青木アリエ(短距離走)「大学にいる間に 自己ベストを出したい」
17年ぶりにこれまでを上回る記録が出たが、ペルー国籍のため日本記録とはならなかった。日本国籍を取得した彼女が今考えることとは。(雑誌『Tarzan』の人気連載「Here Comes Tarzan」〈2025年9月11日発売〉より全文掲載)
取材・文/鈴木一朗 撮影/吉松伸太郎
初出『Tarzan』No.910・2025年9月11日発売

Profile
青木アリエ(あおき・ありえ)/2004年生まれ。浜松市立舞阪中学校で陸上を始め、3年時には全日本中学校陸上競技選手権大会の女子100mに出場。東海大学付属静岡翔洋高校の2年時にインターハイの女子400mで6位。23年、日本体育大学に進学すると、インカレの200m、400mで活躍。25年、静岡国際の400mで51秒71をマーク。6月に日本国籍を取得。
250mを過ぎたとき、あれ、こんなに楽に通過できたと思っている自分がいた。
25年5月に行われた陸上の静岡国際。女子400mで51秒71というタイムを叩き出したのが青木アリエだ。2008年に丹野麻美がマークした日本記録51秒75を上回ったのである。ただし、青木の当時の名はフロレス・アリエ。国籍はペルーだった。
そのため、日本記録にはならず、ただし日本体育大学に所属する日本学生陸上競技連合登録選手であることから、日本女子学生新記録として公認された。学生の記録が日本記録より上というのはこれまで皆無だと思うが、このタイムは狙って出したものではないようだ。
「ふくらはぎの肉離れをやってしまって、シーズンインは良くなかったです。でも、織田記念(陸上・4月開催)で100mに出て、ある程度スピードを出せることが確認できた。4日後に静岡国際があって、自分のベストに近い53秒台前半で走ったら合格って思っていたのですが、51秒はびっくりでした。全然緊張感もなく、速い選手がいて、それについていくだけだったので、リラックスして挑めた大会だったんですよ」
25年初めての400mだからのびのびと行こうという気持ちが記録に繫がったのであろう。ただ、青木にとってこのレースは記録とともに、一つ大きな収穫があったのだ。
「いつも前半抑え気味なんですが、岩田(優奈)さんが出ていたので、置いていかれないようにちょっとずつスピードを上げていった。それが後半に繫がって、あのタイムになった。250mを過ぎたときに、“あれ、こんな楽に通過できるんだ”って思っている自分がいて。こんなにスラッと行けたのは、初めての体験で、でもさすがに51秒台までは考えていなかったんですよ」
しかし、この感覚がわかったのは大きいだろう。カラダを通して感覚を理解できれば、再びそうなるための方法を探ればよい。理解できていない感覚を模索していくことよりも、ずっと効率的な作業になるはずだ。
わりと足が速かったので、友達の勧めもあり陸上へ。
25年6月、青木は日本国籍を取得した。父親はペルーと日本、母親はペルーとイタリアにルーツを持つが、本人は静岡生まれで、舞阪という漁業の町で育った。陸上を始めたのは浜松市立舞阪中学からである。
「中学は部活をやらなくちゃダメだったんです。5歳上の姉がバレーボールをやっていてチームの競技は大変だって思っていた。それで、小学校からわりと足が速かったので友達に声を掛けてもらって始めました」
積極的に自分から、というのではない。それでも中学3年のときには全日本中学校陸上競技選手権に100mで出場している。で、本人はこれで陸上をやめようと考えたという。ただ、彼女の才能を認めた東海大学付属静岡翔洋高校・陸上競技部の菅間友一監督が声を掛ける。高校1年では100mに専念。
しかし、その年の冬季練習で「400m、行けるんじゃないか」と監督に言われ、本格的にこの種目を始めた。どうも、本人の意思とは関係なく、ただ良い方向に人生が進んでいく。なにしろ、400mを始めた年、つまり高校2年のインターハイで6位入賞を果たすのである。転向して1年も経たず、しかも2年生でこの成績を残すのは極めて珍しい。実力もさることながら、すばらしい監督に出会えたということであろう。しかし……。
「400mがわかっていなくて、前半から突っ込むような走りをしていたんです。高校2年のある大会で、前半に行ったら、後半に疲れてしまって。それからは前半に乗れなくなるし、後半もそのままダラダラ走って終わっちゃうということも全然あった。もう陸上はやめた方がいいと思ったりもしていたんです」
最初の100mはできるだけ前を見ない。
しかし、青木は今、日本体育大学で陸上と日々対峙している。これも、自分の意思ではない何かが働いたのだろうか。そもそも青木が400mが好きなのかも疑問なのである。
「レースではとにかく最初の100mはできるだけ前を見ないようにしています。“距離が長いな”って思っちゃうから。あと200m、今まで走ったのをまた走れば終わるってとこまで来ると走れてしまうんです。大学のコーチもレース前には“走るだけだから”なんて言ってくれて。“先にゴールして早く帰ろう”と思っていたときもありました」
どうにもわからないのだが、ただ努力は惜しまない。大学では、坂道の250mダッシュという練習がある。部員誰もが苦しいとわかっているが、青木はとにかくそれが表情に出る。「顔が死んでいるんで」と言うぐらいに不機嫌になり、まわりも察して近寄らない。しかし、自主練として練習後にこれを何回も繰り返すのである。そして24年の冬からはウェイトトレーニングも行っている。
「始めてからまだ4、5か月ですが、まわりには(カラダが)デカくなったねって言われます。走りでは、楽に腕が振れるようになりました。上半身の筋肉に乳酸が溜まりやすいらしく、後半になってキツいと体幹がブレて、腕を横に振ってしまうことがあった。でも、今はまっすぐに振れていて、それに合わせてストライドも伸びてきたんです。とにかく腕振りは大事だと思っています。腕を前に持ってこれさえすれば、足は必ずついてくると考えているんです」
9月には東京で世界陸上が開催される。今はまだ青木が出場できるかは決まっていない(8月19日現在)が、もちろん可能性は大いにある。彼女はこの先何を見つめながら、競技を続けていくのか。
「大学の部では、全員が目標に掲げているのが自己ベストを出すことなんです。私もとりあえず、それを狙いたい。何か、日本記録って言うと重く感じちゃったり、プレッシャーになったりするけれど、自己ベストならって思えるのは本当にいいです。静岡国際のときは競技場や、自分のカラダとメンタルのコンディションがたまたま合って記録が出たとは思うのですが、今の状態ならばもう一回51秒台で走れる自信はある。自分のなかでは、今年中、あるいは大学を卒業するまでには、自己ベストは更新したいと考えているんですよ」
3年後の28年にはロサンゼルス・オリンピックがある。それも、大きな目標になりますねと尋ねると、
「大学卒業してから陸上を続けるか、今メチャクチャ悩んでいるんですけど」と、一言。青木らしい言葉ではあるが、日本陸上界の逸材である。他人のお世話だが、ぜひ続けてくれることを切に願うのである。