鎌田晃輝(ロードレーサー)「練習が終わって ベッドに飛び込む。 その瞬間が一番好き」

2025年、日本の若手ナンバーワンは、アジアの若手ナンバーワンの座に就いた。ただ、世界との差はまだまだ大きいのだ。(雑誌『Tarzan』の人気連載「Here Comes Tarzan」〈2025年7月3日発売〉より全文掲載)

取材・文/鈴木一朗 撮影/中西祐介

初出『Tarzan』No.906・2025年7月3日発売

蒲田晃輝 ロードレーサー
Profile

鎌田晃輝(かまた・こうき)/2004年生まれ。168cm、57kg、体脂肪率8%。小学校3年生で自転車を始める。松山学院高校へ進学。21年、世界選手権の出場権を得るが派遣中止に。22年、世界選手権出場。同年インターハイのロードレースで優勝。日本大学1年時の23年、全日本選手権ロードレース男子U23で優勝。25年、UCIアジア選手権の男子U23ロードレースで優勝。JCL TEAM UKYO所属。

すべては有言実行。これまで勝った試合は全部勝てると思って走っていた。

25年2月にタイで開催されたUCIアジア選手権の男子U23ロードレースで優勝したのが鎌田晃輝である。この大会ではミックスリレーと個人タイムトライアルにも出場し、すべての種目でメダルを獲得するという活躍ぶりだった。ただ、これを快挙と称えるのは失礼かもしれない。

現在、日本大学の学生である鎌田だが、高校のときのインターハイや、2年前の全日本選手権のU23ロードレースで優勝するなど、実力は日本の若手ナンバーワンの呼び声は高い。実力通りの出来だったと言うほうが、本人も納得できるはずだ。というのも、大会前の心境を聞くと、こんな言葉が返ってきたのである。

蒲田晃輝 ロードレーサー

「しっかり練習をして、コンディションも上げていっていましたから、もちろん優勝を狙っていました。自分がこれまで勝った試合って、全部勝てると思って走っているんです。すべて有言実行で勝っているんで、あんまり緊張はしなかったですね」

かなり強気の発言だが、こと国際大会に関しては、鎌田に不幸が付きまとった。最初は2021年の世界選手権だ。ジュニアの日本代表として出場するはずだった。ところが、新型コロナの流行で、ジュニアの派遣が中止となってしまった。それでも、翌年の世界選手権の出場権を得る。国内では強さが際立っていたのだ。世界選手権の本番は朝から雨。ニュートラル区間(自転車が安全に位置取りできるよう、スタート地点から車に先導される区間)が終わって1kmもたたないうちに集団落車が発生した。鎌田も巻き込まれ、それでも追走したが先頭の集団には届かず力を十分に発揮できなかった。

蒲田晃輝 ロードレーサー

「21年の派遣中止は、めちゃショックでした。腹も立ちましたし、しばらく自転車に乗る気がなくなった。1週間ぐらいへこんで、すぐ復活しましたけど。いつまでコロナが続くかわからないし。でも、続けてさえいればジュニアで日本代表入りは確実にできるというのはわかっていたので、インターハイとか目の前のレースを大事にしようと思った。それをモチベーションに、22年の世界選手権とかそういった海外の大会に参戦できればという感じで走っていたんです」

だから25年、アジア選手権での勝利は彼にとって必然だった。

やっぱり自転車って速い。すっごい勢いで風景が飛ぶ。

小学校3年生で自転車に乗り始め、その後陸上競技の長距離も行うようになる。中学校のときには陸上部に入り、1500mで大阪府大会にも出場した。今でも走るのは好きだし、陸上の道に進んでも上を目指せたという自信もある。でも、自転車にはひとつ大きな魅力があった。

「やっぱり自転車って速いじゃないですか。すっごい勢いで風景も飛ぶし、多分人力で出せる最高速度の競技だと思う。そういったことに、どんどん惹かれていったんですよね」

中学に入ってほどなく、福岡市に拠点を置くロードレースチーム〈VC福岡〉のサテライトチームに所属して本格的に練習を始める。中学の陸上部の顧問も、鎌田の脚は自転車で育まれたことを理解して、自由にさせてくれた。ただ、自らに課した練習は凄まじく、「平日は60〜70km、土日はどちらかで120kmぐらい。週2日休み、1週間で400〜500kmぐらい走っていました」と笑う。そんな彼がボコボコにされたと思うぐらい(といっても、入賞はしたのだが、彼は優勝できると思っていたのだ)負かされてしまう。西日本チャレンジロードレースがその舞台だった。

蒲田晃輝 ロードレーサー

「これは、マジでやらないとダメだと思いました。自分は練習っていうのは、とりあえず距離を乗ればいいと思っていた。でも、そのときから、ちゃんとしたメニューを自分なりにネットで調べてやっていったら、結構急に力がついてきたんです。峠のタイムアタック、ヒルクライムとかそういうのも含めて、きつい練習をこなしていったことが、今に繫がってきているんだと思います」

自転車競技の強豪である愛媛県の松山学院高校に進学。鎌田が入学したときはすでにインターハイで3連覇していた。強い選手と一緒にできる環境。負けず嫌いの彼に合っていたのかもしれない。揉まれて、磨かれて、インターハイの男子ロードレースで見事優勝を果たしたのだ。

ヨーロッパの大会のほうが全然レベルが違うと感じた。

鎌田は24年VC福岡から〈JCL TEAM UKYO〉へと移籍した。元F1レーサーの片山右京氏が設立したチームで、日本国籍チーム初の『ツール・ド・フランス』出場と、その表彰台に上ることを目標にしている。日本のトップ選手が集結しているここに入り、24年と25年の春には初のイタリア遠征も経験した。

蒲田晃輝 ロードレーサー

「レースでは、ほぼ毎日150〜160kmぐらい走って、高低差は大きいステージで4000mにもなります。(日本とはペダルを)踏む時間が違う。コースもダイナミックで、向こうの選手のレベルも高い。1回ちぎれたら(集団から遅れたら)もう追いつけないですから」

まだまだ実力不足。夢を叶えるためには、相当がんばらないといけない。

ただ、手をこまねいている暇はない。彼らとまずは対等に戦えるようになり、最終的には勝たなくてはならないのだ。そして、鎌田はそんな日が必ず来ることを信じて、日々途轍もない練習を続けているのだ。

蒲田晃輝 ロードレーサー

「たとえば60kmぐらい走って、心拍数を上げて練習できる場所まで行く。そこで15分のヒルクライムを3本とか。心拍数はだいたい180拍/分ですね。それが終わったら、また走って戻ってくる。一応、週1で休みってことになっていますが、クールダウンも兼ねて40kmぐらいちょろっと流してます。ただ、自転車の練習がしんどすぎて、他に何もやる気にならない。大学、練習、そしてたまにお気に入りのご飯を食べる場所。そこへ行ったり来たりするだけ。一日の中で練習終わって寝る前にベッドに飛び込む瞬間が一番好きです」

自転車が好き?と質問をすると、「べつにって感じです」という答え。

「これだけやっていると嫌いになるときもあれば、好きになるときもあります。もう、捉え方としては仕事ですね。はっきり、割り切っています。ただ、自転車で世界のトップになるというのは、ずっと夢として持っていたので、それは叶えたい。まだまだ実力不足。だから相当がんばらないといけないと思っています」

まずは25年9月に開催される世界選手権。目標は30位以内だ。これが世界との差だと彼は考えている。頂点を極める日はいつになるのか。期待をしながら見ていきたいものだ。