兒玉芽生(陸上)「日本人には短距離は無理だって言われたくない」
2022年、日本歴代第2位の好タイムを出した。世界との差が非常に大きいといわれる女子短距離で兒玉芽生は果敢に挑戦を続ける。(雑誌『Tarzan』の人気連載「Here Comes Tarzan」、No.850〈2023年2月9日発売〉より全文掲載)
取材・文/鈴木一朗 撮影/北嶋幸作
初出『Tarzan』No.850・2023年2月9日発売
Profile
兒玉芽生(こだま・めい)/1999年生まれ。161cm。高校ではインターハイ、国体100mの2冠。2019年、大学2年時に世界リレーの4×200m4位、日本記録。同年、日本陸上競技選手権大会の200mで優勝。20年、ゴールデングランプリ陸上の100mで優勝。同年、翌21年の日本選手権の100mで連覇。21年は200mと2冠。22年200mで優勝。ミズノ所属。
日本第2位の記録に「ホッとした気持ち」
電光掲示板に速報タイムが表示されたとき、会場にどよめきが起こった。
11秒22。このタイムは2010年、福島千里が女子100mで出した日本記録11秒21に、0.01秒差まで迫るものだった。場所は岐阜県にある長良川競技場。陸上ファンにはお馴染みのグラウンドだ。
昨年の9月、全日本実業団対抗陸上選手権での出来事だった。後に、正式タイムは11秒24ということになる。しかし、この日本第2位の記録に、観客は大きな拍手を送ったのだ。
さて、このタイムを叩き出した本人、兒玉芽生はどのような気持ちだったのか。
「最初から11秒2台は出る感じはありましたし、出さなければいけないと思っていました。だから、嬉しいというよりは、ホッとしたという気持ちのほうが強かったですね」
実は彼女、これも昨年行われた布勢スプリントで11秒26というタイムで走っている。これは、3mの追い風参考記録となったのだが、11秒2台はすでに経験していたのだ。
「布勢のときは、風がすごく吹いていたので、自分で走っているというよりは、押されていたという感じでした。あれなら、11秒1台が出てもおかしくない。でも、どんな条件でもまずは11秒2台を体感できたのは、自分の中では大きかった。だから、布勢での走りが、11秒24に繫がったんだと思います。
11秒後半と11秒2台では、カラダの感覚がすごく違うんです。たとえば、11秒7台ぐらいだと、自分で走っている、自分の力で動いているという感覚が強い。
でも、11秒2台だと、空中を移動していく感じでした。ただ、速すぎてこれ以上足を回せないという感覚までは行ってなかったですね」
よく短距離のトップ選手が自分の調子がいいときの走りを、坂道を転がるように加速するとか、自転車で空ペダルを踏んでいる感じ、と表現するが、兒玉の場合はまだそこまでは行っていないのであろう。
その証拠に彼女は走っている最中、ずっと自分の今を考えていると言う。たった11秒ほどの瞬間、瞬間で自分の状態を把握して修正しているのだ。
「足の接地のタイミングをずらさないように、そして接地するときには、もう次のことを考えるぐらい先取りして頭を回転させます。そうでないと、走りがスピードに対して遅れてくる。
だから、走ったときに考えていたことは鮮明に覚えていますね。走っているときに、フォームを多少修正することもあります。ただ、これは逆に言えば、まだそれだけ余裕があるということ。本当は考えられないぐらいスピードが出せないとダメなんじゃないかと思っています」
大学でも通用すると思ったが、レベルの高さに驚かされた。
幼稚園のころから走るのが得意だった。小学校3年生のときに、地元・大分の臼杵ジュニア陸上クラブに入会した。5年には全国大会の女子100mで優勝。
といっても、短距離ばかりやっていたわけではない。幅跳びや長距離などもやった、というよりやらされた。長距離は嫌いだったが、このさまざまな経験が今の土台となったようだ。
高校1、2年生では故障に苦しむ時期もあったが、3年では国体とインターハイを制した。このときは「どんどん行っちゃえ」という感じだったという。
タイムも11秒76まで伸ばした。この記録なら大学でも通用するはずだった。ところが、陸上の名門である福岡大学に入学すると、本来の力をまったく発揮できなくなってしまった。
