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パルクールってストリートカルチャー? スケボーやサーフィンとの比較で考察してみた|パルクールとはなにか⑤

日本パルクール協会会長で「SASUKE」でも活躍する佐藤惇さんに、さまざまな側面からパルクールのことを教えてもらう連載の第5回。前回は「日本のパルクールの歴史」を聞くなかで、公共空間を使う運動ならではの困難が語られました。今回は、「パルクールは(スケートボードと似た)ストリートカルチャーなのか?」という問いから始めます。

教えてくれた人

佐藤惇さん/日本で唯一のパルクール指導に特化した会社「X TRAIN」共同代表で、日本パルクール協会会長を務める。パルクール実践歴は17年で、国内におけるパルクール指導の第一人者として「YAMAKASI」直伝の精神を基に、パルクールの普及活動を行う。「SASUKE」常連選手であり、Snow ManのCMアクション監修なども行う。

パルクールはストリートカルチャー?

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——前回までは、パルクールが先行するスケートボードなどのストリートカルチャーと似た課題を持っているというところまで伺いました。そこでは今回は「パルクールはストリートカルチャーなのか?」という問いから始めてみたいと思います。この点、佐藤さんはどういうふうに考えているんでしょう?

佐藤惇さん(以下、佐藤):結論から言えば、半分YESで、半分NOだと思っています。「YES」の部分は、パルクールと他のストリートカルチャー(スケートボード、ストリートダンス、グラフィティなど)と共通しているのは、表現である、ということですね。

パルクールの創始者ヤマカシたちも、この運動のことを最初は「アート・デュ・ディプレイスメント=移動の芸術」と言っていました。普通は歩いたり階段を上がったり下がったりするような場所を、登ったり飛び越えたりして「私はこういうふうに移動するんだ」と表現するわけです。

——そこはたしかに共通点ですね。

佐藤:僕はスケートボードにそこまで詳しいわけではないですけど、おそらくスケーターの人たちはパルクールのトレーサー(パルクールを行う人)と同じように、周囲の環境と自分に対する見え方が変わっていく体験をしているはずです。ただ自分がパルクールをやってきて感じているのが、そこにフォーカスしすぎると、エゴになってしまうんですね。

——どういうことでしょうか?

佐藤:たしかに「自分を高める」ということに関心が向かうのは、一人ひとりの人生にとって必要なことだと思います。だけど「自分」だけにフォーカスしすぎると「好き勝手」になってしまうんですね。たとえば「自分はこういう理想を追求したいんだ!」と、電車の中で吊り革を使って懸垂をし始めたら、他の乗客のみなさんは迷惑に感じますよね。

スケーターの方も2パターンいると思うんです。ひとつめは社会人的思考がある人というか、ちゃんと周りに配慮したり、「ここはさすがにやっちゃダメだよね」という線引きを持ってやっている人。

もうひとつは、「俺はここでこれをやりたいんだ!」というエゴが強くなりすぎてしまって、周りへの悪影響を考えず、傍若無人に振る舞ってしまう人です。後者が、「スケートボーダーって迷惑だよね」という世間的なイメージになってしまう——そういう懸念は、おそらくパルクールと共有している部分だと思うんです。

実はサーフィンとも似ている?

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——では、「NO」の部分はどうでしょうか?

佐藤:「NO」の部分でまず大きいのは、パルクールの生い立ちとしては「街の中」もありつつ、「森の中」もあるということ。ヤマカシたちが始めたパルクールには根底に「どんな場所でも動けるカラダ作り」というコンセプトがありました。

街中で動くこともあるけれど、万能なカラダを目指していくのであれば、街中のような整地された場所だけでなく、規範から外れた自然な場所=森の中というイレギュラーな地形のなかでも、より本能的に自由にカラダを動かせるようになりたいと。

——ヒーローのほうのターザンって、ジャングルの中でも自在に動いていくことができますけど、そういうイメージですよね。

佐藤:そうですね。連想してさらに違う見方を持ち込んでみると、人間にとっては街中がストリートかもしれないけれど、動物たちにとっては森の中がストリートですよね。パルクールにはそういう発想もあると思います。

