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2010年代、「パルクールブーム」によって生まれた問題とは?日本パルクール協会会長・佐藤惇さんに聞く②

ここ数年で誰もが目にするようになった「パルクール」。前回は日本パルクール協会会長の佐藤惇さんにその成り立ちを聞きましたが、今回はこの新しいライフスタイルスポーツが2000年代から2010年代にかけて、どのような発展をしていったのかをダイジェストで伺っていきます!

パルクールの歴史② ~00年代前半:ロンドン発「アーバン・フリーフロー」が打ち出した街遊びの魅力

教えてくれた人

佐藤惇さん/日本で唯一のパルクール指導に特化した会社「X TRAIN」共同代表で、日本パルクール協会会長を務める。パルクール実践歴は17年で、国内におけるパルクール指導の第一人者として「YAMAKASI」直伝の精神を基に、パルクールの普及活動を行う。「SASUKE」常連選手であり、Snow ManのCMアクション監修なども行う。

――前回は、フランスのチーム「ヤマカシ」が生み出したパルクールという運動が、『レオン』で知られる映画監督リュック・ベッソンにフックアップされてその存在を知られるようになり、さらに2003年の『ジャンプ・ロンドン』というドキュメンタリーをきっかけにイギリスへ波及していったところまで伺いました。その『ジャンプ・ロンドン』はどういう映像作品だったんでしょうか?

佐藤惇さん(以下、佐藤):元ヤマカシのセバスチャン・フォーカンを中心に、イギリスの歴史的建造物とともにトレイサーたちがその中を走り抜けるというものです。今でもYouTubeでフルで観ることができます。これがテレビで放映されて、ものすごい反響を巻き起こしました。

――その『ジャンプ・ロンドン』が爆発してから、ヤマカシたちの生み出したパルクールに何か変化は加わったのでしょうか?

佐藤:まず一番大きかったのは、前回も言ったとおり「パルクール」というフランス語を新しく「フリーランニング」という英語で表したことです。ヤマカシたちにとってパルクールは「鍛える」ためのものだったんですけど、前回お話しした『ジャンプ・ロンドン』というドキュメンタリー内でパフォーマンスに焦点が当たったときに、その観点が少し薄まってしまったんですよね。英語圏の若者たちにはより表面的な派手さだけが印象として深く残って、「フリーランニングというのは自由に動いて楽しむものなんだ」と捉えられました。

――むむむ…あんまりよくわかっていないのですが、「それの何が問題なんだろう?」 とも思っちゃいます。

佐藤:もちろん、そういう捉え方はパルクールの入り口としてはありですよね。『ジャンプ・ロンドン』の続編として2005年に『ジャンプ・ブリテン』というドキュメンタリー作品が制作されたんですが、そこでロンドンを拠点に活動し始めていた「アーバン・フリーフロー」というチームがフィーチャーされ、注目されました。彼らはチーム名からもわかるように、パルクールの街遊び的なテイストに焦点を当てて、ストリートカルチャー的なニュアンスを前面に出した活動をしていったんですよね。

――あー、なるほど。もともとヤマカシたちが「鍛える」というトレーニング的な性格を重視していたなかで、アーバン・フリーフローはよりカジュアルに、ストリートカルチャーとしての性格を強く打ち出したわけですね。

佐藤:ただ、彼らは後世のパルクールに大きな影響を与えています。パルクール=フリーランニングのいろんな動き自体はヤマカシの生み出した型がもとになっているんですが、実はアーバン・フリーフローは「パルクールにはこんな動きがあるんだよ」ということを言葉にして、共通認識にしていった。要するに、「動きに名前を付けた」んですよ。

――それは、カルチャーとして発展していく上で大きいかもしれないですね。

佐藤:そう思います。たとえばパルクールでは、障害物を跳び箱のようにして飛び越える動きを「モンキーヴォルト」「スピードヴォルト」「コングヴォルト」と言ったりしますが、これはもともとアーバン・フリーフローが付けた名前なんです。いま使われているパルクールの技術の多くが、アーバン・フリーフローが名付けたものがもとになっているんですね。

アーバン・フリーフローのInstagramより。コングヴォルト→プレシジョン(正確にジャンプし着地点に止まる)の動きの練習の様子。

パルクールの歴史③~00年代後半:ダニエル・イラバカという“アーティスト”の衝撃

――なるほど、その功績は大きいですね。アーバン・フリーフローはその後どうなっていったんでしょう?

