
教えてくれた人
山田悟(やまだ・さとる)/慶應義塾大学医学部卒業。日本糖尿病学会糖尿病専門医・指導医。カロリー制限中心の食事療法から、緩やかな糖質制限食への大転換を図るパイオニア。医学博士。
運動のメインエネルギーはアブラだ!
運動に限らず、カラダのエネルギー源は糖質と脂肪。
「体脂肪を燃やす」というと特別に聞こえるが、日常のエネルギー源は主に脂肪。ウォーミングアップ程度の軽い運動までは、必要なエネルギーの90%近くを脂肪が供給する。ややきつめの運動でも、同じく60〜70%は脂肪が賄う。カラダの主要なエネルギー源は、間違いなく脂肪なのだ。
これは体内に貯められる糖質と脂肪の量の違いからも明らか。
糖質はグリコーゲンという形で筋肉と肝臓に貯められている。その量は合計300g前後。糖質は1g4キロカロリーなので、1200キロカロリー分である。
脂肪は主に脂肪細胞に貯蔵される。体脂肪率10%とかなりスリムな体型でも、体重65kgなら6.5kg。体脂肪は1g7.2キロカロリーなので、4万6800キロカロリー分。糖質の約40倍にも達するのだから、脂肪がメインエネルギーなのは自明だろう。
運動強度によるエネルギー源の違い。

軽い運動までは、血中の糖質と、脂肪細胞の中性脂肪を分解した血中の脂肪酸を使う。強度が上がると、グリコーゲンを分解して作った糖質、筋肉内の中性脂肪も追加投入される。いずれも脂肪の割合が多い。
出典/Am J Physiol. 1993 Sep; 265(3 Pt1): E380-91
2〜4週間で 「脂質適応状態」に 切り替わる。
糖質を控えて油から摂るオイルファーストは、変わった食事法と思われるかもしれない。
でも、スポーツの世界では、すでに広く受け入れられている。それが「ファット・アダプテーション(以下ファットアダプト)」というもの。日本語にすると「脂質適応状態」だ。
「カラダのメインのエネルギー源は脂肪なのに、糖質を食べすぎて油を控える食生活を続けると、脂肪をエネルギーに変えるのが下手になる。そこで、脂肪を優先的に使う方が有利だと体験的に知ったエリートアスリートが、こぞって糖質を控えたオイルファーストを始めるようになったのです」(北里研究所病院の山田悟医師)
糖質主体から脂質主体のエネルギー体系へ「適応」するのに、糖質を控えてオイルファーストにしてから2〜4週間ほどかかる。4週間を越えると準備完了。エネルギーが効率的に生み出せるので、運動パフォーマンスは上がる。

長友佑都(ながとも・ゆうと)/FIFAワールドカップ4回連続出場。無尽蔵のスタミナで知られる長友選手を支える食事法がファットアダプト。2017年からは山田先生が栄養面のアドバイザーを務めている。その食事法の詳細は『長友佑都のファットアダプト食事法』(幻冬舎刊)に詳しい。FC東京所属。
運動選手がアブラを控えすぎるのはキケンだ。
ファットアダプトが広がりつつあるとはいえ、「油は太る」という誤解から、抵抗感を持つ選手も少なくない。とくに体重が軽い方が有利な陸上長距離、体操、フィギュアスケート、そしてボクシングなど階級制競技の選手だ。
だが、体重増加を嫌って油を控える食事制限を続けると「ロー・エナジーアビリティ(LEA)」という危ない状況を招きやすい。
エナジーアビリティ(EA)とは、1日の摂取カロリーから、運動などによる消費カロリーを引いたもの。基礎代謝、女性の月経といった生体機能を正常に保つのに必要なエネルギーだ。これが、除脂肪体重(筋肉、骨、内臓、体液などの重量)1kg当たり1日30キロカロリーを下回るのがLEA。
アメリカで若手男子体操選手を調べた結果、約86%がLEAだったとか。彼らは糖質を1日平均250g前後摂っているから、それを減らした分、油を増やしてファットアダプトするのが正解。
筋トレにも糖質は必須なのだろうか。
筋トレのように高強度&瞬発的な運動では、糖質の利用率はそこそこ高くなる。それでもファットアダプトを貫いていいのか。
答えはイエス。トレーニーが行う筋トレは、長くても1セッション40〜60分ほど。これくらいなら筋肉に蓄えたグリコーゲンの動員で必要な糖質はカバーできる。
筋トレの狙いは、筋肉を大きくすること。そのためには、材料となるタンパク質以外に、糖質を摂るのがより有効とされる。糖質を摂ると分泌されるインスリンが、筋肉の成長を助けるからだ。
ただインスリンは糖質(血糖)を脂肪細胞へ導くため、筋合成とともに体脂肪合成も促す。筋肉がついても、体脂肪が邪魔したら、メリハリボディには近づけない。
ファットアダプトでも、筋合成に役立つ最小限のインスリンは出る。糖質摂取を最小限に抑えつつ、タンパク質を積極的に摂っていれば、無駄な体脂肪を排除しつつ望んだ筋肉が養えるのである。

