松下知之(水泳)「表彰台から見た景色はすごかった」

18歳という若さで銀メダリストとなった。ただ、まだ彼には越えなくてはならない、マルシャンというとてつもなく高い壁があるのだ。(雑誌『Tarzan』の人気連載「Here Comes Tarzan」〈2025年1月4日発売〉より全文掲載)

取材・文/鈴木一朗 撮影/中村博之

初出『Tarzan』No.894・2025年1月4日発売

Profile

松下知之(まつした・ともゆき)/2005年生まれ。178cm、74kg、体脂肪率12%。22年、ジュニアパシフィック選手権の200m個人メドレーで2位、100mバタフライと800mフリーリレーで3位。同年、世界ジュニア選手権で200m個人メドレー2位。23年、世界ジュニア選手権の400m個人メドレーで優勝。24年、パリ・オリンピックの男子400m個人メドレーで2位。現在は東洋大学で平井伯昌氏に師事。

太腿が痙攣するように震えた。ココロは落ち着いていたから、不思議な感覚だった。

2024年のパリ・オリンピックの競泳で、日本に唯一のメダルをもたらしたのが松下知之である。400m個人メドレーの銀メダル。18歳の青年である。10代でのメダルは2021年の東京での本多灯に続く快挙だった。本多も松下もメダル最有力とは予想されていなかったが、本番で驚くべき力を発揮した。松下の場合、戦う相手には地元フランスの怪物、レオン・マルシャンがいたし、日本の第一人者・瀬戸大也もいた。

松下友之 水泳

それでも、北島康介さんをはじめとして数々のオリンピック・メダリストを育て上げ、今は松下も指導している東洋大学水泳部の監督・平井伯昌さんが、「大舞台で力を出せるやつはそういない。持っているなぁ」と、感嘆する力泳を見せた。幼い頃からオリンピックを夢見ていた若者である。決戦前夜、まずはオリンピック選手村に入れたことが、よほどうれしかったようだ。

「特別な場所にいるっていう感じがあって、子供の頃から夢見ていた場所にいるのがなんか不思議でした。ただ、送迎のバスが遅れたり、食事が十分でなかったりと、不安もありましたが、自分のレースが近づくにつれてそういったことは解消されて、前日は落ち着いていたと思います。これは、試合後の話なんですが、柔道の斉藤立選手や阿部一二三選手に“おめでとう”って声を掛けてもらったりして、スゴイなって……」

松下友之 水泳

雰囲気には慣れた。落ち着いてもいる。レースは自分なりに計算できた。松下は前半を抑え、最後の自由形で巻き返すのが戦い方。ただ、抑えすぎてしまうと、世界のレベルには達しない。緊張はしていないつもりだったが、カラダは反応した。

「太腿が痙攣するみたいに震えたんです。でも、ココロは落ち着いていたので、何だか不思議な感覚だなっていうぐらいで。武者震いだったんですかね。でも、スタート台まで歩いていく間に、普通に戻った。これは、大丈夫だなと思いましたね」

笛が鳴ってスタート台に立つ。ここから松下の勝負が始まったのだ。

18歳だから4年後もある。失敗しても平気だと思えた。

はっきりパリを目標にしたのは前年の5月から。ヨーロッパグランプリに遠征した。松下にとっては初の経験であるし、過酷な内容であった。まずはパリの前哨戦である、日本の代表選考会をクリアするためだ。

「グランプリは連戦です。移動とレースの繰り返しで疲れが残ってキツかった。一つの大会で400m、200mの個人メドレーの予選、決勝で4本泳ぐ。それから、違う場所へ行ってまたレースって感じでした」

松下友之 水泳

修行(?)はこれだけでは終わらない。スペインのシエラネバダへと向かい、標高約2300m地点での高所トレーニングを行ったのである。

「高所は、初めてだったんです。全然違います。階段を上るだけで息が上がるような場所なので、そのなかで普段とほとんど変わらない練習をするのは、しんどかったですね」

眼が眩むほどの有力選手が同行した。平井監督が育て上げた、大橋悠依、青木玲緒樹、竹原秀一。皆、東洋大学出身か在籍の選手で、その実力は誰もが知るところであろう。

「そういう選手から話を聞くのが好きなので、いろんなことをしゃべってもらった。それでオリンピックが自分のことのように感じられるようになったのは、大きかったですね」

松下友之 水泳

そして2024年3月。パリ五輪日本代表選考会が行われた。代表になるには派遣標準記録を越えることが必要だが、競泳では厳しいタイム設定となっていた。そのためトップスイマーが次々と消えていくという現象が起こった。そんななか、松下は4分10秒04という自己ベストで見事、代表を手中に収めたのである。

「18歳だから失敗しても平気だと思うことにしていました。4年後もあるし。そういう感じで臨めたのがよかったんだと思います。ただ、あのときは死ぬ気で泳いだんですけど」

マルシャンは速すぎて、すぐに見えなくなった。

パリ本番、午前に予選が行われた。全体5位で決勝進出。瀬戸は3位だった。ただ、この泳ぎで決勝へ向けての修正点をしっかりとつかんだ。

「泳いだあとにどこが悪かったかを分析するのは得意なんですよ。水泳はリズムが大事なんですが、予選のときは平泳ぎでちょっとそれが速かった。だから、腕や脚が伸び切らなくて、それでタイムをロスしていた部分があったんです。それを直して、ラストのクロールも1秒ぐらい上げればいけるかなと考えていました」

松下友之 水泳決勝ではやはり最初からマルシャンが飛び出す。「速くて、すぐに見えなくなりました」と、松下は笑う。それほど抜きん出た存在なのだ。松下は前半を6位で折り返し、350mで4位に浮上。そこから、得意のクロールで追い込みをかけ、2位でフィニッシュした。タイムは4分8秒62。自己ベストを1秒以上も縮めた。ただ、4位との差が0秒23という激しい混戦でもあった。

「メダルをかけてもらったとき、初めてやったんだなって実感しました。表彰台から見える景色っていうのが本当にすごかった。やっぱり、マルシャンの地元ですしズバ抜けて速いから、彼の大会という感じがあった。そんな中で日の丸が上がって、それが見られたのがうれしかったです」

今すぐというのは厳しいが、4年後にやってくれるはず。そんなふうに自分に期待している。

次なる目標はもちろん金メダルである。しかし、壁は限りなく高い。パリでのマルシャンの記録は4分2秒95、オリンピックレコードだった。松下とは6秒近くの差があるのだ。ただ、オリンピックの半年ほど前から始めた筋力トレーニングの成果も徐々に出つつある。カラダは大きくなっているし、パワーもついてきている。それに、まだ19歳。あるのは、伸びしろばかりなのだ。

松下友之 水泳

「オリンピックが終わったあと、しばらくはすごくしんどかったんです。あのときの泳ぎの、すごくいい感覚が残りすぎていて、それと同じことがまったくできない。考えると当たり前なんですが、同じことなんかできないのに近づけない、近づかなきゃという気持ちばかりが先行して、とてもイヤでしたね。ただ、オリンピックのときの泳ぎも、完全ではなかったことに気づいた。よくなかった種目もあったので、ちょっとずつ泳ぎを変えていこうと考えだしたら、また新しいチャレンジ精神が生まれてきた。そうすると、自分の中ではまだ勝てる可能性があるんじゃないかと思えるようにもなりました。今、すぐに勝てって言われたらもちろん厳しいんですが、4年間という期間があればやってくれるんじゃないかってふうに自分に期待しています」

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