「12秒4ぐらいしか出せなくなってしまった。高校のときは自分がトップだったので余裕があったのですが、大学ではインカレで優勝するような先輩もいたので、大差で負けることもあった。
どうやって走れば速くなれるんだと、迷走した時期もありました。11秒76なら大学でも通用すると思って入学したのですが、甘かったですね。こんなにレベルが高いのかと驚いてしまったんです」
1年時のインカレでは予選敗退。また、4×100mリレーでは3位になったが、第3走者までは2位だったのに、アンカーの兒玉が1人に抜かれた。
「4×100mは優勝が目標でした。でも、あんなふうに終わってしまった。ただ、そのときは落ち込むというより、すごく燃えてきて。自分さえ速くなれば優勝できる、とにかく弱気にならず、一日一日やれることを必死にやろうと思っていました。
高校まではリレーのメンバーも揃いにくくて優勝なんて夢だったので、陸上はあくまで個人競技でした。でも、他の3人のためにがんばる、チームのためにというのがパワーになった。今までにない感覚でした」
インカレの翌月、U20の日本選手権で兒玉は復活する。11秒83で5位入賞。自己記録には及ばないが、たった1か月で好記録がマークできたのは、フィジカルではなくメンタルがいかに選手に影響を与えるかの証左であろう。そして、この年の10月に開催された日本選手権リレーでは、優勝を果たしたのである。
外国のトップ選手を見て、同じ舞台に立ちたいと思った。
2019年、つまり日本選手権リレーの翌年、兒玉は初めて世界を体験する。それが世界リレー大会である。4×200mに出場して4位入賞。日本新記録もマークした。
ただ、本当の世界のトップを直接目にしたのは、2021年の東京オリンピックと昨年の世界陸上である。どちらも4×100mリレーで出場を果たした。
「外国のトップ選手は圧倒的にカラダつきが違いました。骨格とかではなく、筋力や体幹が私はまだまだ弱いなと感じましたね。
実際に間近で見ることができて、テレビとは違い迫力がすごかったですし、自分も同じ舞台で戦いたいと強く思いました。それが、今のモチベーションに繫がって、毎日きつい練習なんですが、がんばることができているんです」
兒玉が言うように、世界との差は骨格では決してない。彼女の憧れの選手であるシェリー=アン・フレーザー=プライスの身長は152cm。兒玉は161cmなのだ。
問題は、やはり筋肉の瞬発的な出力である。
「ウェイトトレーニングは去年から少しずつ取り入れるようになったのですが、今年、ようやく継続できるようになりました。重いウェイトを持つこともひとつですが、体幹や自重といった基礎的なトレーニングも重要。
今は両方からアプローチしているところです。でも、まだ上半身と下半身の筋力の差は大きい。去年の11秒24のときも、ほぼ脚の筋力だけで走っていました。だから、上半身が強くなったらどうなるかと楽しみなんです。伸びしろは、まだまだあると思っていますね」
取材に伺った日の練習メニュー
まずはウェイトトレーニングで汗を流す。バーベルを担いでのフロントランジや、腿上げなどで約2時間。
その後、通常のミニハードルよりも高さのあるハードルを使い、脚の引き上げを意識しつつ、ピッチを上げるための練習に入る。
と、簡単に説明したが、これが半端ではない。マックスのスピードで120mを5本である。「オフシーズンの土台作り」と笑うが、実にハードな毎日を送っているのだ。
日本2位の記録は出したが、世界と戦うには、もう一段レベルを上げる必要がある。とにかく10秒台を目標にしなくてはならないだろう。
「まずは個人種目でしっかり戦える選手になりたいです。そのために今年の世界陸上では100m、200mの出場とラウンドを1つでも進めるようにしたい。(東京オリンピック女子1500m8位入賞の)田中希実選手は同級生なので、彼女の果敢に挑戦していく姿を見ると、私もこのままじゃあいけないと思いますね。
日本人には短距離は無理だって言われたくないというか、私もまだやれるんだということを証明したい。そのためには、結果を出さないといけないと考えています。
日本記録更新も目標ですが、それで世界と戦えるわけではないので、やれることを淡々とやって世界との差を詰めていきたい。
世界で決勝に残るには10秒台が必要だと思うし、今はそこまで行けるとは断言できない。でも、あきらめたら意味がないし、できる限りの挑戦はしていきたいんです」