「沈黙の時間のすゝめ」文/岡橋惇|A Small Essay

文/岡橋惇 写真/編集部

文・岡橋惇

中学1年生のときから、親元を離れて寮で生活をしていた。寮生活には、大浴場での風呂の入り方から洗濯機の使い方まで独特のルールやカルチャーがあり、またそれらを表す言葉も存在した。

例えばテスト期間になると、早朝に起きてテスト勉強をすることを「朝勉」、消灯後に夜遅くまで頑張ることを「夜勉」と呼んでいたり(朝勉中にマグカップで食べる無印のミニラーメンは格別だった)、夕方6時半以降は外出禁止だったので週12回ほど寮の敷地内のプレハブ小屋にできる特設コンビニは生徒たちから「出張ファミマ」の愛称で呼ばれていた。

他にも変わったしきたりや言い回しが色々とあったのだけど、いま振り返ってみて印象に残っているのは、毎晩7時半から9時半の「沈黙の時間」という時間だった。いわゆる学習タイムのようなもので、宿題や読書をするための時間だったけれど、部活で汚れたジャージを洗濯したり、勉強をせずに同部屋の友達たちとくだらない話をして過ごすことも多かった。

ただその2時間だけは皆、普段は大音量で流している音楽もヘッドフォンで聴き(当時は一人一台CD/MDコンポを持っていた)、いつもちょっかいを出しあっている友達同士でも相手が机に向かっていればできる限りそっとしておくという暗黙の了解があった。

当時はまだインターネットやスマートフォンがなく、寮にはテレビもなかったので誘惑が少なかったと言えばそれまでだが、毎日欠かさずやってくるこの2時間はいつもよりちょっとだけ静かに、ゆっくりと流れていた。大袈裟な言い方をすれば、多感な中学生たちにとって守られた内省の時間になっていたのではないかと思う。それは、寮全体が束の間の静寂を取り戻す時間でもあった。

あれから20年以上が経ち、3児の父親になったぼくの沈黙の時間は朝3時半から5時半だ。この時間をつかって(というかこの時間しかないのだけど)本業の傍らではじめたニュースレターのリサーチや執筆やポッドキャストの編集をするのがルーチンになっている。ちなみにこの文章を書いているいま現在の時刻は5:02だ。

早起きは苦手ではないけれど、どうしても体力的にキツかったり、眠い時はある。でもそれ以上に、夜明け前のこの沈黙の時間はぼくの心に潤いを与えてくれる、自分だけの聖域の時間になっている。

1日が24時間であることにおいては時間は平等に存在する。いくらイーロン・マスクであっても1日を25時間にすることはできないし、毎日の生活において効率化や生産性向上が求められ、時短やタイパ志向が強まっていくのは致し方ないのかもしれない(漏れなくぼくもその一人だろう)。

あらゆるデバイスやサービスがノイズを増やし、生活者の関心や注意を奪い合うアテンション・エコノミーの時代にぼくらは暮らしている。そしてAIなどのテクノロジーの進化によってさらにノイズが増えていく中、有限である時間のどれだけを沈黙の時間、自分にとっての聖域の時間を充てられているのか、という視点がこれからより大切になっていくのかもしれない。

ちょうどそんなことを考えていたときに届いたニュースレター『Dense Discovery』の最新号で引用されていた起業家兼クリエイターのジャスティン・ウェルシュの言葉を最後に紹介したい。

現代の贅沢とは、明瞭に思考でき、深い眠りにつけ、ゆっくりと動き、そして静かに暮らせること。これら全てを妨げるように設計された世界の中で。

Modern luxury is the ability to think clearly, sleep deeply, move slowly, and live quietly in a world designed to prevent all four. 

Profile

岡橋惇
スローメディア『Lobsterr』を運営するLobsterr Publishing共同創業者。ニュースレターやポッドキャスト、コマース、ブッククラブなど多様なフォーマットを横断するメディアの形を模索している。共著に『いくつもの月曜日』(Lobsterr Publishing, 2021年)

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