吉田雪乃(スピードスケート)「今は自分のペースを崩さずにやるのが目標」

日本が得意とするスピードスケートの500m。24—25年シーズン、大きな飛躍を果たした選手がいる。彼女は厳しい練習と向き合いオリンピックを目指す。(雑誌『Tarzan』の人気連載「Here Comes Tarzan」〈2025年5月22日発売〉より全文掲載)

取材・文/鈴木一朗 撮影/赤澤昂宥 競技写真/森田直樹/アフロスポーツ

初出『Tarzan』No.903・2025年5月22日発売

吉田雪乃 スピードスケート
Profile

吉田雪乃(よしだ・ゆきの)/2003年生まれ。167cm、56kg。岩手県立盛岡工業高校時代より、本格的にスピードスケートを始める。20年、ローザンヌユースオリンピックの女子500mで3位、NOC混合チームスプリントで優勝。22年、世界ジュニアスピードスケート選手権の500mで2位、1000mで優勝。24年、ワールドカップの初戦(長野)、第2戦(北京)で優勝。株式会社寿広所属。

世界との差がすごくて、まったく楽しめなかった。レースが続くだけ。

スピードスケートワールドカップ24—25(年)シーズンの女子500mで、総合3位に入ったのが吉田雪乃だ。彼女は長野エムウェーブで行われた第1戦で、自己ベストの37秒74で優勝。2021年、あの小平奈緒以来の快挙だ。そして、続く北京での第2戦も勝利し、トップ選手の一角へ食い込んだ。飛躍の今季は、どんな気持ちで臨んだのか。

吉田雪乃 スピードスケート

「今シーズンはワールドカップで表彰台に上がるっていうのを一番の目標にしていました。初戦が地元というか、日本の開催で結構気合も入っていたんですが、ちょっと調子が悪くて……。ドキドキして不安の方が大きいというか、本当に不安な気持ちしかなかったんですよね」

確かに24年11月に、青森県の八戸市で行われた四大陸スピード選手権ではタイムが38秒44とあまり伸びなかった。だが、4位という結果は残しているのである。

「多分、滑りのタイミングがずれていたっていうのがあって、長野に入っても調子があまり戻らなかった。全体的に重い感じがしていて、カラダの切れがイマイチだと感じていたんです。だから、なんであんなタイムが出たんだろうって不思議なぐらい。でも、嬉しかったです(笑)」

吉田雪乃 スピードスケート

滑り終わったあと、自己ベストより速いタイムを表示した電光掲示板を見て、一緒に滑った同走者と「どっち(のタイム)だろうって。ポワポワしていた」と話した吉田だが、その勢いのまま、2戦目に臨んだ。

「あのときは、(1戦目から約1週間で)カラダの疲れも残っているから、できることをやろうと思っていました。だから、優勝したときは、“あれ、なんで勝ったんだろう”っていう感じ。狙っていなかったから、本当に気持ちだけの勝利でしたね」

初めて出て4位になった。意外にイケるかなと思った。

吉田は一昨年のシーズン(23─24年)にワールドカップに初参戦した。ジュニアでは早くから逸材とされていたが、シニアの世界に飛び込んだときに驚いたことがあった。

吉田雪乃 スピードスケート

「シニアの代表に入ってから、自分の位置がどこなのかが、本当に未知な状態でした。それで、ワールドカップに初めて出て4位になってしまった。これは意外にイケると自分の中で思っていたら、やっぱそう甘くはないということがすぐわかって(笑)。そのまま一年が終わりました。本当に世界との差がすごくて、まったく楽しめなかった。レースが来て、レースをして、終わったというのが続くだけ。今思うと、一本一本に懸ける思いとか、そのとき何をしたいかっていうのを考えていればよかったと、今さら悔やんでいますね」

大きな差をどう縮めていくか。その方法は、自分ができていなかったと思ったことをもとに、トレーニングを再構築していくことだった。

「2024年は4月から結構ハードなトレーニングをしていましたね。たとえば自転車(スピードスケートの夏のトレーニングは自転車に乗るのが普通)なら長時間漕ぐということはあまりしないで、わっと心拍数が上がるような練習。(日本代表の)合宿にも参加しましたが、長野の湯ノ丸という場所で標高が1700m以上あります。そこで12kmほどの距離の上りを漕ぐ。自分にとって初めての経験で、1時間ぐらい心拍数が190拍/分みたいな状態が続く。その合宿では全部きついメニューで、それができちゃったから、もうイケるって思って5月からどんどん入れていくようにしたんです」

持久力、瞬発力ともに不可欠なこの競技では筋力も重要になる。吉田は4月からウェイトトレーニングにも着手した。とくに重要視したのがスクワットであろう。重心を低くして力を発揮するのはスケートに通ずる部分がある。しかし、最初の頃には、うまくいかなかったようだ。

吉田雪乃 スピードスケート

「すごく下手くそで、すべてイチからやっていきました。それで少しずつ良くなっていった。前までは重さを持たなくてはダメと思っていたのですが、重さよりもフォームで上げることが大切で、それがスケートのフォームにも生きていったんです」

また、1000mという種目に対応できるように強化したのも大きかった。楽とは言わないまでも、これまでより余裕を持って500mを滑れるようになった。さらには監督、コーチ、トレーナーが総がかりで吉田を見守ってくれた。滑りのちょっとした変化を敏感に読み取り、そのつど対処してくれたのである。こうして、総合3位という成績が残せる選手へ、吉田は成長したのだった。

経験値は上がった。でも課題も見えてきた。

ただ、もちろん今の吉田は現状に満足しているというわけではない。

「24—25年シーズンは経験値を上げる目的は達成できましたが、新たな課題もたくさん見えてきた。自分の中で振り返って点数をつけたとしても、まだまだ低いと考えているんです」

課題がたくさん見えたというのは、選手としては素晴らしいことであろう。見えなくなったら、それ以上は望めなくなってしまう。豊かな伸びしろこそ、選手の未来を支えるのだ。では、具体的な課題とは何なのか。

吉田雪乃 スピードスケート「総合で3位になってしまったのは、まだ勝ち切れる力がついてなかったことが原因だと思います。全体的には、去年に比べると安定した滑りはできていたんですけど。それに、メンタル面でも結構やはりトップの選手に比べると弱かったですよね」

現在、この課題と向き合いながらトレーニングの日々を送っているのだ。そして、26年にはイタリアで冬季オリンピックが開催される。氷上、雪上の選手たちにとって、もっとも大きく、華やいだ舞台である。吉田はここでどんな活躍をするのか、今から大きな期待をしてしまうのだ。

「まだ他の選手に比べると、自分は何も完成していないと思うんです。だから、技術を固めていくことと、根本的な部分をしっかりさせることが大切になってきますね。滑り自体が固定できてないっていうのが、一番の課題だと考えています。調子がいいときには簡単にできることが、調子が悪いときには自分で修正することができない。ここが、弱いところだと思っています。理想の滑りを見つけていけたらいいですね。ただ、今は自分のペースを崩さずにやっていくのが目標なんです。実際、何をやっても伸びる年というのは誰にでもあるんですが、自分の可能性を信じていつも通りにやっていきたい。まわりにはサポートしてくれる人がたくさんいるので、その人たちの助けも借りて、オリンピックを目指していければと思っています」