佐藤:アーバン・フリーフローは2003年〜2006年頃にかけて一気に知名度が上がったものの、やがて分裂してしまって、抜けた人たちが「パルクール・ジェネレーションズ」というチームを作りました。そんな2000年代半ばに、個人として頭角を表したのがダニエル・イラバカというトレイサーでした。日本で最初期にパルクールがCMに使われたのって眼鏡市場の「NEW FREE FiT」というCMなんですが、そのCMにイラバカが出ているんですよ。

――日本のサラリーマン風のスーツに身を包んで、メガネをかけたイラバカが日本の都市空間をとんでもなくアクロバティックに移動しているCMですね。「どんなに激しい動きをしても決してメガネがズレない」ということでパルクールが使われている。

佐藤:イラバカの凄かったところは、美しいとしか言いようがない、「まだ見ぬ人類の動き」をしていたことです。イラバカの登場によって、パルクール界隈が「なんだこいつは!?」とザワつきはじめました。彼はすごくカリスマ性があったので、憧れてパルクールを始める人も多かったと思います。

Daniel Ilabaca – 2007 Showreel (Extended Version)

――流れが見えてきた気がします。ヤマカシがカルチャーの原型を創出して、その動きにロンドンで名前が付いて体系化され始め、ついにアーティスト的なカリスマが登場するフェイズに入ったわけですね。

佐藤:そうですね。この時期、イラバカをはじめパルクールの動画でロンドンのいろんなスポットが出てきたこともあり、ロンドンの何でもない都市の一角が聖地になっていたんですよ。「あの動画の場所に行きたい!」「あそこでパルクールをやりたい!」ということで、ロンドンへ行く人が一気に増えた時期でした。僕もその時期からロンドンに行き始めて…もう10回以上は行ってます。

――かなり行ってますね(笑)。

佐藤:その後、2012年頃にはロンドンで大きなトレーニングイベントが開催されたりと、2000年代半ば〜2010年代始めにかけてロンドンがパルクールの中心地になっていきましたね。

ロンドンとパリの地形の違いが、パルクールの歴史に与えた影響

――2000年代半ば以降にパルクールの中心がフランスからイギリス・ロンドンに移ったということですけど、そのときにパルクールに加わった要素とかってあったんですか?

佐藤:それはですね、ヤマカシたちの「強さを追及する」「限界を追求する」ということがベースにありつつも、イラバカたちのロンドンという土壌では街のつくり、建築物の形状が大きく違っていたんですね。これが、パルクールの発展に大きな影響を与えていきました。

――おお!? どういうことなんでしょう?

佐藤:ヤマカシたちがパルクールを生み出したパリ郊外のリスやエブリーという町は、森とコンクリートのマンションが並んでいるような場所です。日本ほど耐震基準が厳しくないので、2階部分のベランダとかが異常に飛び出していたりして、建物のつくりが派手で、「そりゃ、ここ跳びたくなるよな」という感じ。閑静な住宅街で人もあまりいないので、動きやすいんですよね。だからなのか、ヤマカシたちはパンパンと弾いて次に行っちゃうような、野性的な動きをしていました。

その一方、ロンドンはレンガ造りの建物が多くて、フランスと比べるとちょっとだけ密集具合がゆるいんです。そうなると、より距離や高さの限界を追求していくようになりますし、正確性も必要になります。

