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パルクールから見えてくる社会課題とは? 大人と子どもの体育を(改めて)考える|パルクールとはなにか⑨

日本パルクール協会会長で「SASUKE」でも活躍する佐藤惇さんに、さまざまな側面からパルクールのことを教えてもらう連載の第9回。今回は、子どもから大人まで、さまざまな年代の人たちに教室でパルクールを教えてきた佐藤さんならではの視点で、「日本の体育」の課題を訊いていきます。

「子どもの外遊び機会の減少」は何をもたらしているか?

——佐藤さんはこれまでパルクール教室を通じてさまざまな年代の人たちに運動を教え、小学校とのコラボ授業なども開催し、現場感を持っていますよね。まずはざっくりと、佐藤さんは今の日本の体育にはどんな課題があると見ているのでしょうか?

佐藤惇さん(以下、佐藤):わかりやすい課題のひとつが、子どもたちの体力の低下です。文部科学省の「学校保健統計調査」「体力・運動能力調査」を1982年と2022年で比べると、身長、体重、柔軟性など、項目によっては現代の方が数値が高くなっている項目もありますが、持久走(男子は1500m、女子は1000mで計測)や握力などの平均値は大きく低下しているんですよね。

もっとも、「子どもの体力低下」と一概に言ってしまうのも正確ではなく、体力テストの数値が低下しているといってもそれはあくまで平均値であることには注意が必要です。実際には「できる子」と「できない子」の格差が開いているということが指摘されています(※1)。

※1 清水紀宏『子どものスポーツ格差』大修館書店、2021年。

——持久走の落ち幅はなかなか衝撃的ですね。男女ともに約30〜40秒も遅くなっている。

佐藤:直近ではコロナによる外出自粛の影響か、他の数値も大きく下がっています。基礎体力が低く、運動を好きにならないまま大人になってしまうと、あとあと大きな問題につながります。

近年のさまざまな医学研究でも証明されているとおり、カラダの状態は大きくココロに影響を及ぼすわけですよね。「カラダが動かなくなるとココロも死んでいく」方向にどんどん傾いていってしまうんです。

——しかし、40年前の子どもたちは現代の子どもたちと比べて、たとえばなぜそんなに持久力があったのでしょう?

佐藤:よく言われるのは「外遊びをたくさんしていたから」という説明です。僕らの親世代は、子ども時代に公園で鬼ごっこをしたり、ボールを使って遊んだりと、外遊びでパワフルに動いていて、基礎体力があった、と。握力も40年前に比べると男女ともに3kgほど落ちていますが、これもやっぱり木登りや雲梯などの外遊びの不足に起因するものだと僕は捉えているんですね。

昔は公園での外遊び→学校体育でやるマット運動や鉄棒、跳び箱などの基礎運動→ゲーム的なスポーツ、というステップを自然に踏むことができていた。ところが今の小学校体育では、たとえば跳び箱にしても小学校高学年になっても5~6段ぐらいまでしか飛ばせてくれないんですよ。

——5段ですか…。小学校高学年だったら、ほとんどの子が跳べた記憶がありますけど。

佐藤:僕が小学生だった20年ぐらい前は、8段ぐらいまでチャレンジさせてくれていました。昔の子どもは活発に外遊びをしていて、障害物を使ってジャンプする身体経験を持っていたので、体育の時間に跳び箱をやるときにも、「やってみたら楽しそう」という前向きな気持ちと、実際の動きのイメージを持って取り組むことができたと思います。

ところが今は、「手で体重を支えて跳び箱の上に乗る」という動きができない子が多くなっているんです。外遊びでちょっとしたジャンプすら経験していないので、「怖い」が先行して、跳び箱の上に乗ることすらもできなくなっているんですね。

共働きの普及、スポーツの「習い事化」が都市社会にもたらすもの

——それってスポーツの習い事をして普段から運動に親しんでいる子と、そうでない子の間でますます格差が開いている、ということですか?