——人間と動物をそこまで明確に分けて考えていない、と。

佐藤:人間も動物、つまり自然の一部であるということです。だからパルクールはストリートカルチャーというより、アースカルチャーだと言ったほうが正確かもしれません。「ストリートカルチャー」と言ってしまうと、人間の作った街中にどうしても想像力が限定されてしまう。でも、フィールドは地球上あらゆる場所にあるわけですから。

——なかなか壮大な表現ですね(笑)。いわばパルクールってスケートボードと似たところもあるけれど、実はサーフィンにも近いってことですか? サーフィンは自然に親しみながらやるもので、それゆえ環境保護活動とも繋がりの深い、まさにアースカルチャーですよね。

佐藤:というよりも、僕はあらゆるものって自然の中から生まれてきたと思うんです。自然のなかで発生してきたものが、疑似空間の中に落とし込まれたのが今の「コンクリートジャングル」といわれるような都市環境なのかなと。自然環境のなかで生まれたサーフィンのようなことを、都市で疑似的に楽しむために、スケートボードやパルクールのような運動が生まれたんじゃないかなと。

——考えたこともなかったですが、たしかに都会のコンクリートをジャングルや波に見立てることはできそうです。その意味でパルクールって、スケートボード的でもあり、サーフィン的でもある、と。

「囲い込み」はアリかナシか?

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——スケートボードの場合って今は行政がスケートパークを作って、「そこでやってくださいね」と誘導することが多くなってきていますよね。でも、「やっぱりストリートでやりたい!」という人もいる。パルクールの場合も、もともとはストリートでやっていたけれど、専用のパルクールパークを作っていく動きもあります。いわば「囲い込み」の問題があると思うんですが、トレーサーのあいだでその是非はどう考えられているんですか?

佐藤:黎明期には「パークを作って囲い込むのは良くないのかも」という議論をしていた時期もありました。パルクールはルールがない、制約がないところが面白いので、原理主義的になれば「囲い込みはダメ」という話になっていきます。

だけど近年スポーツパルクールというかたちで競技化されていく別の流れも生まれてきました。そうなってきたとき、技術の練習をするには模擬的に作られているパークのほうが向いていたりするんです

——なるほど、必ずしも「囲い込まれなければダメ」というわけではないけど、練習場所としてパークの意義はあるんだと。パークをベースに技術を高めて、外に出ていくという使い方をしてもいいわけですね。

佐藤:パルクールに真剣に取り組んできた人ほど、「パークでやる」「街中でやる」の両輪で動いていく感覚があると思います。どちらかではない。たしかに、かつては「パークなんて簡単すぎて面白くない」という考え方もありました。

だけどパルクールって無限に動き方を発想できるものなので、「簡単なパークを、どう難しいチャレンジにしていくか」を自分で考えてもいける——そういう発想に変わっていったんですね。

東京・池袋のニシイケバレイにあるパルクールパーク。マンション駐輪場の屋上を活用している。(画像提供:合同会社SENDAI X TRAIN)

——メディア制作の現場ではよく「制約の中から創造が生まれる」と言われたりするんですが、それと一緒な気がしました。他のスポーツって「ルールはルールなんで、ルールは疑っちゃいけないよ」って最初から押し付けられてしまう。だけどパルクールは「ルールがない」と最初に言っている、それが良さなのかもしれないですね。

佐藤:そうですね。考える余白があらかじめ担保されているのは大きいと思います。どんな場合でもそうですが人間として社会で生きている以上、ルールの枠内で行動することは必要です。だけど同時に、人間が自然の中に解き放たれたときに自分で何かを考えるプロセスも絶対に必要なものですからね。

——トレーサー1人ひとりが、「パルクールは制約がない」ということを前提にしつつ、パークという制約にどう創造的に取り組むかを経験していくプロセスもあるというのは面白いですね。一方で、必ずしもパークに囲い込まれる必要もない、と。

佐藤:パークの外の公共空間を使っていいか否かって、結局は管理者の人がどう言うかだけだったりするので、僕らは会社として「こういう使い方はどうですか」と提案してみることはやっています。

——既存のスポーツって野球場とかサッカー場とかゴルフ場とか、専用の場所に囲い込まれてやるのが当たり前になっていますけど、予約すれば使えるので、社会との擦り合わせって一切必要ないんですよね。トレーサーの方たちは社会との擦り合わせが常に必要となるから、その意味でも生きる力が“鍛えられる”のはいいなと感じました。

日常生活にパルクールを取り入れてもいいの?