――そっか、街が辿ってきた歴史に違いがあるからこそ、ロンドンの地形に合わせて跳ばないといけないし、着地や動きのの正確さもより必要になっていったんですね。

佐藤:そうなんです。めちゃくちゃ高いところから、めちゃくちゃ細いパイプにぴたっと止まるみたいな、そういうテクニカルな動きが必要です。必然的に「この障害物をいかに攻略するか」というマインドも生まれてくる。イラバカを始めとしたロンドンのトレイサーたちは、そういうふうに動きのクオリティを上げていきました。

パイプから別のパイプに飛び移る動き

パイプから別のパイプに飛び移る動きを実演してもらいました。着地する場所ではかなり正確にパイプを掴まなければなりません。(ミスをしたら高い確率でケガをするため、パルクール未経験の方は真似しないようにしましょう)

――そういう場所で、技法の体系化が進んだイメージが浮かんできますね。ロンドンの街のつくりが、パルクールのテクニックをより高める方向性へと向かわせたんですね。それにしても、広がってきたことで国ごとに特色が出てきたのが面白いです。

佐藤地形に応じてカラダの動かし方のカルチャーが変わっていくところがあるので、本当に部族みたいです。「森の中の部族はこういう生き方をしていて、海岸沿いの部族はこういう生き方をしている」とか、そういう感じですね。

パルクールの歴史④~10年代:パルクールの「スポーツ化」が“問題”に

――ここまでは90年代〜2000年代半ばにかけての流れを伺いましたが、その後のパルクールはどういう展開を辿ったのでしょうか?

佐藤:2000年代後半にはアメリカでもパルクールが流行し始めました。アメリカン・パルクール(American Parkour=略称APK)という団体ができて、そこから派生してロサンゼルスでテンペスト・フリーランニング(Tempest Freerunning)というチームができたんです。

――あれ!? そこでも用語が「パルクール」と「フリーランニング」に分裂していますね。

佐藤:当時は映画やYouTubeのイメージが先行していたので、「パルクール」と「フリーランニング」がそれぞれ別物として捉えられていたんですよね。「パルクールは移動に特化したもの。フリーランニングはパルクールにアクロバットを混ぜたものだ」というような認識があったんです。当時はまだ古株の人たちが積極的に情報発信していなかったので、パルクールに興味を持ったばかりの初心者の人たちのあいだで議論が白熱していました。

――なるほど。言葉の定義を巡ってレスバトルが繰り広げられるというのは、黎明期のインターネットカルチャーならではの光景ですね。現在は「パルクールとフリーランニングは同じものだ」という認識なんでしょうか?

佐藤:はい、パルクールをやっている人はアクロバットの動きもするので、基本的にほとんど同じものだという認識です。

――そもそも「パルクール」という名称ってどういうふうに今のかたちに落ち着いたんでしょう?

佐藤:そこは少し複雑なんですが、順を追って説明しましょう。ヤマカシたちは当初、この運動のことを「アート・デュ・ディプレイスメント(Art Du Deplacement、ADD)=移動の芸術」と呼んでいたんです。略してADDと言ったりしますけどね。そのなかでしだいにダヴィッド・ベルが「よりスムーズで効率的に移動する」という側面にフォーカスを当てていき、「パルコ―ス(道・経路の意)」を語気を強める文字に変え「パルクール」と呼び始めました。一方、セバスチャン・フォーカンは「より自由に動けるようになりたい」という考え方だったので「フリーランニング」という言葉にその思想を乗せて呼んでいました。

――運動のどの側面にフォーカスするかで、呼び方に違いが出てくるんですね。今の2023年時点では世界的に「パルクール」で固まってきているわけですか?

佐藤:はい、そうですね。今はそうした思想的な背景は抜きに「パルクール」という言葉が独り歩きするようになっている状況です。

――パルクールの文化そのものは、2010年代以降にどう推移していったんでしょう?

