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10-FEET、デュラララ!!、アサシンクリード…日本のパルクール発展に寄与した意外な作品。日本パルクール協会会長・佐藤惇さんに聞く③

パルクール

ここ数年で誰もが目にするようになった「パルクール」について、日本パルクール協会会長の佐藤惇さんに教えてもらう連載の第3回。前回までは世界のパルクールの歴史を教えてもらいましたが、今回からは知られざる「日本のパルクール」の成り立ちについて伺っていきます!

教えてくれた人

佐藤惇さん/日本で唯一のパルクール指導に特化した会社「X TRAIN」共同代表で、日本パルクール協会会長を務める。パルクール実践歴は17年で、国内におけるパルクール指導の第一人者として「YAMAKASI」直伝の精神を基に、パルクールの普及活動を行う。「SASUKE」常連選手であり、Snow ManのCMアクション監修なども行う。

日本で最初にパルクールをフィーチャーしたのは〈10-FEET〉!?

——今回は「日本のパルクール」について、佐藤さんがこれまで現場で感じてきたことも含めて聞きたいと思います。前回までのお話だと、「日本のパルクール」が大まかに見えてきたのは2006年前後、ということで合っているんでしょうか?

佐藤惇さん(以下、佐藤):だいたいそれぐらいですね。僕の場合、前回お話ししたようにロンドンの街をカラダを駆使しながら駆け抜けていくドキュメンタリーを見ていて、中学生になってから「あれって何だったんだろう?」と思ってYouTubeで調べたら、それが『ジャンプ・ロンドン』だったことを知ったんです。

そこからYouTubeでいろんな動画を見るようになったんですが、それはYouTubeの爆発的な普及期と重なっていると思います。

——YouTubeはパルクールにとって大きかったわけですね。日本でパルクールが大きなメディアに乗ったのって、一番最初は何だったんでしょう?

佐藤:〈10-FEET〉の『Shoes』という曲のミュージックビデオだと思います。ちょうどシューズメーカー〈K-SWISS〉が世界初のフリーランニング専門シューズを発売するタイミングで、〈10-FEET〉、〈MTV〉、〈K-SWISS〉の三者がコラボしたんですよね。

日本の街中でアクロバットを駆使して駆け抜けていく内容で、僕が当時いた「PKTK」というパルクールコミュニティのメンバーが出ています。

——前回語っていただいたリュック・ベッソンプロデュースの映画以外で、パルクールをフィーチャーしたのは〈10-FEET〉が最初なんですか?

佐藤:うーん、海外のシーンだとその前に、マドンナの『JUMP』という曲(2006年)で東京の街を駆け巡るというモチーフが採用されたのが初めてだったかもしれないですね。

——マドンナの代表曲のひとつですね! 〈10-FEET〉、マドンナと、意外な人たちがパルクールの普及に一役買っていたのは面白いです。日本で一般にパルクールの存在が意識され始めたのは『Shoes』がきっかけですか?

佐藤:いや、第2回でお話ししたダニエル・イラバカが2010年に眼鏡市場のCMに出たのが大きかったんじゃないかと思います。テレビでの放送回数はすごく多いですからね。そこから日本国内でも「最近ああいうの多いよね」という認知にはなったのかなと思います。

その後、2011年に〈サーモス〉のスポーツボトルのCMでも、アメリカでフリーランニングをやっている人がパフォーマンスして注目されましたね。それと、『デュラララ!!』というライトノベル原作のアニメに、折原臨也(おりはら・いざや)というキャラクターがパルクール使いとして登場したのも大きかったかなと。

——神谷浩史さんが声を演じて人気になったキャラクターですね。

佐藤:もうひとつ、メディア表現という意味で大きかったのは、泉ひかりちゃんとうちの会社の華さん(山本華歩(やまもと・はなほ))が二人でやったサントリーC.CレモンのCM「忍者女子高生」だと思います。熱海の学校や街中をパルクールを駆使しながら駆け回るというもので、これが2014年です。

『アサシンクリード』と「忍者女子高生」

——これらのメディア上での表現で、パルクール実践者も増加したんでしょうか?

