永山竜樹(柔道)「二人が目指すのは五輪での金メダル」

パリ・オリンピックでは銅メダルに泣いた。ただ、2025年の世界選手権では栄冠を手にした。今、彼は3年後のオリンピックに懸けている。(雑誌『Tarzan』の人気連載「Here Comes Tarzan」〈2025年8月28日発売〉より全文掲載)

取材・文/鈴木一朗 撮影/下屋敷和文

初出『Tarzan』No.909・2025年8月28日発売

永山竜樹(柔道)
Profile

永山竜樹(ながやま・りゅうじゅ)/1996年生まれ。156cm、60kg、体脂肪率9パーセント。東海大学在学中の2015年、世界ジュニア選手権の60kg級で金メダル。16年、グランドスラム東京、金メダル。18年、世界ランキングで1位に。19年、全日本選抜体重別で優勝。24年、パリ・オリンピックでは60kg級で銅メダル、混合団体で銀メダル。世界選手権は18年、19年に銅メダル、25年に金メダル。〈パーク24〉所属。

社会人になったら自分でやらないといけない。ただ、そのぶん成長できる。

6月に開催された柔道の世界選手権男子60kg級で優勝したのが、永山竜樹である。なんと、6度目の挑戦で初めて手にした金メダルだった。前回の世界選手権はパリ・オリンピック直前の5月に行われた。このとき、永山はすでに五輪への切符を得ていたのに、「世界チャンピオンでオリンピックに出たい」と、強く希望して出場。初戦敗退という結果に終わっている。

パリでは準々決勝で敗れ、結果は銅メダル。ただ、これらのことがあったから、永山の喜びはいくらか計り知ることができるというものだ。しかし、今回の世界選手権も、決してやさしいものではなかった。減量である。

永山竜樹(柔道)

「学生のときはけっこう楽だったんですけど、筋肉量も増えて重くなっているし、年齢を重ねると代謝が落ちてきます。試合前日、最後の計量の日は朝に調整練習をするんですけど、そこで汗を出して練習が終わると300gオーバーぐらいでした。ただ計量までにはそれぐらいは落ちる。これまでは、そんな感じだったんですが、今回は最後の100gがなかなか落ちなかった。本当ギリギリ。最後の30分ぐらいで、60kgピッタリになったぐらいです。ちょっとやばいから、パンツを脱いで全裸で量れば大丈夫と思って……」

実際にそのようにしてクリア。ただ、カラダにはこたえた。計量後の食事のときに手が攣って、おかずのエビがつかめない。柔道の基本は組手で、相手の襟や袖を取ることだが、それどころの話ではない。厳しい状態で試合に入った。1回戦は技ありで先行される展開。終盤、相手が指導を3つ受け、逆転の反則勝ちとなる。本当に際どい内容だった。

永山竜樹(柔道)

「始まった瞬間に相手に投げられたので、やっぱり世界選手権はダメなのかと頭をよぎりました。自分の良さは投げ技なので、こうなるといつもは投げようって仕掛けに行っていた。ただ、今回はコンディションが悪くて、焦っているのに投げに行っても、多分相手は防ぐだけでダメだ、ここは指導でもいいからとにかく勝とうと気持ちを切り替えられました。それが、今振り返ると優勝できた一番大きな要因だったと思います」

準々決勝では有効ポイントを奪われたが、最後の最後で背負い投げの技ありで勝利。準決勝では有効を奪う。ここまでは非常に苦しい戦いが続いたが、決勝では2分40秒すぎに得意の袖釣り込み腰で技ありを奪い、頂点に立つことができたのだ。

永山竜樹(柔道)

「コンディションが悪い中で勝つ準備は、前からしてきていたんです。全部の試合で調子がいいなんてありえないので。調子が悪くても勝てばいいというメンタルは常にありました。自分は東海大学出身で、そこで上水(研一朗)監督と出会って、調子が悪い時こそどう戦うかを考えておけと常に言われていました。それが、今回すごく出た、ようやくできたんだと思います」

ちょっと疲れていても、少し踏ん張ってやろう。

その東海大学を卒業したとき、永山は「これで生活のすべてを柔道に注ぐことができる」と思った。大学でも、朝の練習が1時間で授業が終われば長いときは3時間、さらにウェイトトレーニングの日々だったのに、だ。本当に柔道が好きなのだ。

「午前中、警察とかにも出稽古に行けるし、スケジュールも好きにできます。朝が苦手なので、早起きをしなくてもいいし(笑)。社会人になったら自分で計画してやらなければいけないけど、それによって人としても成長できていると思います。だって、もう怠けようと思えばいくらでも怠けられる。そういう人も正直たくさん見てきました。だから、しっかり自分を律して、オリンピックで金メダル獲るっていう目標を常に意識している。ちょっと疲れていてもここを少し踏ん張ってやろうとか。そこはもう自分次第ですからね」

永山竜樹(柔道)

永山には一人大きな存在がいる。それが父・修さんだ。柔道経験はなかったのに、永山を指導するために黒帯にまで昇段する。彼のためにいい環境を与えようと会社まで立ち上げた。そして観戦の日々。ようやく世界一になったのだから、大満足ではないかと聞いてみると……、

「世界選手権で初戦が終わって、会場ですごく怒鳴られました。“何をやっているんだよ、マジか”って(笑)。優勝して終わっての一言目が“内容がダメだったな”、ですよ。次のオリンピックがあるので、まだまだこれからという意味を込めてだと思うんですが、でも何となくうれしそうな感じではありましたね」

ロスで金メダルを獲って、自分の柔道人生を華やかなものにしたい。

目指すのは、3年後に行われるロサンゼルス・オリンピックだ。永山は実はすでに準備を始めている。

永山竜樹(柔道)

「世界選手権が終わって、妻も試合に向けていろいろ我慢して支えてくれていたので、お互い息抜きじゃないけど、家族でどこかに行こうかって話になったんです。で、どうせならロサンゼルスだよねって。行ってみたら時差がすごい。ヨーロッパの時差は慣れていたのでパリは大丈夫でしたが、アメリカは夕方の4時ぐらいになると眠くなる。多分それぐらいが(オリンピックの)決勝の時間。だから早めに行って慣れないとキツイと思いました。柔道の会場も決まっていて、それを見ることができたことも大きかったです」

ただ、日本の中にとてつもなく強力なライバルがいる。所属する〈パーク24〉のチームメイトで、幾度となく教えを乞うた先輩の髙藤直寿だ。髙藤は東京オリンピックで金メダル、24年のパリ出場を懸けた大会では決勝で永山が勝っている。

永山竜樹(柔道)

「今日は久しぶりに一緒に(乱取りを)やりました。パリの前にも、そのころ自分がいた東海大学によく来てくれて一緒に練習をしてくれて。アドバイスをくれたり、ライバルだけど本当にいい先輩。自分のことをずっと気にかけてくれたりもするし、すごい人です。ただ、パリで負けて悔しい思いをしたので、その経験がよかったって思えるようにするには、ロサンゼルスで金メダルを獲るしかない。それで、自分の柔道人生を華やかにしたいんです」

そのためには強くて頼りがいのある先輩ライバルに勝つ必要がある。

「今回の世界選手権は、結果は良かったけど、父が言うように内容はダメだった。でも、精神的な部分で、人間的にはすごく伸びた大会だったという自覚がある。だから、ここからの3年間で今以上に細かな技術をつけていかないといけないと考えています。それに、父は小さい時から支えてくれて、世界選手権ではまだ素直によろこんでくれなかった。オリンピックの金メダルが、二人が本当に目指しているものなんです」