教えてくれた人
武内将吾(たけうち・しょうご)/BESJ代表。〈Studio B・Meister〉でトレーニングを指導。イヴ・ジェントリーのアプローチの普及に努める。ピラティスの歴史をテーマにしたセミナーも行っている。
目次
さあ、ピラティスの歴史を振り返ろう。
Joseph H Pilates(ジョセフ・ピラティス)1883-1967
ピラティスは、ジョセフ・ピラティスというドイツ生まれの一人の男が作り出したメソッドだということをご存知だろうか?今、世界中でブームを起こしているピラティスの成り立ちには、彼の生き様が色濃く反映されている。はたして、彼はどのようにしてピラティスを生み出したのか?彼はどのような人物だったのか?6つのキーワードからひもとこう。
1.肉体への探究心 | 病弱だった少年が憧れた未来像。
「早く元気になりたーい!」と言ったかどうかは定かではないが、幼少期の切なる思いがジョセフ・ピラティスの原点だ。彼は1883年12月9日、当時のプロイセン王国(現在のドイツ)で生まれた。幼い頃は喘息やくる病、リウマチ熱などに苦しんでいたという。まだ子どもが無事に育つことが当たり前ではなかった19世紀、健康に不安を抱えることのない生活を、どれほど願っただろう。
病弱なカラダを克服するために、彼はスポーツに熱心に取り組む。当時、町の中心にあった運動施設に通い、体操選手として活躍していた父親から体操、ボクシング、レスリングなどを学んだ。その努力の結果、彼は病を克服し、たくましく成長する。
健康に対する興味は尽きず、14歳の時には解剖学の本を愛読。さらに母親が家事をする姿や森の中で動物の動きを観察していたというから、頭の中はカラダのことでいっぱいだったに違いない。
自然療法士だった母親の影響もあり、彼は東洋の哲学やヨガ、禅にも興味を持つ。さらにジョセフの家系がギリシャ系ドイツ人だったことから、古代ギリシャの彫刻や思想、生活様式にも惹かれた。ここから、彼の肉体と精神への飽くなき探究が始まる。
2.収容所での生活 | 塀の中で閃いた独自の健康哲学。
30代を迎えたジョセフは、近代ボクシング発祥の地イギリスに渡り、幼少期に培ったボクシング技術を活かして指導を開始。しかし生活状況が厳しくなり、弟のフリードリッヒとともにサーカスのパフォーマーへと転身する。肉体を生かした彼らのパフォーマンスは、多くの観客に支持されたとか。
1914年に第一次世界大戦が勃発すると、彼は敵国ドイツ人としてマン島の収容所に抑留され、看護師のような役割を担う。収容所というと劣悪な環境をイメージするが、実際は図書館もあり、彼はここでさまざまな知識を深めた。
人生を大きく変えるきっかけは、突如やってくる。収容所内にいた猫が背中をグーッと伸ばす姿を見て、彼は「筋肉は伸ばして使うべきなのでは!」と閃く。動物の自然な動作を人間が取り入れたら……と考えたのが、「コントロロジー」と彼が名づけた、独自の健康メソッドの始まりだ。
この着想に基づき、彼はマットや小さな器具を使ったエクササイズを次々に考案し、仲間の兵士たちに指導する。さらに、病院のベッドを改造して「リフォーマー」の原型も作り出した。1918年、インフルエンザが大流行したが、収容所内では誰一人この病に倒れることはなかったという。
3.アメリカへの移住 | 生涯の伴侶との運命的な出会い。
第一次世界大戦後、ジョセフはドイツに帰国。いよいよ本格的にピラティススタジオを始めるかと思いきや、それはもう少し先の話。彼がまず開いたのはボクシングジムであり、指導するだけでなく、彼自身も選手として試合に出場した。よほどボクシングの才能があったのだろう。試合で結果を残したことで、彼のトレーニング方法が注目され、ボクシング雑誌でも紹介されて一躍有名になる。
彼のメソッドは、ドイツのモダンダンスの発展に寄与した人々にも影響を与えた。ムーブメントアナリストのルドルフ・フォン・ラバンはジョセフの理論と動きを取り入れ、ダンサーで振付家、ダンス教育にも力を注いだマリー・ヴィグマンは、ウォーミングアップに使用したそう。この時期、ジョセフはハンブルクの軍警察からも運動指導を依頼されたという。
ジョセフの評判は上がり、仕事も順調だったが、ナチスドイツの軍国主義を嫌ったジョセフは、ある決断をする。先にニューヨークに移住したボクサーからの指導依頼を受け、1925年にアメリカへ渡ることにしたのだ。アメリカへ向かう船上で運命的に出会ったのが、後にパートナーとなるクラーラ。彼女はジョセフの仕事をずっとそばで支え続けることとなる。
4.NYのスタジオ | 画期的メソッドに著名人も注目。
1926年、ニューヨーク。ジョセフとクラーラはボクシングジムの一角にスタジオを開設する。彼のメソッドは瞬く間に評判となり、アスリート、俳優、ダンサー、サーカスのパフォーマー、ミュージシャンなど、さまざまな職業の人々を指導するようになる。クライアントの中には、国際的に有名なハリウッドスターであるヴィヴィアン・リー、キャサリン・ヘプバーン、サー・ローレンス・オリヴィエの姿もあった。スタジオは活気に溢れていただろう。
ジョセフのメソッドが、怪我の回復やパフォーマンスの向上に効果があるとの評判を聞きつけ、ジョージ・バランシン、テッド・ショーンなど、著名なダンサーたちもスタジオに足を運んだ。
ダンサーたちはジョセフを「アンクル・ジョー」と呼び、ダンサー仲間が怪我をすると「まずはジョーおじさんのところに行ってみなよ」と声をかけたという。ピラティスに女性的なイメージがあるのは、しなやかなダンサーがこぞって通ったからかもしれない。
5.直弟子たちの活躍 | ジョセフの思いを広く世界へ。
スタジオに通う人たちの一部は、そこでアシスタントとして働いたり、他のスタジオに派遣されて指導を行うようになる。ジョセフから直接指導を受け、コンセプトを深く理解して伝える指導者たちは、後に「ファースト・ジェネレーション(第1世代)」または「エルダー」と呼ばれるように。
直弟子たちは、ジョセフのメソッドに自分なりの解釈を加え、さまざまな都市でピラティスの発展に尽力する。資格制度を作り、指導者の育成にも力を注ぐようになった。こうした直弟子たちの活動を通じて、ピラティスは世界中に拡散されていったのだ。
6.50年後の現在 | 健康を追求した83年の生涯。
