原点はアメリカのトレイルレース行脚。石川弘樹が拓いた日本のトレランシーンとは。

〈ヴァンヂャケット〉宣伝部を経て『POPEYE』と『Tarzan』を創刊。日本における最先端の若者文化の伝道師でありながら、フィットネスシーンの生き字引であり、齢70を超えてなお実践者であり続けるレジェンドエディターの内坂庸夫さん。そんなウチサカさんが今、どんな生活をしているのか、これまで、どんなことを考えてきたのか。聞いてみたいことをなんでもきいてみる雑談ポッドキャスト。第5回のゲストは前回に引き続き、トレイルランナーの石川弘樹さん。バックパッカーをしながらウルトラレースに参戦してきたアメリカでの過酷な日々、そして日本でトレラン文化を根づかせるまでの歩みをたどります。

文・撮影/編集部 撮影(複写)/鳥羽田幹太

石川弘樹さんのこれまでの経歴
  • 1996:丹沢・大山で人生初のトレラン
  • 1997:大学三年、木村藤吉氏とであって、アドベンチャーレースを目指す。
  • 1998:初めての8マイルレース、ソルトレイク。日本山岳耐久レース初出場・棄権。チームターザンのメンバーとしてホノルルマラソン出場(2時間47分)。第一回北丹沢山岳耐久レース2位。野辺山ウルトラマラソン総合5位
  • 1999:日本山岳耐久レース2位
  • 2000:アドベンチャーレース(Team EAST WINDにて活動 レイドゴロワーズ、エコチャレンジなどの過酷なレースに出場)
  • 2001:アドベンチャーレース
  • 2002:トレイルランナーとして活動開始。日本山岳耐久レース優勝
  • 2003:日本山岳耐久レース優勝
  • 2004:ハッピートレイル開始。ロッキー・マウンテン・スラム達成(ハードロック、リードヴェル、ワサッチ・フロント、ザ・ベア:アメリカタイトル戦)
  • 2005:ハードロック総合7位 UTMB日本人初出場13位。
  • 2007:グランドスラム達成(6月ウエスタンステイツ、7月ヴァーモント、8月リードヴェル、9月ワサッチ・フロント:ウェスタンステイツ 総合8位ヴァーモント総合5位)第1回斑尾高原トレイルランニングレース(初プロデュース)
  • 2008:第1回おんたけ100km2位
  • 2009:メキシコCCUM出場。第1回信越五岳トレイルランニングレース100km開催
  • 2015:ギリシャ オリンポス・ミシカルトレイル100km 総合5位
  • 2016:台湾ランスルージャングルトレイル 総合1位
  • 2017:東海自然歩道1100km FKT 最速走破(当時)
  • 2018:信越五岳トレイルランニングレース 初100マイル開催(プロデュース)

2002年に初めてアメリカでのレースに参加した石川さん。その後も『Tarzan』本誌の連載「Trail-run KING」などでその様子をレポートしている。

連載「Trail-run KING」終了後に新たに始まった「TRAIL-RUN,RAN,RUN」という連載では、石川さんの自宅を訪ねた。シューズやザックなど、トレランに関するアイテムがずらりと並ぶ様子は、さながらトレランの博物館。

アメリカ最古の100マイルレースと言われるウェスタンステイツ・エンデュランスランのマップ。このレースが石川さんにとって初めての100マイルレースとなった。アメリカ初レースとなった50キロレース(Way Too Cool)では、トレランの帝王とも称されるスコット・ジュレクに勝利するも、ウェスタンステイツでは6時間ほどの差をつけられてゴール。

24時間以内の完走(1DAY)を達成した人にのみ贈られるシルバーのバックル。石川さんのご自宅には、このほかにも数々のレースを完走した証が所狭しと飾られていた。

撮影日の前日まで遠征へ出掛けていた石川さんの荷物。アメリカに挑戦を始めた当時は、アメリカと日本を行き来し、トレラン漬けの毎日だった。

トレランの大会は自治体や観光協会が主催することが多く、選手が大会運営に携わることはなかったが、2007年から始まった「斑尾フォレストトレイルズ50km」は石川さん本人がプロデュース。

20年以上の仲だが、実は2ショット写真を撮るのは初めて。照れ臭そうにしながらも喜びを隠せないウチサカさん。

ポッドキャスト出演

内坂庸夫
石川弘樹
井手裕介(Tarzan Webプロデューサー)

ポッドキャストスタッフ

ジングル・BGM:田中堅大
編集:浜本壮大