人は何のために眠るの? 日中、生き生きと動くためです
とにかく安眠、快眠、熟睡することばかりに囚われている人。そもそもの眠りの作用について、改めて考えてみませんか?
取材・文/石飛カノ イラストレーション/タケウマ 監修/櫻井武(筑波大学医学医療系教授)
初出『Tarzan』No.784・2020年3月26日発売
覚醒と睡眠はシーソーの関係。
体内時計の働きと睡眠負債による圧力で人は眠りにつく。では、適正時間ぐっすり寝たらどうして目を覚ますのか? 目覚ましが鳴ったから、ではなく、脳の中の覚醒システムが作動するからだ。
生命維持を司る脳幹がドーパミンやノルアドレナリンといった神経伝達物質を作り出し、これらが大脳皮質の広いエリアに伝達されることで人は覚醒する。
一方、睡眠中は視床下部の視索前野の神経細胞が覚醒性に関わる脳幹にGABAという化学物質を放出し、これらを抑制することによって眠りがもたらされている。
睡眠と覚醒は脳内のシーソー関係だが、睡眠に比べると覚醒している方が難しい。脳の機能をフル稼働させて情報交換する必要があるからだ。難しいゆえに助っ人が必要。その助っ人が視床下部で作られるオレキシンという物質。
オレキシンは脳幹から大脳皮質ルートの覚醒中枢に働きかけ、覚醒状態をキープする。分泌されるのは体内時計が朝を感知したとき、空腹のとき、感情が昂ったとき。
何か食べないと死ぬ、外敵が近くにいる、すっごくお得なプレゼントが目の前にある。このように眠っている場合ではないときにオレキシンが覚醒中枢に作用する。逆に満腹でリラックスしているときにはオレキシンは働かない。よってシーソーは睡眠へと傾くのだ。
眠ると学習能力がアップする。
一夜漬けの勉強をして、ここで眠ったら忘れちゃうじゃん!と、睡眠時間を削って試験に臨んだ経験はないだろうか。現在ではこれ、ナンセンス。眠った方がむしろ学習能力や記憶力がアップすることが分かっているからだ。
90度回転させた多角形を手元のタッチパネルでなぞるという課題を被験者に練習させた後、一方のグループには睡眠をとらせ、もう一方のグループは覚醒させたままにする。その後、課題を再開すると前者の方が成績が明らかにアップしたという。似たような実験は数多くあり、いずれも睡眠をとったグループの方が成績が向上したという結果に。
こうした学習効果のアップは現在ではノンレム睡眠による作用と考えられている。テストやプレゼン前こそ十分な睡眠が必要なのだ。
脳のシナプスを整理する。
睡眠医学の世界で今注目されている仮説のひとつに、「シナプス恒常性仮説」がある。シナプスとは脳の神経細胞同士が情報のやりとりをする結合部のこと。
神経細胞が活動している間中、シナプスは大きくなったり分裂して増えたりして情報伝達の効率を上げていく。つまり、使えば使うほどシナプスは増え、強化されていくわけだ。べつに一生懸命勉強しなくても、覚醒して活動していれば脳のあらゆる場所でこうしたシナプス強化が起こる。
とはいえ、神経細胞が処理できる情報は限られている。そのままどんどんシナプスが増えていったら神経系の機能がパンクする。実際に長時間ずっと起き続けているとうまく喋れなくなったり幻覚を見たりすることもあるという。
「シナプス恒常性仮説」は睡眠中に増えすぎたシナプスの数を減らしたり強度を落とす“刈り込み”が行われているという仮説だ。実際、脳のシナプスの数や強度は常に一定。起きている間、ずっとシナプスが右肩上がりだとすれば、睡眠中に“刈り込み”が行われていると考えると辻褄が合う。
刈り込み作業が行われるのも、やはりノンレム睡眠中。毎晩のシナプス整理で脳の機能は保たれているのかもしれないという話。
カラダのメンテは深睡眠で。
眠りについた直後、一晩のうちで最も深いノンレム睡眠が訪れる。この睡眠レベルは深ければ深いほどいい。なぜなら、学習能力や記憶力の向上、シナプスの整理といった脳のメンテナンスはこのタイミングでなされているから。
一時期そう考えられていたが、現在では脳のメンテナンスはステージ1、2といった浅いノンレム睡眠時にも行われているらしいという考え方も。よくよく考えると深いノンレム睡眠は一晩のうちで多くて2回、たった1回の場合もあるし、高齢になるとまったくない場合だってある。それでは脳のメンテナンスが追いつかない。
深いノンレム睡眠時に特徴的なのは成長ホルモンの分泌。とすると、むしろ脳よりカラダのメンテに有効かもしれない。筋トレ時は深いノンレム睡眠、大事かも。
たくさん動けばたくさん眠れる。
眠りにつくとき、カラダの末端から熱が放出され深部体温は急速に下がる。脳の温度も同時に下がり、ノンレム睡眠の最中、脳の活動は最小限に抑えられている。このことからも分かるように、睡眠の最大の役割のひとつは脳、主に知的活動に関わる大脳皮質を休息させることにある。
とはいえ、大脳皮質全体が一気にブレイクダウンするわけではない。起きているときによく使った部分、シナプスが強化された部分ほど深い眠りにつきやすい。
なかでも、脳のリソースのかなりの部分を使うのが運動。前頭葉はほぼ運動するための機能部位といってもいい。じゃあアスリートの前頭葉の眠りは深いのかというと、さにあらず。運動に熟練するほど大脳皮質の介入は少なくなる。より深部にある大脳基底核や小脳などの回路を使い、考えずともカラダを動かすことができるからだ。
むしろ、試行錯誤しながら新しい動きを練習する方が前頭葉の熟睡に繫がる。運動するなら常に新たな刺激を追求するべし。