ニューヨークで話題になっていたものの、ジョセフは自身の概念「コントロロジー」をさらに多くの人々に広めるため、2冊の書籍を出版した。『ユア・ヘルス』(1934年)と『リターン・トゥ・ライフ・スルー・コントロロジー』(1945年)だ。著書の中で彼は「医師も教師も、本当の健康を理解していない」と無知を批判し、「不健康と不幸のジャングルに生きる我々は、“コントロロジー”に基づくトレーニングを行うことで、心とカラダを活性化できる」と述べている。ジョセフは医療業界にも積極的にアプローチし、世間の健康意識を変えるため精力的に活動したが、医学界からの理解を得ることはできなかった。
1966年、スタジオのあるビルで火災が発生した。器具を持ち出そうとして焼けた床板を踏み抜いた豪快伝説が残っている。翌年の1967年10月、ジョセフは肺の病で生涯を閉じた。享年83歳。
生前、ジョセフは「自分のメソッドは50年早すぎた」という言葉を残している。裏を返せば先見の明があったということ。ピラティスが世界で認知され、アメリカの病院でもリハビリとして提供されるようになった今、彼は「ようやく思いが届いたか」と、空の上からほくそ笑んでいるだろう。
ジョセフ・ピラティス&ピラティス・メソッドの歩みがわかる年表。
1883.12.9 |
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1890s |
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1912 |
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1914 |
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1918 |
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1925 |
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1926 |
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1930s-1940s |
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1934 |
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1945 |
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1950s |
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1965 |
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1966 |
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1967 |
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1968 |
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1971 |
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1972 |
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1976 |
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1983 |
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1989 |
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1990s |
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1996 |
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2000 |
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2000s |
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2001 |
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2005 |
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2010s |
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2020- |
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ピラティスさんってどんな人でしたか?直弟子の一人に聞く。
ある日、ライオンのような男が載った新聞記事に目が留まりスタジオの門を叩いたメアリー・ボーエンさん。約6年半、週2回のペースでジョセフから指導を受けた。
「記事には“赤ちゃんと猫をモデルにしています”とメソッドの説明があり、興味が湧きました」
スタジオでのジョセフは、いつも上半身裸でパンツ一丁。服を着た姿は見たことがなかったと笑う。
「彼のカラダは筋肉質で、強靱な肉体を持っていました。性格はオープンでフレンドリー。誰に対しても平等で親切な人でしたよ」
ドイツ訛りの英語だったせいか、口数は少なめ。指導はカラダを動かす実践的なスタイルだったそう。
「言葉で説明をすることはめったにありませんでしたね。私がマットで腕を伸ばしていると、彼は熊のような手で私の背中を〝ワン、ツー、スリー〟と押しながら、親身にサポートしてくれました。彼は心理的または精神的な側面ではなく、とにかくカラダとその動きだけを気にしていたと思います」
ピラティスは世界的な広がりを見せているが、メアリーさんはどう捉えているのだろう?
「ピラティスはさまざまなスタイルとアプローチに分岐しました。彼のメソッドを存続させるには、それはとても健全だと考えます」
Mary Bowen(メアリー・ボーエン)
1930年生まれ。94歳を迎えた今も驚くほどエネルギッシュ。ピラティス界に大きな影響を与え続けるレジェンド。ピラティスの教えと心理療法を組み合わせたアプローチを行う。