和田毅(わだ・つよし)/日米通算165勝のレジェンド投手。登板前日のカーボローディングが長年の習慣だったが、2022年オフに山田先生と出会い、ファットアダプトへ転向。足がつらなくなり、スタミナが上がり投球イニング数が増えるという効果を実感したという。
運動直前の糖質摂取でむしろパフォーマンスは下がる。
ファットアダプトを知らずに、「糖質は運動のエネルギー源だから、ゼリー食品などから糖質を摂ってからカラダを動かすのが習慣」というタイプもいるだろう。
でも、運動前に糖質を摂り血糖値が上がると、インスリンが出て血糖値を下げる。インスリンは、運動と無関係の筋肉や脂肪細胞にも血糖を導くため、肝心の筋肉がエネルギー不足となりパフォーマンスは低下。さらに、血糖値が下がりすぎて低血糖に至るのを恐れる脳が、運動量を抑えようとする。脳の努力が無駄に終わり、血糖値が下がりすぎる「反応性低血糖」に陥ると、カラダがまったく動かなくなる恐れもある。
「運動前と最中に糖質などのカロリーを摂取しない実験をすると少なくとも75分、最大2時間はカロリー摂取なしで運動できます」
運動前も最中も糖質補給は不要だが、脱水を防ぐ水分摂取は必須。甘いスポドリではなく、糖質を含まないミネラルウォーターで!
カーボローディングは不要かもしれない。
レースに備えて少なからぬ市民ランナーが取り組むのが、カーボローディング。直前に通常より多くの糖質(カーボ)を摂り、筋肉内にグリコーゲンとして糖質をより多く蓄えようという作戦である。
でも、ファットアダプトなら、カーボローディングは不要。脂肪が上手に使えたら、糖質の節約につながるから、無理してグリコーゲンを貯めなくていい。しかも、ファットアダプトで低糖質・高脂質食のアスリートは、高糖質・低脂質食のアスリートと比べ、筋肉のグリコーゲン量に差はないこともわかっている(下グラフ参照)。
日本人の2人に1人は、糖質の過食で血糖値が急に上がる食後高血糖を起こす恐れがある。そんなタイプがレース前に糖質をバカ喰いすると、毎度高血糖状態に陥る。年何回も市民マラソンに参加し、そのたびにカーボローディングを行っていると、いずれ血糖値を下げる能力が疲弊して糖尿病へ至る危険もある。
筋グリコーゲン量の違い。

ウルトラマラソンとアイアンマンディスタンスのトライアスロンの選手20人が協力。2群に分け、高糖質・低脂質食(HC)、低糖質・高脂質食(LC)を平均20か月摂取して比較。高強度の有酸素運動を180分行って比べると、両群で運動前中後の筋グリコーゲンの貯蔵量に違いはない。
オイルファーストで持久力が上がる理由とは?
持久力を上げるには厳しい練習が求められる。駅伝やマラソンの選手が、月間1000kmといった気の遠くなるような走り込みを行う所以だが、そんな超人的な努力をしなくてもオイルファーストで持久力は十分アップする。
オイルファーストで油を多く摂ると、血中に脂肪酸が増える。脂肪酸は油(中性脂肪)の分解で得られるエネルギー源。筋肉など全身の細胞で盛んに消費される。
脂肪酸はエネルギー源となるだけではなく、筋肉細胞内の遺伝子のスイッチを入れる働きもある。さまざまな指令が書き込まれた遺伝子を読み出す「転写因子」の活性化を介し、筋肉内でエネルギーを生み出すミトコンドリアを活気づけたり、ミトコンドリアの数を増やしたりするのだ。
持久的トレーニング×オイルファーストなら鬼に金棒。それで50km競歩という超過酷な競技で五輪金メダルをゲットしたのが、トート選手である。

マテイ・トート/スロバキアの競歩を専門とする陸上選手。2014年から糖質制限とファットアダプトを実施。15年の世界選手権50km競歩で優勝、翌16年のリオ五輪では同種目で金メダルを獲得する。カリフォルニア大学もその食事法に注目して研究した。
血糖値を測りながら運動する時代が来ている。
運動中に心拍数を計測するのはもはや常識。心拍数のモニタリングにより、いまの運動が目的に合うかどうかが一目瞭然だからだ。
さらに今後、心拍数に加えて血糖値を測りながら運動する時代がやってくるかもしれない。
その最先端を行くのは、エリウド・キプチョゲ選手。フルマラソンの距離を、2時間を切るタイム(ただし非公認)で走った唯一のアスリートとして知られる。
キプチョゲ選手は、血糖値の変化をリアルタイムに知らせる「CGM(持続血糖モニタリング)」と呼ばれるセンサーを装着。血糖値を測りながら日々のトレーニングに励み、CGMを「ゲームチェンジャー」と激賞する。
「血糖値が乱高下すると、パフォーマンスは定まりません。キプチョゲ選手がファットアダプトを実践しているかどうかは明らかではありませんが、血糖値を安定させるために、おそらく油の摂取を重視しているのだと思います」

エリウド・キプチョゲ/ケニアの陸上選手。リオ五輪と2021年の東京五輪の男子マラソンで金メダル。マラソンの公式記録は2時間01分09秒で世界歴代2位。彼が所属するNNランニングチームはCGMのトップブランド〈アボット〉とパートナーシップを結ぶ。



















