プロレスラー・棚橋弘至。苦境を跳ね返すその笑顔が生まれるまで。
「疲れたことがない」男、棚橋弘至。新日本プロレスをV字回復させた不屈のエースの笑顔には、常に強さと優しさが宿る。その“スマイルフェイス”の理由について、引退を前に語ってもらった。
取材・文/黒田 創 撮影/TOMMY 写真/アフロ
初出『Tarzan』No.902・2025年5月8日発売

Profile
棚橋弘至(たなはし・ひろし)/1976年生まれ。99年新日本プロレスに入門。IWGPヘビー級王座の当時の最多連続防衛記録V11を達成。2023年からは同団体の代表取締役社長を務める。
“疲れたことがない”男の笑顔の奥深さ。
2026年1月4日に現役引退することを表明している新日本プロレスのプロレスラー兼社長、棚橋弘至さん。団体史上最も苦しかった時期をエースとして支え、見事V字回復させた立役者である彼が今浮かべる笑顔は、48歳という年齢も相まってとても深みのあるものに感じられる。
「僕は基本的にスマイルフェイスで、どんな状況でも笑おうとしている自分がいる。笑顔は棚橋弘至を形作るひとつのバロメーターだと思っています」
2000年代の新日本プロレスは苦境の真っ只中にあった。スター選手の離脱、総合格闘技ブームに伴うプロレスの人気下降。そんな時期に若くして最前線に立った棚橋さんに、少なくない数のファンがブーイングを浴びせた。棚橋さんが目指す「明るく楽しいプロレス」が従来のストロングスタイル信奉者から拒絶されたのだ。
「06年、初めてIWGPヘビー級王座を戴冠して“さあこれから盛り上げていくぞ”という頃にブーイングを浴び続けて、正直苦しかった。笑顔でいるつもりでもどこか尖っていたし……。でも12年に11回の連続防衛を果たしたあたりから、その尖った部分が取れていい顔になってきたと思うんです」
心のありようが顔を作る、と話す棚橋さん。その表情には、彼自身が味わってきた幾多の喜怒哀楽や苦しみ、逆境を越えた先にある力強さや優しさなどさまざまなものが滲み出ているのだろう。
「その連続防衛記録を作った時にオカダ・カズチカが“棚橋さん、お疲れさまでした”と世代交代を迫ったのですが、その時“悪いなオカダ、俺は生まれてから疲れたことがないんだ”というセリフが自然と出てきたんです。以来“疲れたことがない”は僕のアイデンティティのひとつになりましたが、それはアントニオ猪木さんとの最初の出会いがきっかけだったのです」
新日本プロレス入門時、猪木と遭遇した棚橋さんは“お疲れさまでございます! 新人の棚橋です”と挨拶した。そこで返ってきたのが“俺は疲れてねえよ”という予想外のひと言だったという。
「慣れ合いを善しとしない猪木イズムをまともに食らい、心の底から痺れたんですよ。オカダと対峙した時に咄嗟に思い出したのが、十数年前の猪木さんのひと言。猪木さんとは伝説の猪木問答でのやりとりもありましたが、あの人の疲れた表情なんて見たことがない。そういう部分は大いに影響を受けていると思います」
棚橋さんが好きな顔。
「なんといってもアントニオ猪木さんですね。猪木さんといえば皆さんは“ダーッ!”と叫ぶ時や卍固めを決めている時の激しい表情が浮かぶと思うんですけど、そんな人がニコーッと太陽のように笑う瞬間があってたまらなく魅力的なんです」