左利きレジェンド・鳥谷敬さんに聞く。アスリートと左利き
右投げ、左打ちの遊撃手として阪神タイガースと千葉ロッテマリーンズで活躍した鳥谷敬さん。もともと左利きだった鳥谷さんは、幼少期から経験してきたさまざまなスポーツ体験の中で、利き腕や利き足を使い分けてきた。そんな左利きの野球界のレジェンドに、アスリートにとっての左利きのメリットについて聞いた。
取材・文/井上健二 撮影/山城健朗 ヘア&メイク/村田真弓
初出『Tarzan』No.850・2023年2月9日発売
競技によって利き腕、利き足を変えてきた
利き腕がパフォーマンスを大きく左右するのが、スポーツ。なかでも、野球だ。
「右打ちと左打ちでは、そもそもバッターボックスの位置が違います。利き腕がポイントになるスポーツは、おそらく野球だけではないでしょうか」
と語るのは、右投げ、左打ちの遊撃手として阪神タイガースと千葉ロッテマリーンズで活躍した鳥谷敬さん。
2000本安打を放ち、歴代2位となる一軍公式戦1939試合連続出場を誇るレジェンドに、野球における左利きのメリットを聞いた。
鳥谷さんは、小さいときからスポーツ万能。多彩なスポーツを自然体で楽しんできたが、体験する種目によって利き腕を頻繁に変えるという珍しい体験をしている。まず、そこから話をスタートさせよう。
父親が高校までサッカーをやっていたこともあり、初めに取り組んだのはサッカー。サッカーでも、左利き(レフティ)は尊重されるが、鳥谷さんの父は右も左も自由に使えるようにしなさいというのが、基本方針だった。
「両親は右利き。弟2人も右利きなのに僕だけ左利きで、サッカーでは右でも左でも蹴っていました。Jリーグ発足が2〜3年早かったら、サッカーでプロを目指したかもしれないです」
次に鳥谷少年が始めたのは、警察柔道場での柔道。ここで一旦、右利きへのコンバージョンが行われる。
「柔道の投げや受け身の練習はペアになって行います。右同士ならスムーズに組めますが、片方が左利きだと組み手がクロスしてやりにくい。そこで右で組むようになったのです」
柔道は小学校6年間続けたが、途中で始めたのが、野球。学校では野球が大流行していたからだ。 柔道の背負い投げなどの動きは、野球のピッチングとカラダの使い方が似ている。
そこから、鳥谷さんは右投げ、右打ちで野球人生をスタートさせる。 左打ちになったのは、中学1年生のときだったという。
「自分が左手で食事をしている姿を監督さんが見て、“左利きなのか?だったら左で打ってみないか?”と提案してくれたのです。ちょうどイチローさんが活躍していた頃で、左バッターにスポットライトが当たっていたことも大きかったのでしょう」
左打席と右打席では、見える風景がまるで違う
左打ちへの転換は、決して簡単ではなかった。膝の成長痛もあり、アダプトするまでに2年ほどを要する。
「スイングに関しては、右打ちと左打ちには大きな差はありません。でも、打席から見える景色がまるで違う。中学生になるとピッチャーの球も速いし、変化球も投げるので、対応するのに思った以上に時間がかかったのです」
一般的に、左打者が有利だといわれるのは、一塁ベースにより近いから。右打者は三塁側に振り切ってからスタートするが、左打者は一塁側に振り切ったと同時にスタートが切れる。
「ただ一塁を意識して打つと力が分散されてボールは遠くへ飛びにくい。村上宗隆選手(ヤクルト)、松井秀喜さん、王貞治さんといった左のホームランバッターは、出塁よりホームランを狙ってデンと構えるので、ボールが遠くまで飛ぶ。
僕はホームランバッターではなく、いずれメジャーに行くには出塁率を上げるほかないと思い、ポイントを後ろにしてボールを見極める時間を延ばし、四球を狙っていました」
では、左ピッチャーはどうか。以前は左腕の絶対数が少なく、球界でもてはやされる時代もあった。
「かつては試合で出会うチャンスが少なく、投げる角度に打つ角度を合わせるのが、右腕よりも難しかった。でも、いまのプロ野球では5人のうち2人は左腕ですから、打者にとっては対戦チャンスが増えて、左腕の優位性は相対的に低下したと思っています。
それに、160km超のボールをコンスタントに投げる投手は、大谷翔平選手のように右腕の方が圧倒的に多い。おそらく心臓や肝臓といった内臓の位置や重さなどが関係しているのでしょう」
鳥谷敬の利き腕の歴史
1981年:左利きとして誕生。
幼少期:サッカーを始める。右でも左でも蹴る。
小学1年生:サッカーを始める。右でも左でも蹴る。
小学3年生:柔道を始める。右手で組む。
小学1年生:野球を始める。右投げ、右打ちになる。
中学1年生:野球部の監督から左打ちを勧められる。右投げ、左打ちになる。
2004年:阪神タイガース入団。右投げ、左打ちのレジェンドとなる。
深く分析する習慣がプロ生活の武器に
左利きで右も使ってきた鳥谷さんは、その経験こそ財産だと考えている。
「“超”がつく天才でない限り、プロの世界はセンスや反応だけでは通用しない。過去の学びや分析をどう生かすかが問われます。種目や状況により、利き手を変えて対応した経験が、物事を深く考えて行動に生かす習慣につながり、センスや反応だけでは難しい壁が攻略できたのだと思っています」
いわば左利きゆえの“頭脳派”である鳥谷さんは、40歳まで現役の遊撃手としてプレーするという前例のない目標を立て、何が必要かを逆算して動いていた(そして実現させた!)。
「トレーニングはもちろん、コンディショニングや食事法に関する本を読み漁り、オフに試して効果が実感できたものは積極的に取り入れました。食事では糖質制限も脂質カットもグルテンフリーも全部やりました。正解? やはりバランスよく食べることです(笑)」
プレーで大切なのは、力をいかに抜くか
なかでも重視したのは、睡眠。
「球場全体を見て、状況に応じて臨機応変に動くことが求められる遊撃手は、カラダ以上に脳を使う。脳を休めるには睡眠しかないので、試合を控えたミーティング前は、ロッカールームの椅子で15分ほど仮眠を取るようにしました。
当日移動して試合をする“移動ゲーム”では、自分だけ1時間でも早く移動して現地のホテルで短時間でも眠り、試合本番に備えていました」
加えて最後まで追求したのは、いかに力を抜くかということ。
「10割の力でパフォーマンスしていたら、143試合も戦い抜けない。8割、6割の出力で同じことがこなせて初めて、最後まで調子を落とさず活躍できます。
守備でも、難しい打球が飛んできた瞬間、緊張して力むとカラダが硬くなり、胸に当てたボールを遠くに弾いたり、グローブが地面まで下りずに“トンネル”したりする。だから力を抜く練習ばかりしていました」
鳥谷さんは、高校生の長男を筆頭に4男1女のパパ。妻も左利きだが、子供たちは4男を除き、みんな右利き。
「子供たちは全員スポーツをやっていますが、利き腕を矯正したり、指導をしたりすることは一切ない。僕の成功体験はいまの時代には通用しないし、昔と違って現代は欲しい情報や映像が容易に手に入る。自分で考えて行動できる人間になってほしいですね」