長﨑美柚(卓球)「3年後のオリンピックまで楽しんでプレーしたい」

ジュニア時代にはとんでもない活躍をした。しかし、これからというときにコロナが襲う。一番大事な時間を奪われた彼女は復活を願う。(雑誌『Tarzan』の人気連載「Here Comes Tarzan」〈2025年10月23日発売〉より全文掲載)

取材・文/鈴木一朗 撮影/中西祐介

初出『Tarzan』No.913・2025年10月23日発売

卓球_長崎美袖
Profile

長﨑美柚(ながさき・みゆう)/2002年生まれ。164cm。18年、世界選手権団体戦女子団体準優勝。21年、WTTスターコンテンダードーハ女子ダブルス(安藤みなみペア)優勝。23年、WTTファイナルズ名古屋女子ダブルス(木原美悠ペア)準優勝。24年、スターコンテンダーリュブリャナ女子ダブルス(木原美悠ペア)優勝。25年、スターコンテンダーリュブリャナ女子シングルス優勝。木下アビエル神奈川所属。

相手が美悠なんだって、感慨深い感じだった。正直勝負の気持ちになれなかった。

25年6月にスロベニアで開催された大会、WTT(ワールド・テーブル・テニス)スターコンテンダーリュブリャナの女子シングルスで優勝したのが、長﨑美柚である。WTTは2021年から始まった国際大会シリーズで、彼女は約1年前の24年にコンテンダーリオデジャネイロ(ブラジル)でも勝っている。ただ、今回喜ぶべきことは、“スター”という名称がついた1つ格上の大会で勝利を挙げられたこと。そして、スロベニアに移動する前日が誕生日だったのも、喜ばしいことだった。

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「23歳になって初めての大会だったので、今まで以上に頑張りたいっていう気持ちがありました。毎年、誕生日はほとんど海外で迎えるんですが、去年も同じスロベニアのダブルスで優勝していたのでいいイメージもありました。誕生日は特別な日なので、いつも以上にみんなにお祝いしてもらったり、声をかけてもらったりとか、そういうのもすごく嬉しくて。なので、いつも以上に楽しくてわくわくしながら試合に入れたんです。ただ、スターコンテンダーシリーズで、優勝できると思っていませんでした。はっきり言うと、強い選手もたくさん出るので、一つ一つ戦うことだけを考えていたんです」

初戦は韓国の若手選手だった。2対0で試合をほぼ手中に収めているところから、2対2に持ち込まれた。結局3対2で勝ったが、お世辞にも調子が良いとはいえない状態。だが「不利な場面の中で我慢できたこと、勝負強さという面で負けなかったこと」が2回戦以降に好影響を与える。

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「自分のいい状態のときのプレーだったり、気持ちの面だったり、そういう感覚的なところが試合をするごとに整っていくように思えていました。だんだんと良くなって、その集大成でようやく勝てたという流れでした。だから、初めから勢いでボンッと行ったわけじゃないんです」

決勝の相手は木原美悠。長﨑が語った昨年の女子ダブルスの優勝のとき、ペアを組んでいた選手だ。というより、この二人は「Wみゆう」の愛称がつくほどの強豪ペアで、マスコミを賑わせる活躍を見せていた。

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「スターコンテンダーで初の決勝進出。その相手が美悠なんだって、すごく感慨深い感じで、正直勝負の気持ちになれなかった。知りすぎているし、ずっとチームメイトでやってきたので、ここでやるのはよくないみたいに思ってしまって。ただ、気持ちが弱くなって負けたら一生後悔するとも思ったので、(決勝前には)自分に対してすごく厳しく準備したことをはっきり覚えています」

この状況は長﨑、そして木原にとっても非常に重かったに違いない。しかし、このことが選手としてのさらなる成長に繫がってくるのも確かだろう。日本の女子卓球という厚すぎる層のなかで飛躍するためにも、この経験は必ず生きてくるはずだ。

これは逃げているだけ、できるところまでやろう。

ジュニアでは、主要な大会ではほとんど取りこぼしがないほどの実力だった。18年、中学3年のときには、高校生の選手を相手に全日本選手権ジュニアで優勝し、その将来を認められて世界選手権代表に選ばれる。

19年は怒濤の一年。アジアジュニアを制覇し、世界ジュニアでは日本人女子として初優勝した。木原とのペアの女子ダブルスで、ITTF(国際卓球連盟)ワールドツアーグランドファイナルの年間女王にもなる。“さぁ、ここから”とばかりに、来るシニアでの戦いに心躍らせていたはず。しかしコロナが世界を襲う。

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「自分の状態がすごくいいときに、試合がなくなった。正直、モチベーションは下がりましたね。小さいときから練習は嫌い、試合で勝つことが好きという感じでした。だから、試合があればそのために練習するのは当然ですけど、試合がないのになんで練習が必要なのかなってなってしまって。それがキツかったです。諦めようと思ってしまうこともありました。ただ、本当にやめる覚悟まではなかった。あるとき、これは逃げているだけと感じて、恰好悪い、卓球しかできないなら、できるところまでやろうと思い直したんです」

それまで、日本のTリーグでは住み慣れた地元である木下アビエル神奈川に所属していたが、高校卒業後に大阪の日本生命レッドエルフに移籍。「自分にとって絶対的に苦しい環境を選択したほうがいい」という判断からだ。一大決心である。

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「大学へ行かずに就職したので、まわりからいきなり社会人として見られる感じでした。これまでは高校生だから許されたことや、人に頼ってやってもらえる部分もあった。だけど、社会人になるとすべてを自分でやらなければ、自立しなければならない。そのぶん自由はあるんですが、それにもしっかり責任が伴ってくる。それが、すごく大変でした」

オリンピックレースに参加して、初めて勝ち続ける難しさが分かった。

そして、翌年には早々と結果が表れる。中国の成都で行われた世界選手権の代表に選ばれたのだ。ただ、これまで一強だった中国に迫りつつあるのが今の日本。上位の争いは常に激しく、パリ・オリンピックへの出場はならなかった。

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「一番最初の(パリの)選考会では初めて全トップ選手が出るなかで、2位になることができた。想像以上、誰も思わないようないいスタートが切れたんです。でも、(シニアでは)追われる側になったことがなかったので、この順位をキープしなくてはと守りに入ってしまって。そこから、勝ち続けるってことは、すごく大変だと実感しました。そして、いつもそういう状況の中で、トップ選手は戦い続けていたんだというのを初めて知った。今までは傍から見ているだけで、お客さんみたいな気分だったんですけど、実際そのレースに参加してみて、勝ち続けることの難しさが分かりました。本当にいい経験をさせてもらったと思います。行けなかったのはすごく残念だったけど、自分にとってこの出来事は大きい。だから、次は本気でオリンピックを狙いたいと思っています」

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今、長﨑は木下アビエル神奈川に戻り、3年後のロサンゼルス・オリンピックを目指している。それにしても卓球での代表争いは厳しい。まだ正式ではないが、出場できるのは3人、リザーブを入れて4人だろう。長﨑は世界ランキング14位、日本ランキングは6位(9月現在)である。

「まずトップフォー(4位)に入る。これが明確な目標で、そのためにはコンテンダーなどの大会でポイントを稼ぐことが大事になります。その先のアジア選手権や世界選手権も頑張りたい。3年後のオリンピックを目標に楽しみながらプレーしたいと思っているんです」