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——そもそも通勤とか通学とか、日常生活のなかでパルクールで移動することって、佐藤さん的にアリなのでしょうか?

佐藤:答えから言うとYESですよね。パルクールの発想では「ある場所をどのようにして使うか、どういうふうに移動していくか」というイマジネーションが大事なんです。本来的には、ある場所をどう使うかは個々人が自由に発想していい。だから仕事の移動中などに、ルート上に柵があったとして、「柵を壊さないように、手をつかずに飛び越えちゃおうかな」ぐらいはアリでしょう。ただ…。

——ただ…?

佐藤:ただ、運動する場所の選定は必要なのかなと思っています。たとえばランナーの人は、ランニングを例にとるとわかりやすいかもしれないです。公園のようなある程度の広さがあって、他の人と接触する危険性が少なく、そもそも走るコースが整備されている場所なら問題ないですよね。

だけど、新宿や渋谷のものすごい人混みの中を相手に全力ダッシュで走ったりすると、自分自身が怪我する分には問題ないにしても、他の人を巻き込みかねない。そういうシチュエーションをあえて選ぶのはちょっと違う気がします。やはりオープンなスペースと、クローズドなスペースの選択は、そういう意味で必要だと思います。

——人口密度というか、周りに人がいるかいないかはポイントのひとつなわけですね。

佐藤:そうですね。他の人に危険が及ばないという観点では、人口密度と空間の広さはポイントだと思います。広い公園であっても、子どもたちがたくさん遊んでいる時間帯もあるわけで、そのタイミングであえてやる必要はもちろんない。

——その観点では、パルクールをする場合の服装が普段着ではなくトレーニングウェアであるとか、そういう「見た目」も大事なわけですか? 普段着ですごいダッシュやジャンプをしている人がいると、まわりの人はびっくりしてしまいますよね。

佐藤:個人的には、そのくらいまで行くと、一人ひとりの実践者のさじ加減だと思うんですね。表現としてふつうの服でやる場合もありますし。

やはり、ここで「運動着でやりましょう」と僕が言ってしまうと、パルクールの文化としての幅が狭まってしまうんです。あまり明確な線引きを言葉で定義したくはないですね。

——なるほど。パルクールの外部との関わりを具体的に考える上で挙げてみたいのが、Hanaさんが以前Xに上げていてバズっていた動画です。公園の遊具を使ってかなりテクニカルな動きをしていて、周囲の子どもたちが「えっ!」って歓声を上げているんですよ。

佐藤:これなんかは、子どもたちなら「おおー!」って言ってくれる子が多いかもしれないです。運動経験のある人、たとえばプロのスタントマンが公園でこの動きを見かけたら「いいね!」と言ってくれるとも思います。一方、運動にまったく不慣れな人が見たらびっくりして恐怖を感じるかもしれません。結局、見る側の受け取り方も様々で、ものすごくグラデーションがあるんです

——そう聞くと、やはり「パルクールではこれならOK」「これならNG」と、わかりやすい線引きの基準を示すことが、かえって表現や受け取り方の自由を制限することにつながる懸念は感じちゃいますね…。

佐藤:そうですね。ただ、ひとつ言えるのは「自分の責任のもとにやるのであればOK」ということです。パルクールをやる人は、責任を持つことが大事だということは強く伝えたいですね。ここで言う「責任を持つ」とは——何かが起こったときにただ謝るというだけではないです。

それ以前に自分が「これをやりたい!」というエゴが強すぎて周りの人や環境に損害を与えていないかを考えられて、さらにはそれが跳ね返って自分への損害にもなることを自覚できているかどうか、ということです。こういう想像力がトレーサーの資質として必要なんですね。

——それはもはや、パルクールに限らず人間として生きていく上で必要になってくる資質ですよね。パルクールはそれを日常の中で繰り返し問う機会にもなる、と。

佐藤:僕ら〈エクストレイン〉のメンバーのなかでは「強い」という言葉がよく出るんです。この「強い」ということの意味って、単純にパルクールの技術が優れているという意味ではなくて、自分の責任で動けて、周りのことを考えられて、かつ自分の限界も追求できる人だということです。

僕らトレーサーは、人格的な部分で成長することがパルクールをやる上で大事なことだ、と考えているんです。

取材・文/中野慧 撮影/大内カオリ

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