佐藤:ところが、そういうわけでもないんですよね。

実践者が増えるのにインパクトがあった事件で思いつくのは、2007年のレッドブルの「アート・オブ・モーション」開催です。トレイサー(=パルクールをやる人のこと)たち自身もそうですし、レッドブル界隈の人たちも「そういうのあるんだ」っていう認識に向いていった側面がありました。だけど、音楽やアニメ、広告などでの表現はそこまで寄与していない実感があるんですよね。

——パルクールを「みる」ものとしての認知と、「する」ものとしての認知はちょっと違うわけですか。

佐藤:それもありますね。「みる」に関しては他に、グローバルな認知向上で大きかったのはゲーム『アサシンクリード』シリーズだと思います。『アサシンクリード』はパルクールのトレイサーの動きをモーションキャプチャーして作っていると思います。

——『アサシンクリード』といえば、危ない場所を移動するときに「そんなふうにアクロバティックにやる!?」という驚きが面白いゲームですよね。2000年代後半から2010年代にかけてオープンワールド型のゲームが一気に普及しましたが、パルクールとの影響関係があると考えると納得がいくところがあります。

佐藤:映画や広告に続いて、『デュラララ!!』や『アサシンクリード』などアニメ・ゲーム界隈でパルクールが取り入れられていく流れはたしかにあったんです。

ただ、それが「パルクール」という名前のものであるとか、そのカルチャーの中身が何なのかは全然オープンな状態ではなかったので、広がり方が限定的なものにとどまったのかなと思います。

——認知に関しては、「忍者女子高生」はすごく大きかったんじゃないですか?

佐藤:やっぱり「女性でパルクールやってる人がいるんだ」という認知が広まったきっかけになったように思います。

あのCMの当時にしても女子のトレイサーは日本に数えるほどしかいなかったです。彼女たちもCMのメイキング動画で「女の子でもできるんだってことをみんなに伝えたい」と言っていましたけど、「忍者女子高生」のタイミングでそのことが明確になった時期だったかなと思います。

ちなみに、ひかりちゃんも華さんもずっと継続していて、今では一番の古株です。

——今となってはパルクール自体が、旧来的なスポーツにどうしても付随する「男らしさ」へのこだわりがあまりない、ジェンダーレスなカルチャーであるイメージになっていますよね。でも当時はパルクール=男性、という性格が強かったと。もうひとつ、SASUKEでの佐藤さんご自身の活躍も、日本でのパルクールの認知拡大に一役買っているんでしょうか?

佐藤:多少はあるのかなと思います。パルクールを、テレビという大きな場で生で表現できるのも面白いんですよ。

僕が最初にSASUKEに出たのは2008年ですが、動機としては「パルクールで鍛えた身体の能力をSASUKEという場で試したい」という気持ちが大きかった。実際に出てみるとパルクールとの親和性や共通性、パルクールじゃないんだけど、パルクールっぽいところを見出していけたのが面白かったんですよね。

パルクールで鍛えているのとは違う新しい身体能力、トレーニングの目標を見つけられる場としても面白かった。もともとパルクールには「アスレチック」というニュアンスも存在していたんですけど当時はまだ言語化できていなくて、SASUKEに出たことで自分の中で明確に言語化できました

日本のパルクールは「オフ会」から始まった!?

——お話を聞いていて気になったのが、たとえばバスケットボールって90年代半ばに『SLAM DUNK』のアニメ放映がきっかけで、中学バスケットボール部の入部者が激増したということがありましたけど、パルクールの場合はメディアの人気が現実にリンクしていないということでした。そこで日本のパルクールコミュニティの実際について聞きたいのですが、黎明期はどんな雰囲気だったんでしょう?

佐藤:日本でパルクールのコミュニティが表れ始めるのは2007年頃で、前回話した『アルティメット(BANLIEU 13)』という映画の公開が大きかったと思います。

当時、「ステップマークス」という二人組のチームがホームページを持っていて、そこの掲示板が、僕も含めこの運動に興味を持つ人たちの中心地でした。その掲示板で「『アルティメット』鑑賞会をやるよ!」という呼びかけがあって、掲示板に常駐していた人たちが新宿の映画館に集まって、みんなでギュウギュウ詰めになって観たんです。

——オフ会だ…! 2000年代半ばから後半はSNSもまだ普及しておらず、個人ホームページや掲示板がカルチャーを生むということが他の分野でもありましたね。そこに佐藤さんも参加されていたわけですか。

佐藤:はい、そうです。

今振り返ると『アルティメット』鑑賞オフ会は大きくて、そこで集まったメンバーが定期練習会をやるようになって、「PKTK(PARKOUR TOKYO)」というチームになっていきました。そうして活動しているうちに、2007年の6月頃に『Shoes』のPV出演のオファーが僕らに来たんです。

——〈10-FEET〉のPVに、PKTKのみなさんはどういうかたちで参加したんですか?

