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コロナを乗り越えて東京から北京、そしてパリへ|View of PICSPORT

連載「View of PICSPORT -フォトグラファーが見たアスリートの肖像-」。長年、さまざまな競技で取材を続けるスポーツフォトグラファー、岸本勉さん、中村博之さんが写真を通じて、“アスリートの素顔”に迫る。第十五回は中村博之さんが捉えたコロナ禍のオリンピック。

2024年7月に開催されるパリ夏季オリンピックは、2018年平昌冬季オリンピック以来となる人数制限なしの有観客で行われる。観衆は大声援を選手に送り、観光も食事も自由に楽しむことがきる。

しかし、新型コロナウィルス感染症の影響を受けた2020東京夏季オリンピックと2022年北京冬季オリンピックは様々な制限があり、筆者も今までに経験をした事がない取材となった。特に北京オリンピックは印象深かった。

北京空港到着4日前と3日前に中国政府指定の医療機関でPCR検査を2回受けなければいけなかった。もし、陰性結果の場合は飛行機に搭乗する事ができない。ちなみに鼻咽頭検査なのでとても痛い!

無事に2回とも陰性で北京へ出発するも、空港到着後すぐにPCR検査を受ける。これも鼻咽頭検査で無茶苦茶痛かった!そして、ホテルで検査結果を待つ。その間は一歩も部屋を出る事は許されず、スーツケースや機材バッグを広げる事もせず、祈る事しかできなかった。3時間ほど経ち、部屋の電話が鳴り響き受話器を取る。女性の声で淡々と『You are negative(陰性)』。ようやく僕のオリンピック取材がスタートした。

でも、PCR検査は毎日する必要があり、もちろん鼻咽頭検査。陽性の場合は他の施設でさらに隔離生活が待っているので、帰国便の飛行機に搭乗するまで心休まる日はなかった。

北京オリンピックは完全なる隔離生活で、空港、メディアセンター、ホテル、各会場への移動は基本バスで、街を出歩く事はできない。普段通りに生活をしている現地中国人の方と交流する事もなく、大会に携わった関係者はストレスと不安を抱えながら生活をしていたと思う。

それだけにアスリートのパフォーマンスをファインダー越しに撮影をする時間帯だけは、いつも通りのオリンピックでやっぱり最高だった。

そして、聖火は苦労しながらも東京から北京へ、そしてパリに繋がった。世界情勢が不安定なので心配事も多いが、自由・平等・博愛をスローガンにしているフランスでどのようなオリンピックが開催されるのか興味深い。

大会マスコット『ビンドゥンドゥン』は大人気で、スーベニールショップは毎日大行列。結局、筆者は購入することができなかった

北京空港到着。オリンピックマスコットの『ビンドゥンドゥン』とパラリンピックマスコットの『シュエ・ロンロン』が楽しそうにお出迎え。しかし、防護服を着た大会関係者が慌ただしく歩いていた

北京空港のPCR検査場。検査が一人終了するたびに、毎回消毒して感染予防をする

PCR検査後に取材で必要なADカードの有効化。アクリル板を設置して、スタッフは全員が防護服を着用し、海外入国者の受付に追われていた

メインプレスセンターでは常にボランティアの方々が床や手すりを清掃してくれていた

ボランティアの女性は外でもマスクとフェイスシードを着用し、完璧な感染予防対策でメディア対応をしていた

警備員もきちんとマスクを着用。開会式は大事な式典なので緊張感漂わせていた

最終聖火ランナーはノルディックスキー複合男子のジャオ・ジウェン(右)とスキー距離女子ジニゲル・イラムジャン(左)が務めた

各フォトグラファーが使用している機材ロッカーも毎日PCR検査

常に医療従事者が各会場に待機していた

アイスホッケー会場の製氷風景。大会期間中はN95規格などの指定のマスク着用が義務付けられていた

スキー競技などが行われた張家口地区には高京張都市間鉄道で移動。張家口駅に到着すると防護服を着用したボランティアがお出迎えをしてくれた

張家口駅到着後すぐにセキュリティーチェックを受け、シャトルバスで各会場へ出発する

人数制限の有観客で行われたので、座席同士の間隔を空ける必要があり、満員の会場で大声援に包まれる事はなかった

IOC会長のトーマス・バッハもIOC特製のマスク着用で記者会見を開いた

男子スキージャンプ個人ノーマルヒルで金メダルを獲得した小林陵侑。表彰台の上でも大ジャンプを見せて喜びを表した

スノーボード男子ハーフパイプで悲願の金メダルを獲得した平野歩夢

28年ぶりにメダルをを獲得したノルディック複合日本代表団体。惜しくもドイツに敗れ2位でフィニッシュしたが、選手やスタッフが満面の笑顔で喜び合うこの写真はお気に入りの1枚だ

金メダル候補と言われていたスピードスケート女子団体追い抜き。惜しくも銀メダルに終わり表彰式で涙を見せる(左から)佐藤綾乃、高木美帆、高木菜那

メダルには届かなかったが4回転アクセルに挑戦し、記憶に残る演技で観衆を魅了した羽生結弦

表彰式でプレゼンターの補佐をするボランティアの女性。-15℃の世界でもハートマークで撮影に応じてくれた

フォトグラファー・中村博之

中村博之(なかむら・ひろゆき)/1977年生まれ、福岡県出身。1999年スポーツフォトエージェンシー『フォート・キシモト』に入社。2011年フリーランスとして活動を始める。オリンピックは夏季冬季合わせて10大会を取材。世界水泳選手権は2005年モントリオール大会から取材中。2015年FINA世界水泳選手権カザン大会より、世界水泳連盟のオフィシャルフォトグラファーを担当。国際スポーツプレス協会会員(A.I.P.S.)/日本スポーツプレス協会会員(A.J.P.S.)。

撮影・文/中村博之

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