小林遥佳(ラクロス)「今日もできた。 それが自信に変わる」
初めてアジアのチャンピオンになった。3年後にはオリンピックの種目になる。代表の主将を務めた彼女の思いとは。(雑誌『Tarzan』の人気連載「Here Comes Tarzan」〈2025年6月5日発売〉より全文掲載)
取材・文/鈴木一朗 撮影/中西祐介
初出『Tarzan』No.904・2025年6月5日発売

Profile
小林遥佳(こばやし・はるか)/1999年生まれ。168cm、64kg。東海大学でラクロスを始め、2018年に関東選抜に選ばれる。21年、全国強化指定選手に。翌年にSIXES(6人制)の日本代表となり、ワールドゲームズで6位。24年、日本代表に選出される。25年、主将として女子ラクロスアジアパシフィック選手権に出場し、日本の初優勝に貢献。クラブチーム〈NeO LACROSSE CLUB〉所属。
ワールドゲームズに世界選手権と、どんどん繫がっていく。
25年1月に開催された、女子ラクロスアジアパシフィック選手権で優勝した日本代表チーム。その主将を務めたのが小林遥佳である。日本が国際大会で優勝するのは初めてで、決勝の強豪オーストラリアに勝ったのもフル代表では初めてだった。ずっと抱き続けてきた念願が叶ったわけだが、ここに懸ける意気込みは、それまでにないほど大きかった。
「この大会は今年行われるワールドゲームズと、来年日本で開催される世界選手権に重要な役割を持っていました。結果をしっかり残さないと出場権が獲得できないし、世界選手権でメダルを狙えるかどうかという対戦の組み合わせも変わってくる。だから順位にはこだわっていましたが、一方ではラクロスを楽しんで世界と戦う側面もないといけないと、個人的に思っていました。ただ、そうはいっても結果は残さないといけないから、プレッシャーは多分チーム全員にあったんだと思います」
ワールドゲームズはオリンピックに採用されていない競技種目の国際総合大会だが、実はラクロスは2028年のロサンゼルス・オリンピックで、追加種目として採用されることが決まっている。
アジアの覇者ともいえそうな、そして世界の4強であるオーストラリアに勝つことが、1月のアジアパシフィック選手権での日本代表の最大目標だった。それを成し遂げることができたのは、先へ進む大きな牽引力となるはずだ。しかし、まだ大きな差があると思われていたオーストラリアを下すことができた理由は何だったのだろう。
「これは確実に実感している部分があるんです。日本はラクロスの歴史が浅く、これまで世界を経験している選手が少なかった。でも、今は違う。それこそ中澤姉妹(こころ・ねがい。サッカー元日本代表の中澤佑二さんの長女・次女)もアメリカのルイビル大学でプレーしていて、お姉ちゃんは卒業したけど、下の子は今も現役大学生で、がんばっています。オーストラリアに留学したり、アメリカのプロリーグで活躍した人もいて、世界水準に近づきつつある。これが、日本の成長できた鍵のひとつなんじゃないかと思うんです」
最初にやったときは、みんな倒れ込んだ。
ラクロスは、クロスと呼ばれる先端に網のついたスティックで硬質ゴムのボールを奪い合い、相手のゴール(約180cm四方)に入れて得点を競い合う競技。敵味方、各10人の選手にはすばやいポジション取りや、戦術的な動きが求められるため、体力がモノをいうスポーツといえる。
しかも、独特なルールがある。ラグビーやサッカーではアウトオブバウンズ(フィールド外にボールが出ること)になったとき、最後に触れた選手とは反対のチームにボールが渡される。
しかし、ラクロスでは、シュートあるいはゴールから外れたシュートがアウトオブバウンズになった場合、もっとも近くにいた選手のチームにボールが与えられるのだ。つまり、選手は常に全速力でボールを追い続けなければならない。
「走り続ける猟犬」と経験者から喩えられるラクロス選手。持久力、瞬発力の双方が必要不可欠とされる。そのために、選手たちは日々、過酷な練習に耐えなくてはならない。
「先週もインターバルトレーニングをしました。20mの往復、つまり40mを5本、2分以内に全力で走る。それを5セットで計1000mです。今は慣れてきたんでいいですけど、最初やった時はみんな倒れ込んでトイレに吐くみたいな(笑)。セットを行うたびに、体力的にキツくなってタイムは落ちてくる。だから、記録を取って、できるだけ落ち幅が少なくなるようにしていくんです」
そして、小林が重要視しているのがファンクショナルトレーニングだ。大きな外国人選手を相手に力負けしないように、動きのスピードを上げて、より大きなパワーを出せるカラダを作り上げたいのである。
「今、私の課題が足首と股関節なんですけど、股関節なら軽い重りを持って、骨盤が立った角度を維持したまま小さくしゃがんで一気にバーンと伸ばして、パワーを爆発させたりとか。やっぱ学生の時とかは、重いのを上げればいいと思っていたんですけど、今は全然上げていない。それでも、いきなりやれって言われたら、あのころよりもカラダをうまく使って上げられると思います」
普通の公園の砂利の上で、何人か集まって練習する。
ただ、日本でのラクロスを巡る環境はいいとは言えない。社会人になるとクラブチームに所属し、土日や祝日に練習を行う完全なアマチュア選手がほとんど。ラクロス専用のグラウンドもなく、他競技のグラウンドを空き時間に借りるのが実情だ。だから、大学を卒業するときに、この競技も卒業という選手も多い。
「私は8時半から5時半が勤務時間です。それが終わったら、大学のチームに一応コーチとして登録させていただいていて、時々練習に入ったりしています。でも、いつも行けるわけじゃないので、本当に普通の公園の砂利の上とかで、何人かが集まってやるっていう感じですね。ただ、そこは電気もないんで、選手同士での押し合いとか、できることはそれほど多くないんですけど」
そんなラクロスに一筋の光が見えてきた。オリンピックである。ただし、ここで採用されたのは通常の10人制ではなく6人制。それにいかに対応できるかが、これからの課題になっていく。
もし本番でメダル圏内ということになれば、日本でもメジャー競技の仲間入りを果たすことができるかもしれない。もちろん、小林もこれに望みを託しているのだ。
「ワールドゲームズや世界選手権と、どんどん繫がっていくと思うので、そこの結果にはこだわりたいです。チームとしてはメダル獲得っていう話はしているんですけども、個人としてはまだ課題がいっぱいある。それには、練習も大切ですが、私生活の時間のほうが長いので、そこで自分を戒めることが大事だと思っています。世界に行って戦える選手としての生活をしているのか。こう自問自答しながら日々を送っています。誘惑に負けちゃう時もありますけど(笑)。仕事終わった後にトレーニングするのはイヤ、もう寝たいと思うこともある。ただ、やれば今日もできた、よかったという気持ちになれる。そして、それは絶対自信へと変わっていくはずなんです。年齢も年齢ですし(26歳)、オリンピックは集大成になる。だから、これから3年間はラクロスのことだけを考えて、進んでいきたいと思っています」