佐藤:そういう側面はあると思います。いま学校現場で起きているのは、「体育の授業が成立しない」という事態なんです。

たとえば跳び箱の場合、できる子でも5段ぐらいまでしかやらせてくれないのでつまらないし、できない子はできないので「どうしよう…」と困惑している。そういう基礎体力のない子が、普段からスポーツの習い事でカラダを動かしている子といっしょにスポーツをすると、どうなるでしょうか?

——うまくできないことによって、恥ずかしいとか楽しくない思いをして、ますます運動が嫌いになってしまいそうですね。

佐藤:そうです。運動に対する負のイメージを抱き、結果として大人になってからも運動を習慣として行わなくなってしまうでしょう。学校体育で先生が円滑に指導できたり、子どもたち自身が楽しく運動するには、「基礎体力のレベルがある程度揃っている」という状態がそもそも必要になるんです。

——いまは少数の人しか運動の恩恵にあずかれない状況が進んでしまっているわけですね。

佐藤:これって、社会のさまざまな複合的な動きのなかで起こっていると思うんです。たとえば東京のような都市部は特に、共働きが一般的になっていますよね。共働きの場合、お父さんお母さんの帰宅が夜になるので、子どもは放課後に自由に外遊びをするのではなく、見守ってくれる大人がいる塾やサッカーチームなどの習い事に行かせる選択肢をとりがちです。

——なるほど。ただ、スポーツの習い事さえしていれば、基礎体力はつくのではと思うのですが…。

佐藤:外遊びとスポーツの習い事の違いはふたつあります。まずひとつは、スポーツの習い事の場合、特定の運動の分野には習熟できるけれど基礎体力をバランスよく向上させる機会が失われてしまうことです。

もうひとつ、サッカーコートや少年野球場、バレーやバスケなら体育館と、「用意された場所でやることが運動なんだ」という感覚が強くなってしまうことも問題だと思います。そうなると大人になって健康のために運動をしたいと思っても「やる場所がない」「ジムに入会して会費を払って運動しないと」というふうに、商業化された手段しか思いつかないわけです。

一方、たとえば中国では広場でいろんな人が混ざって太極拳をやっていますよね。そもそも運動ってお金がなくても、外のフィールドさえあればできるものなんです。幼少期にスポーツの習い事をする=運動だという刷り込みばかりを受けると、運動の「どこでもできる」という大切な本質を見失ってしまうと思うんですね。

「移動」こそが人間の生きる道?

東京・池袋のサンシャインシティで行われた出張イベントでの一コマ。写真提供/合同会社SENDAI X TRAIN

——佐藤さんはいま、事業としてパルクールに取り組んでいますよね。その理由は、学校体育がダメだから代替案を提示しようというより、学校体育の基礎部分を底上げしようということなのでしょうか?

佐藤:はい、実はそうなんです。僕は「学校体育が悪い」「先生が悪い」という話になってしまうのにも違和感があるんです。実際には現場の先生方は努力と工夫を重ねられているのですが、そもそも現行の学習指導要領の体育が社会状況とマッチしなくなっていると思うんですね。

——具体的には、どういうことなのでしょうか?

佐藤:いまの学校体育では基礎が固まらないままやっていると思うんです。どういうことかというと、他の科目では国語で漢字を覚えたら作文をしてみようとか、算数で足し算引き算や九九ができるようになったらお店でのお会計の計算をしてみようとか、基礎学習から実生活への応用の流れが存在していますよね。ところが体育では基礎体力を固められないまま、どんどん先に進んでしまう。

——たしかに、算数の九九だったら「できるようになるまでやらせる」が可能ですけど、体育で何らかの基準を設けて「できるようになるまでやらせる」をやってしまうのは問題になってしまいますね。

佐藤:身体能力の場合は個々人によって違いが大きく、評価基準も複雑になりやすいので、非常に難しいと思います。ただ、体育の目標って本当は、「大人になっても運動習慣を続けるための基礎をつくること」、その上で「身体経験の中で自分を高めていくことの面白さへの気付きを促すこと」だと思うんですね。

人間には三大欲求——睡眠欲、食欲、性欲があるとよく言われますよね。それらの欲求が出てくる前提にあるのは「カラダを動かす=移動する」ということ。人間はカラダを持っている以上、本質的な生き方が「移動」のなかに存在している。