佐藤:カオスな状況にますます拍車がかかっていきましたね。ひとつ大きいのは、「レッドブル アート・オブ・モーション(Red Bull Art of Motion)」というフリーランニングの世界大会が2007年から毎年行われるようになったことです。

――その時期ってまさに、エクストリームスポーツが企業宣伝に使われ始めた時期ですよね。

佐藤:当時はアメリカでパルクールジムができはじめた時期で、そのPRを目的にしていたわけです。アート・オブ・モーション以降から現在に至るまで、既存の「スポーツ」のひとつとしてパルクールを打ち出す動きが続いてきています。

――うーむ、今までの佐藤さんのお話の流れからすると、まさにその「スポーツとしての打ち出し」「パルクールのスポーツ化」が大きな問題を孕んでいきそうですね。

佐藤:そうですね。2016年頃からはパルクールと鬼ごっこの要素をかけ合わせてゲーム化した「ワールドチェイスタグ」という大会が開催されたり、さらにはオリンピックでの追加種目入りが検討されるようになったりしています。事実として、国際体操連盟がスポーツパルクールを「パルクール」という名称ですでに傘下に入れ、ほぼ強行するようなかたちで体操の一種目として位置付けてしまっているんです。多くのトレイサーはパルクールを「人と競う」タイプの従来型スポーツと違うからこそ魅力があると考えていますし、そもそもパルクールのカルチャーは体操とは関係なく生まれたものなので、反発も大きいですね。

――パルクールという新しいカルチャーが、体操というレガシーな競技に取り込まれていっている状況があると。

佐藤:そういうことですね。僕らはパルクールの特定の動作や要素をゲーム性のあるスポーツにしたものを「スポーツパルクール」と呼んでいるんですが、それとライフスタイルやトレーニングとしてのパルクールが二分化している、というのがここ最近の情勢です。

パルクールが、非行防止に活用される

――スポーツ化/商業化の弊害が拡大しているわけですね。逆にこの10年で、パルクール全体にポジティブな変化はなかったんでしょうか?

佐藤:それはひとつ大きなことがあって、「パルクールを社会還元しよう!」という動きが強まってきたことですね。

――パルクールを社会還元…!? どういうことなのでしょうか?

佐藤:具体的には、学校へのパルクールの導入です。先程出てきたパルクール・ジェネレーションズは2010年代前半から、パルクールの教育的意義をアピールしていったんですね。

――でもパルクールって、スケートボードと同じような不良カルチャーではないんですか?

佐藤:いや、ヤマカシたちはあくまでも「子どもの外遊び」の延長でパルクールを発展させていったんですよね。心身を動かして自由なマインドを身につけることで青少年の非行防止につなげるというのは、パルクール本来の精神でもあるわけです。そういう発想のもとパルクール・ジェネレーションズがパルクールを取り入れた教育プログラムを開発し、イギリスのウエストミンスター市に採用され、教育現場に取り入れられていきました。

パルクール・ジェネレーションズの公式Webサイト

パルクール・ジェネレーションズの公式Webサイトより。それまでの男性的な力強いイメージというよりは、よりユニバーサルな側面が打ち出されている。

――へー、面白いですね!

佐藤:そしてこの時期、イギリスからデンマークに飛び火して、デンマークでは小学校の体育にパルクールが取り入れられたり、そこらじゅうにパルクールパークが作られたりと、大きく社会に根づいていきました。

――なるほど、いわばパルクールの社会体育化のような事態が進んでいるんですね。パルクールは「スタートもゴールも移動の仕方も自分で決める」運動ですけれど、それはもしかしたら社会のイノベーションとも関係してくる視点なのかもしれないですね。

この第1回、第2回はダイジェストでパルクールの文化全体について教えていただきましたが、次回からは出てきた話題それぞれをより深く伺えればと思います。佐藤さん、引き続きよろしくお願いします!

(続く)

取材・文/中野慧 撮影/大内カオリ

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