
森井翔太郎(野球)「自分を俯瞰するのが大事」
小中高一貫の難関進学校から、いきなりアメリカへと渡った。前代未聞、スケールの大きい青年の向かう先は……。(雑誌『Tarzan』の人気連載「Here Comes Tarzan」〈2025年4月3日発売〉より全文掲載)
取材・文/鈴木一朗 撮影/中西祐介
初出『Tarzan』No.900・2025年4月3日発売
Profile
森井翔太郎(もりい・しょうたろう)/2006年生まれ。184cm、89kg、体脂肪率13パーセント。桐朋学園小学校1年時に住吉ビクトリーで野球を始める。2年時からは武蔵府中リトルに移り、4年、5年のときに全国制覇。6年時には西武ライオンズジュニアに選出される。桐朋中学1年秋からは同校の軟式野球部に所属。高校では硬式野球部で1年時からレギュラー。今年、大リーグのアスレチックスとマイナー契約。
シングルAは始まりだが、やるべきことをやればやっていける場所だと思う。
「速いですよ」。スポーツを中心に撮影しているフォトグラファーが感心する。目の前では高校生が(25年3月に卒業したが)、黙々とティーバッティングを続けている。この青年がMLBの〈アスレチックス〉とマイナー契約を結んだ森井翔太郎である。最速153km/hの速球と、高校通算45本塁打の投打二刀流として早くから注目されていた彼は、会見でアスレチックスについて「二刀流で高く自分を評価してくれた」と述べた。人生の大きな決断だったが、それに至るまでを説明してくれた。
「2024年の9月にプロ野球志望届を提出した後、家族でアメリカに行ったんです。マイナーは環境が過酷だということも聞いていたし、実情がわからなければメジャーに行くっていう決断はできない。実際にシングルAの試合も見ました。やっぱりプロなのでレベルが違った。たとえば、その年のドラフト1位で入った選手もいたのですが、その人が抑えられてしまう。大学で打ちまくっていても、通用しない世界っていう認識を持ちました。でも、自分がやるべきことをやれば、やっていけるところだとも思った。まったく気を抜くことはできないし、シングルAは始まりでしかないのだけど、ここからやっていこうと思ったんです」
それにしても、これは前代未聞の出来事だ。森井の学んだ東京の桐朋は小中高一貫の難関進学校。だからというのも変だが、スポーツは自主性を重んじて、生徒に考えさせるのがモットーのようだ。甲子園の強豪校のような張り詰めた毎日はない。森井が高校3年生のときの夏の甲子園西東京大会も初戦敗退だった。疑問なのは、そんな雰囲気の中で過ごした人間が、トップの観察者(つまり日本やアメリカのスカウトマン)に認められるような存在に、どうしてなり得たのかということだ。でも、彼は実際になったのである。
周りを巻き込んで逃げ道を作れなくする。
桐朋学園小学校へ通う傍ら、始めたのが野球。リトルリーグのチームに入り、小学校4年、5年には日本一になった。つまり、同世代のトップ選手の一人であり、当然プロになりたいと思うようになった。ところが、中学1年のとき試練が訪れた。
脊椎分離症。運動による負荷を成長期のカラダが支え切れなかったか。方針の変更を余儀なくされる。桐朋中学の軟式野球部に入り直したのだ。これは、大きなリスクである。硬式球と軟式球では動きはまったく異なるし、野球のやり方自体も変わってくる。しかし、森井は「中学での時間はリハビリに充てる」と決めた。中学1年生が将来を見据えて、この難しい判断をしたのは驚きである。
助けとなったのが母の存在。ヨガのインストラクターで、カラダを整えるプロである。二人で相談しながら、安全なトレーニングメニューを作り上げていった。そして、このメニューは今でも彼の練習前の欠かせないウォームアップとなっている。
「たとえば胸郭の使い方。ピッチングではここの動きをすごく大切にしているんです。テイクバックでは胸郭が開いて、投げるときには閉まる。では、どうしたらそれができるようになるのかを、母と話しながらやる感じです。母もですが両親とも自分をすごくサポートしてくれているので、もう本当に感謝しかないです」
高校もそのまま桐朋へ。プロになるなら、強豪校というのが普通の考え方だ。今、活躍する選手の出身校を見れば、それはすぐ理解できる。
「もちろん迷いました。でも、性格的に自分で考えるのがすごく好きだった。プロになるなら、人にやらされてばかりじゃダメだなとも思っていたんです。逆に自分でできなければ、才能がなかったということ。だから、自分でやることこそ、プロに繫がっていくと思っていたんです」
高校での練習を実際に見せてもらったのだが、よく言えばチームにまとまりがある。全員の仲が良い。ところが互いに競い合うような緊張感はあまり感じられなかった。こんな中で3年間、どのように自分を律していったのか、想像が難しい。
「両親に助けてもらったし、田中(隆文)監督にも多くの助言をもらいました。自分は周りをどんどん巻き込んでいくので、逃げ道は作れなかった。やらないことは、その人たちを裏切ることになる。それに、自分を客観視してみる、俯瞰するというのがすごく大事なことで、一人でやっていても一人じゃないということは強く意識して練習しました」
それが、結果に結び付く。現代の利器も森井に味方した。彼のプレイした動画が拡散され、無名の青年は遠く離れたアメリカでも大きな注目を集められるようになっていった。
アスレチックスは上がれるチャンスがある。
2025年1月、契約を済ませた森井はアメリカで約1か月練習して帰国した。アスレチックスはどう映ったか。
「風通しがいいチームって表現を使ってます。若手が多く、チーム全体で選手の育成に力を注いでいる。今は常勝軍団ではなく、その途中にあって他のチームより自分が上がれるチャンスがある。それで選手同士が競って強くなればと思いましたね」
帰国に際し、アスレチックスからもオファーがあった。毎日のメディシンボール投げと週4日のウェイトトレーニングである。カラダはまだ成長期、さらに大きくなるはずだ。
「ボールを投げるのは体幹を強くするためですね。ウェイトトレーニングは基本的なメニューですが、向こう(アメリカ)で始めました。いや、もう全然違います。体重が3kgぐらい増えたし、実はまだ身長も伸びているんです。ただ、筋肉がついて走れなくなるのは困る。自分は走れないといけない選手だと思っていますから。ちょうどいいバランスを探していきたい。大谷(翔平)さんはホントすごい。全然届かないです」
ただ、すでに大谷をはじめとする日本人大リーガーと同じ土俵に立っているのは確か。今は高校を卒業し、マイナーのキャンプからリーグ戦という毎日を送っているはずだ。どのような選手になるのだろう。
「マイナーには5つのクラスがあって、1つを1年で上がれば5年。それぐらいでメジャーに行きたいですね。ただ、自分は練習をやりたいタイプなんですが、コーチは焦るなと言う。1年目はケガなく健康に過ごすことが一番らしいんです。心境は複雑ですけど、これからのキャリアを考えると、まず1年目はすべてに慣れることが大事なんでしょうね」
持ち前の精神力の強さを生かして、頂点を目指してもらいたいものだ。