——『スマホ脳』『運動脳』などが日本でもベストセラーとなったスウェーデンの精神科医アンデシュ・ハンセンも、「人間の脳は移動するためにある」と述べていますね。

佐藤:前回も紹介しましたが、パルクールの創始者であるヤマカシたちは最初、彼らの子ども時代の外遊びが起源になっていたこの運動を、「Art du Deplacement=移動の芸術」と言いました。さらにそのメンバーのうちの一人は、「この運動は、ただ移動するだけじゃなくて、Art of Living=生きるための方法なんだ」と言ったんですね。

カラダを動かすなかで自分というものを見つめて、自分自身を成長させていく、人生の歩み方を作っていくものだ、と。既存のスポーツはあくまで、「移動」という人間の本質を実感するための入口なんだ、という認識の組み換えが必要ではないかと思います。

——スポーツは、「移動」という人間の本質の入口となる仮想的な体験…かなり斬新な発想ですけど、言われてみるとたしかにそういう側面はあるかもしれないですね。

「年齢」に対する固定観念を打ち破る手段

〈エクストレイン〉の大人向けパルクール教室の様子。写真提供/合同会社SENDAI X TRAIN

——今回話していただいた子どもの体育の問題は、大人の体育の問題にもつながっているわけですか。

佐藤:多数派の大人のあいだでは「諦めのカルチャー」が根強くあると思うんです。「80歳ぐらいになったら介護施設に入るんだから、自然の流れで老いていって、動けなくなったらケアワーカーのお世話になればいい」という感覚ですね。

それって、いまいらっしゃる高齢者の方たちがうまく歩けなくなっていたりするのをたくさん見ているからだと思うんです。「自分も年老いたらそうなるんだろうな」と、不可避の運命として受け止めてしまっている。

でも、いまお歳を召されて歩くこともままならくなっている方って、中高年のときに運動できる機会も環境も少なく、カラダを動かすことができなかった方も一定数いらっしゃるのではないかと思うんです。ヨーロッパのいろいろな国に行って感じたんですが、向こうでは運動をするための場所、空間、機会が、日本に比べて非常に多く用意されているんですよね。

——いまでこそ日本ではジムも増えましたし、ランニングカルチャーも盛り上がっていて、以前より運動する環境は整ってきていますけど、まだまだ足りていないのかもしれないですね。

佐藤:現代医学では90代になっても筋トレをすれば筋肉が増えるし、運動をすることで脳の成長を促し認知症予防にも役立てられることが明らかになってきています。「体力の低下と加齢には、実は相関関係がない」とも言われていますね。

実際に、今の中高年の方はフルコートでサッカーをしたり、100歳のランナーがいたりと、体力の水準が間違いなく上がってきています。僕の教室にも50代の方がいて、僕が子どもの頃に見ていた50代の人のイメージとは大きく違って、ものすごいジャンプができます。しかも今後も運動を継続していけば、その能力が今後の10年、20年で極端に落ちるようにも見えないんですね。

——昔だったら考えられないような運動能力をもつ中高年の方々も増えてきているけれど、マジョリティの人たちは「あくまで特殊な人たちで、自分たちとは違うよね」と切り離しをしてしまっているのかもしれないですね。

佐藤:でもそれって僕には、自分でわざわざ自立できない環境を作って突き進んでいるように見えるんです。そうではなく、ある個人がどう生きたいか、どんなことを成し遂げたいか、それを目標設定するだけで大きく変わってくる。

諦めずに体力つけておくことは、一人ひとりが不自由なく生きていく上でとても大事なことですよね。パルクールって、そういう「年齢」に関する固定観念を打ち破る一つの方法でもあると思うんです。

参考
中央教育審議会答申「子どもの体力向上のための総合的な方策について」
斎藤剛史『遊びの中で培われる体力が低下 二極化も深刻に』ベネッセ教育情報サイト

(第10回へ続く)

取材・文/中野慧 撮影/大内カオリ

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