動物たる所以の“動く”という行為が自由自在になり、歩く、走る、スキップする、ジャンプするといった複雑な動きが可能になりました。両手が自由になったことでアクロバティックな動きもできるようになりました。
もちろん、重い脳を真上に掲げて歩くことで脳がさらに発達したことも、直立二足歩行がもたらした大きなメリットです」
動物とは読んで字のごとく、“動く”“物”。なかでも2本の脚ですっくと立ち、どこにでも自由に移動できるのはヒトの特権なのである。
誰に教わらずとも、ヒトは幼児期に2本の脚で立って自ら歩き始める。でも、物理的に考えるとこれは非常に複雑な運動なのだそう。
「まず2本の脚でじっと立つという行為が難しいんです。カラダの中を血液が循環していたり呼吸をすることで重心が常に揺らいでいるので、常にバランスを取り直さなければならないからです。この動きながらバランスを取ることが生きていることの本質、動的平衡です」
近代哲学の祖・デカルトはかつて生命現象はすべて機械に置き換えることができると説いた。心臓はポンプ、血管はチューブ、筋肉はベルト、関節は滑車…。
生命を構成しているのは静的なパーツで、必要とあらば取り替えが可能。現在の臓器移植や遺伝子操作もこの延長線上にある試みと捉えることができる。
これに対して、生体を構成している分子は常に高速で分解され、食物から摂取した分子に置き換えられている。今の私たちのカラダは分子の流れによって一時的に形づくられたもので、分子的な実体としては、数か月前とはまったく別物である。
この流れを止めないために、私たちは食物を食べ続けなければならない。これが「動的平衡」という考え方だ。
この考え方の鍵となるのは不安定さ。ただ立つという行為にしても、四足動物がどっしり安定しているのに対し、二足歩行のヒトは不安定で頼りない。生後間もない幼児が立ち上がろうとしては何度も尻餅をつくプロセスを見ていれば、それも納得できる。
「立つことは常に不安定な姿勢を保ち続けるということ。さらに歩くという行為は、まさに動的平衡だと私は思うんです。
前に進むためには一歩踏み出さなければならない。その結果、一本脚で立つ瞬間が生まれます。これは立つ以上に不安定な状況。でも敢えて不安定な状態を作り出すことによって、前に進む推進力を生み出す。そして不安定さを回収するために次の一歩を踏み出す。
動的平衡論というのは、生命の秩序を守るために絶えず秩序を壊さなければならないというもの。歩くという行為はまさにそれで、生命の在り方だなと思うんです」
生命というシステムは機械的なパーツに依存しているのではなく、動的平衡の流れがもたらす効果。動きながら常に分解と合成を繰り返し、自分を作り替えているからこそ、環境の変化に適応することが可能になるのだ。
何気なく踏み出したその一歩は秩序を壊しながら次の一歩に繫がり、結果的に秩序を維持していく。生命の営みそのものなのだ。
さて、せっかく作り上げた細胞や組織をなぜ一生懸命壊して、再び作り上げなければならないのか?
そこまで自転車操業方式でなければ、生命は維持できないのだろうか? 博士はここで、“時間”という概念を取り出してみせた。
「エントロピー増大という宇宙の大原則があります。これは形あるものはいずれ必ず形がなくなる方向にしか動かない、秩序あるものは無秩序の方向にしか動かないというもの。
壮麗なピラミッドが長い年月で砂塵に帰してしまうのも整理整頓した部屋が散らかるのも淹れたてのコーヒーがぬるくなるのも、すべてエントロピー増大の法則が情け容赦なく降りかかってくるからです。
カラダでいうと細胞膜は酸化して錆びていき、タンパク質は変性し、細胞の中にゴミが蓄積して機能を失ってしまいます」
情け容赦なく降り注ぐ、エントロピー増大の法則。だからそれが襲ってくる前に先回りして、細胞や組織を壊し、作り替える。
「そうやって常に未来を先取りしているのが生命で、その結果、時間という概念が生まれるのです」
もちろん、最終的にはエントロピー増大の法則に打ち勝つことはできない。壊す元気は徐々に衰え、細胞に少しずつゴミが溜まっていく。これが老化だ。
「歩くという行為も同じです。元気なうちは脚を高く上げて大きな不安定さを作り出せますが、歳を取ると筋力が衰えて、推進力も鈍くなります。
でもそれは歳相応の歩き方を工夫すればいいこと。移動中の駅ではできるだけ階段を使うというように」
世界一座っている時間が長い日本人は、当然歩く時間が短い。老化もしやすくエントロピー増大の法則に呑み込まれやすい、と考えることもできる。
「動物は常に新しい環境を求めて動き回ります。それは食料や住み処や異性を求めて生存範囲を広げるため。
ところが今はインターネットやAIがなんでも教えてくれる。自分自身が移動して新しいものを探索するのではなく、寝転んでネットを見ていても世界に触れられるので動いてるという錯覚に陥ります。
でも、これではエネルギー代謝も滞るので、動的平衡の行為を放棄することになってしまいます」
歩かない日常は認知や思考にとってもマイナスだ。自然の中を歩く機会は脳に必須、と博士は言う。
「脳は五感からさまざまな外部情報を取り込んで、それを交通整理する器官。予測不能な自然の中で感覚器官を全方位的に開いているときこそ、新しい思考が浮かんでくるんだと思います」
歩こう。水辺を、公園を、森の中を――。
取材・文/石飛カノ 撮影/五十嵐一晴 ヘア&メイク/大森由貴 撮影協力/水元公園(東京都葛飾区水元公園3-2)
初出『Tarzan』No.866・2023年10月5日発売