人間のカラダの儚さを思い出す|極私的なカラダの名著 vol.2 音楽家 打楽器奏者・角銅真実

もっとも身近でありながら、知り尽くせない自分のカラダ。ユニークな活動をする人々が夢中で読み、カラダの解像度を高めるヒントにした本とは? 連載の第2回は、打楽器奏者で音楽家の角銅真実さんにインタビュー。ホームケア・ワーカーの視点で書かれた連作小説集と、巨大ヒグマと老猟師の対決を描くドキュメンタリー長編について話を聞きました。

取材・文/大和佳克

左、『羆嵐』右、『体の贈り物』の書影
Profile

角銅真実(かくどう・まなみ)/長崎県生まれ。マリンバをはじめとする打楽器、自身の声、オルゴールやカセットテープ・プレーヤーなど身の回りにあるものを用いた楽曲制作、自由な表現活動を国内外で展開中。自身のソロの他に、cero、原田知世、満島ひかり、dip in the pool、滞空時間など様々なアーティストのライヴ・サポート、レコーディングに携わり、映画や舞台、ダンスやインスタレーション作品への楽曲提供も行っている。2024年1月、4年ぶりのソロアルバム「Contact」リリース。
Instagram:@manami_kakudo

誰しも、自分の身体が「ここにあること」を絶えず意識しているわけではない。特に、日々の暮らしがスムーズに営まれる環境のなかでは。けれど、スポーツやアクティビティを通して息を切らしたり、からだに負荷をかけるとそれを思い出す。自然に触れたり、さらに、体調を崩したり、危険に直面したとき、身体性について考える。

音楽家で打楽器奏者の角銅真実さんは、打楽器の演奏や自身の声を使ったライブパフォーマンスはもとより、読書を通じても、なにかと忘れがちな「身体性の実感」を重ねてきた。五感や皮膚感覚に関わるフレーズに読み手としてシンクロし、頭で読むだけではなく、身体ごと、文章の抑揚に乗っていくような読書に惹かれてきた。

オールタイムベスト

『体の贈り物』
著 レベッカ・ブラウン 訳 柴田元幸 2004年(新潮社)630円

『体の贈り物』書影

皮膚感覚に満ち、マッサージされるような読書体験。

折に触れて角銅さんが読み返してきたのが、アメリカの作家レベッカ・ブラウンによる連作小説『体の贈り物』。その物語は、ひとりのホームケア・ワーカーの視点から語られる。日常のささやかな営み、歩いたり、お風呂に入ったりすることがままならなくなった人々の家を「私」は訪ね、身の回りの世話をする。「汗の贈り物」、「涙の贈り物」などと題される11の短編が連なった小説集だ。

「会話を交わしながら、シーツを変えたり、食事を手伝ったり、体を洗ったり、軟膏を塗ったり。ケアというのは、お互いに体を持っている生き物同士だからできることなんだ、とあたらめて感じました」

ホームケア・ワーカーと病を患う人々。そこには、ケアをする側/される側という立場の違いはあるが、双方向に交わされる人間らしい感情がある。角銅さんは、身体を介した感情の行き来、その「一方通行でなさ」に感じ入った。

「マッサージをされているような読書でした。人に触れることは、触れられることでもある。どちらの温度も伝わるし、相手の身体にシンクロしていくところがありますよね。ケアをする側/される側、という境界線が揺らぐというか、“ケアをし合っている”と思える状態がたくさんありました。そして、読み手としても、そのふれあいのなかに生まれる何かを受け取って、癒してもらえるというか。死を看取る場面もあって悲しい部分もあります。でも、翻訳という、柴田元幸さんをひとりあいだに挟んだ、いい距離感の文章だからか、感情が手渡されるような描写に心を動かされる一方で、そこで起きているふれあいを俯瞰的に眺める視点が行き来することも、この本の特徴だと思います」

最近読んだカラダの本

『羆嵐』
著 吉村昭 1982年(新潮社)630円

『羆嵐』書影

むき出しの自然に晒された、人間のもろさと暖かさ。

そして、最近読んだ本のなかで熱中したのが、北海道天塩山麓の開拓村をヒグマが襲った「三毛別事件」をモデルとしたドキュメンタリー長編小説『羆嵐』である。ヒグマは体長2.7メートル、体重383キロ。

体が大きすぎるために冬眠に適した穴を見つけ損ねた熊は「穴持たず」と呼ばれ、食糧を求めて雪降りしきる山林を彷徨う。そして2日間で6人の男女を殺害。吉村は、実際に三毛別で暮らしていた住民の回想をもとに物語を書いた。

角銅さんは、この本から、忘れてしまいがちな人間の脆さを感じたという。そして、厳しい自然とその一部、というパースペクティブにおける「自分の身体」について考え直すきっかけになった。

物語には、実在する土地での出来事が書かれているため、角銅さんは地図を見て、地名を目で追いながら読むほどに興味を持ったのだとか。熊は「害獣」と呼ばれてしまうが、自然と、人の営みのあいだに板挟みになった存在なのかもしれない。

「熊と老猟師の関係は、単なる敵対関係ともいえなくて、言葉にしづらいのですが、そこには“友情”みたいなものさえただよっていると思いました。互いに命をかけているという意味では、対等というか。まったく違う他者の営みと人間の営みが隣り合ってしまったとき、それぞれにとっての切実さゆえにむごい事件が起きてしまう。書き手である吉村さんの視点は人間社会の視点に偏らない書き方で、描写がとっても細かくて、緊迫感が伝わってきます」

北海道の雪深い開拓村。わずかな実りで暮らす人々。そんな厳しい山林についてのつぶさな描写にも、読みごたえがある。そして惨事の合間に書かれる食事のシーンには、人間の生き物としての体温が宿る。角銅さんにとって、その描写のひとつひとつが、普段の暮らしで忘れてしまっている身体感覚や、むき出しの自然がすぐそばにある緊張感を思い出させたという。

「家や街で過ごしているときは感じないけれど、人の身体って思いのほか弱いですよね。皮膚は薄くて、山歩きをしたり、草むしりをしているといつの間にか切り傷ができたりする。自然を守る、自然にやさしくという言葉があるけれど、私はその言葉に違和感を感じます。人もすべての一部であり、その境界線は本来ないはず。この作品はそうした、あらゆるものと隣り合っているリアルさを書き記してあるのでハッとするのです。幼い頃から、自分が身体を持っているということを忘れがちというのか、ときどき手のひらを見ては、なんかあるなあ、と不思議に思う幼少期を過ごしたと思うのですが、今でも、身体を常日頃意識することは少ないですね。このインタビューを通して思ったのですが、私は読書をしながら、身体性みたいなものを感じることが好きなのかもしれません」

気になった本はジャンルレスに読むという角銅真実さん。自宅の本棚はときどき入れ替えをするそう。

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