佐藤:僕らはエキストラ出演という形でしたが、メインでやる人たちが前回話したロンドンの「パルクールジェネレーションズ」というチームの人たちで、彼らの初来日でした。

正直に言うと、僕は当時は何も知らなくて「誰?」って感じだったんですよ。でも、一緒にやってた仲間の一人が、「ヤマカシのメンバーだ!」とすごく興奮していて。それがステファン・ヴィグルという人だったんです。ステファンはヤマカシの第一世代ではなく、第二世代なんですけどね。彼も含め、3人で来ていました。

——なるほど、「あのヤマカシが!」と。

佐藤:撮影の合間に、仲間がハイテンションになっていて彼らに「一緒にバク宙とかやりましょうよ!」と声をかけたんです。そしたらパルクールジェネレーションズのダン・エドワーズさんという人に、こう言われたんですね――「いやいや君、ちょっと違うんだよ。パルクールって別にそうやってクルクル回ったりすることじゃなくて、自分のカラダを鍛えて自分の限界に挑んでいくものなんだ」と。

——それが、佐藤さんがこの連載で語ってきた、深い哲学を背景に持つ「本場のパルクール」に初めて触れた瞬間だったんですね。

佐藤:まあ、カルチャーショックでしたよね。

「俺たちがやってたのって違うの!?」と。

「Don’t Think, Feel!」な体験

——そのダンさんって、どういう方なんですか?

佐藤:ヤマカシではないんですけど、元はアーバンフリーフローっていうチームのメンバーだったんですね。ちなみにステファンも一応アーバンフリーフローにいたはずです。あともう一人、CEOのフォレストさんっていう人がいて、その三人がアーバンフリーフローから抜けて独立するかたちでパルクールジェネレーションが成り立ってるんですね。

——素朴に気になるんですけど、パルクールジェネレーションズの方に「いやいや、君たちのやってるのはちょっと違うんだよ」と言われて、ちょっとムっとしたりしなかったんでしょうか。

佐藤:ダンさんは、ただ単にダメ出しで終えたわけではないんですよ。

彼は撮影の休憩時間に「じゃあトレーニング一緒にする?」みたいな感じで誘ってきてくれて、そこにいたメンバーでその場でフッキン会が始まったんです。実際やってみるとめちゃめちゃきつくて、まともにできなかった。

でも、ダンさんは飄々とやっているわけです。「そうか、強くなるってこういうことなんだ」「こういう基礎を疎かにしないから強くなっていけるんだ」と体感できた瞬間だったんですよね。

——なるほど。『燃えよドラゴン』で、ブルース・リーが言う「Don’t Think, Feel!」を地で行く体験ですね。

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佐藤:本当にその通りで、そこからはもう「強くなろう」みたいな感じで、練習会ではもちろん技術的な練習とかもするんですが、締めに筋トレをガツガツやる。日本で、そういう文化が始まっていくきっかけになりました。

——思想から入っていないというか、体感があった上で思想を理解していくプロセスだったと。

佐藤:「カラダは動くけど、体力がない」というところを痛感した、と言えばいいんですかね。それまでの僕らは「ジャッキー・チェンみたいになりたい」とか、そういった動機がいろいろ渦巻くなかでカラダを動かしていて、やっている気になっていた。

だけど「こういうフッキンさえもできないんだったらジャッキーにはなれないよね」ということが実感できた。それが動機として働いて、基礎的な「鍛える」トレーニングを継続していく方向にシフトした感じですね。

——考え方の面でも変化があったということでしょうか?

佐藤:ただ単にかっこよく動くだけではなくて、まず「パルクールとはなにか」という考えがあって、そこに対してある種目標を求めて、身体活動をしていくことなんだってことがわかったんです。これは大きな転換点でした。

それまではただ動きまくったり、好きなように街中でぐるぐる回ったりするところで止まっていた。でもこれ以降、パルクールの動きがトレーニングとして行われるもの、心身を鍛えるものだというニュアンスで、僕らの間でカチッと定まっていきました。

——「遊ぶ」だけでなく「鍛える」が重視されはじめたわけですね。

今回は前半はメディア上でのパルクール表象、日本のパルクールコミュニティの成り立ちを聞いてきましたが、次回はそのコミュニティの部分の話を深堀りして伺いたいと思います。佐藤さん、引き続きよろしくお願いします!

取材・文/中野慧 撮影/大内カオリ

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