村佐達也(水泳)「最大の目標は 水泳を盛り上げること」
高校に入学してから種目を変更して、たった3年でオリンピック選手に。彼はこの先どこまで成長を続けるのか。(雑誌『Tarzan』の人気連載「Here Comes Tarzan」〈2025年6月19日発売〉より全文掲載)
取材・文/鈴木一朗 撮影/中村博之
初出『Tarzan』No.905・2025年6月19日発売

Profile
村佐達也(むらさ・たつや)/2007年生まれ。178cm、65kg、体脂肪率7%。2歳で水泳を始め、愛知県の名鉄スイミング刈谷で指導を受ける。中京大学附属中京高校1年時にこれまでの1500m自由形から200m自由形に転向し、23年のインターハイで優勝。同年、国際大会代表選手権3位。24年、パリ・オリンピック4×200mフリーリレーで7位。25年、日本選手権の200m自由形で優勝。イトマン東京所属。
一人で世界と戦う。オリンピックを経てそれを自覚するようになった。
25年3月に開催された競泳の日本選手権。世界選手権代表選考会も兼ねた大会であり、男子200m自由形で優勝したのが、村佐達也だ。タイムの1分45秒67は高校記録で、このとき高校生だった彼は今春進学を果たし、中央大学の1年生となっている。まずは、日本選手権直前の心境を語ってもらうことにした。
「初めて日本代表を狙える立場で出場した大会ですし、もちろんそうなりたいと思っていました。周りからも期待されていたので、プレッシャーや緊張感はすごくありました」
優勝で世界選手権を戦う切符を手にした。願いは叶ったわけだ。ただ、泳ぎ終わった彼には、少なからずの不満が残った。それが、1分45秒の壁だ。この壁を越えた日本人は日本記録保持者の松元克央だけで、タイムは1分44秒65である。
「すごく調子が上がっていたので、コーチからもイケるかもという話があったんです。前半(最初の100m)を51秒0で入れば1分54秒台を狙えると考え、練習でもそれぐらいのタイムで泳いでいました。それで、(日本選手権の)予選がすごく良くて……。軽い感じで泳げて前半は51秒0だったんですけど、自分の感じでは決勝はもうちょっといけるんじゃないかと思っていました。だから自己ベストは出せたのですが、ちょっと残念という感じですね」
実は、この大会のほぼ1年前にも、村佐は大きな大会を経験している。それが、パリ・オリンピック日本代表の選考会だ。彼はここで3位に入り、4×200mフリーリレーの代表に選ばれ、パリでは7位入賞を果たした。ただ、このときは彼が言うところの「日本代表を狙える立場」ではなかった。だから、試合に臨む気持ちもまったく違った。
「あのときは、あまり緊張していませんでした。自分が一番若かったし、決勝でも高校生は僕だけ。オリンピックにも、絶対行きたいっていう強い気持ちはなかった。行けたらいいなというぐらい。なので、とにかくその舞台を楽しめたらなんていうふうに思っていたんですね」
たった1年で起きた心境の変化。それは、もちろん彼の成長の証しであるのだが、オリンピックを経験したということも大きかったのだろう。
「一人で世界と戦わなければいけないっていう自覚が生まれましたね。リレーでの出場だったけど、それだけじゃダメだと思いました。個人で戦いたい。(オリンピックの決勝では)隣が中国の選手だったんですけどラストにいい感じで抜くことができて、2つ隣がオーストラリアでそれも見えていた。だから、それなりに手応えもあったけど、世界との距離もわかった。それに、すごく単純なんですけど、個人で戦う選手がめっちゃかっこいいなと思ったんです。そうなれたらいいなって」
きつい練習ばっかり。それで精神的に強くなった。
2歳で水泳を始めたが、中学校までは無名だった。取り組んでいた種目は1500m自由形。高校から200mに転向して、ここから目覚ましい活躍を見せる。何といっても、たった3年で、オリンピック選手にまで上り詰めたのだ。ただ、本人にとって、それは必然だったようだ。
「傍からすれば、すごい急成長をしているように見えると思いますが、自分では自分がこれまでやってきたことはわかっている。ずっとタイムが伸びないときもありましたが、やってきたことに自信があったので別に不思議ではなかったです」
1500mという長い距離でまず大事になるのは、いかに水の抵抗を受けずに泳ぐかということ。村佐の泳ぎはカラダを浮かせて水の上を滑るように進むというのが大きな特徴だが、これは1500mで培ったものだろう。そして、メンタル面もハードな練習によって鍛えられた。
「レースもすごく長いんですけど、練習もみんなとは別メニューでやっていたんです。時間は長いですし、きつい練習ばっかり。それで精神的にも強くなったと思っています」
種目を変えることに抵抗はなかった。むしろ、200mのほうがやっていて楽しかった。そして、村佐が躍進できたのには、はっきりひとつのきっかけがあった。それが、同年代の日本代表の選手たちである。
「高校生の日本代表の合宿に参加して、速い人たちと一緒に練習することができたんです。そこで、めちゃくちゃ差があるなって思って。たとえば(100m)1本マックス(の速度で泳ぐ)なんていうのがあるんですが、インターハイのメダルラインのタイムを出したり、自己ベストに近いところで来ちゃう選手がいっぱいいる。自分はそんなに練習が強いタイプではなかったので、何か全然違うなと感じて、それが刺激になったということは大きかったです」
水泳は面白いスポーツ。それをわかってもらうため世界一が必要になってくる。
今、村佐は中央大学に通いながら、イトマン東京に所属して〈AQIT(アキット)〉で練習を行っている。AQITはトップスイマーを育成するための練習施設で、日本初のオリンピック仕様公認競技用プールを備えているほか、トレーニングルーム、食堂など選手にとって最高の練習環境が整えられている。ここで朝夕の2回約2時間を泳ぎ、週3回のウェイトトレーニングをこなしている。
「ウェイトは今年に入ってから始めましたが、体格的にはそんなにデカくしたくないと思っています。僕の泳ぎはカラダを浮かせることが大切だし、水に対して抵抗になってしまうのも困る。だから、ガチガチにしすぎないで、必要なところを強くしていきたいです。自分の理想の泳ぎはやっぱり力ではなく、テクニックが重要だと考えているんですよ」
大学へ通い、あとは練習に明け暮れる日々。唯一の趣味は香水で、休みの日にはウィンドーショッピング。ただ、単調と言えば、これほど単調な生活はない。たまにイヤになりませんか?と聞くと、「水泳好きなので楽しいです」と笑う。彼の歩みは、まず7〜8月に行われる世界選手権。そして、2028年のロサンゼルス・オリンピックへと続く。
「今のタイムではベストを出しても、世界選手権やオリンピックではやっと決勝に残れるぐらいです。自分的には44秒台か45秒台前半は全然出せると思っていますし、狙ってもいいところでは狙いたい。ただ、僕の最大の目標は、水泳を盛り上げたり、水泳の魅力をあまり知らない人たちにも伝えたいということなんです。すごく面白いスポーツでもありますし、やっていて本当に楽しいので。それをわかってもらうためには、僕が注目される必要があると思う。そこで世界一っていうのが必要になってくると考えているんです」