橋本大輝(体操)「自分の演技に集中して毎日を積み重ねていきたい」
昨年、世界選手権での2連覇を果たし、パリ・オリンピックの代表にも選ばれた。日本のエースである彼が今考えることとは。(雑誌『ターザン』の人気連載「Here Comes Tarzan」No.878〈2024年4月18日発売〉より全文掲載)
取材・文/鈴木一朗 撮影/吉松伸太郎
初出『Tarzan』No.878・2024年4月18日発売
Profile
橋本大輝(はしもと・だいき)/2001年生まれ。168㎝、59㎏、体脂肪率4%。千葉県香取市にある〈佐原ジュニア体操クラブ〉で体操を始める。市立船橋高校3年時にドイツで行われた世界選手権に出場。団体で3位。順天堂大学に進学し、21年には全日本個人総合選手権とNHK杯体操選手権で優勝し、コロナのため1年遅れで開催された東京オリンピックの代表に選ばれた。東京オリンピックでは個人総合と種目別鉄棒で金メダル。22年、23年の世界選手権では2連覇を達成した。
毎日練習できている時間を、 とても大切にしている
先までスッと伸びる倒立。鉄棒から手が離れ、しなやかに回転したカラダが床に吸い付くようにピタリと止まる着地。その日、体操競技場で見た光景はとんでもないモノだった。
世界最強(そう呼んでも差し支えはないだろう)の橋本大輝が、練習で体操6種目すべてを通して演技したのである。 なかなか見られるものではない。普通は一つ一つの技を時間をかけて行い、最後にそれを繫げる作業へと入っていく。
我々は最終も最終、実際の本番での演技を目の当たりにしたのだ。パリ・オリンピックでやる演技ですよね、と橋本に聞くと「はい」と笑う。すごいモノを見せてもらいました、と続けると「いえいえ、まだまだ全然です」と一言。
素人目には、ほぼ完璧に思えたのだが…。 橋本は2023年10月に開催された世界選手権で2連覇を果たした。日本人としては内村航平さんに次ぐ2人目の快挙。続く12月には早々とオリンピック代表にも選ばれた。ただ、ここまでは、決して順風満帆に来たわけではなかった。世界選手権の目前には“このままでは勝つのが難しいのではないか”と考えていたのだ。
「動きがあまりよくなくて、そのときは原因もわからず、どうしよう、どうしようってずっと考え込んでいました。ただ、いざ試合になったらやり切ることだけを目標にと、気持ちを切り替えようとしたのですが、やはりうまくカラダが動かせていない感覚が続いて。苦しいなと思いながら、すごく悩んでいました」
実は橋本、2022年の8月あたりから腰に不安を感じていた。この年の10月~11月にかけてイギリスのリバプールで開催された世界選手権は、そんななかで初優勝。が、その代償であるかのように、痛みはどんどんと酷くなっていった。
「我慢できなくなって、去年の1月に病院に行ったんです。大したことないだろうと思ったけど、腰の疲労骨折だと聞かされて…。気持ちが沈んでしまった。練習には制限がかかるし、オリンピックの前年でしたから、一年をこんなふうにしていこう、と立てていた目標が一気に崩れてしまった。もう一度最初からやり直さなくてはいけなかったんです」
幸い、その1月に次の世界選手権の代表に選ばれたことで、新たな目標ができた。だが、なかなか前向きにはなれない。そんなとき、内村さんと食事をする機会に恵まれた。
「2月でした。気持ちが沈んだ状態で話をしていたんですけど、内村さんは“大輝なら大丈夫だよ”なんて、すごく楽観的に励ましてくれた。自分はこうしたい、とかいろんな話をさせてもらって、自分の悩みを打ち明けながら、とても楽しい時間を過ごすことができました。
そのことがきっかけで、気持ちを切り替えてがんばっていこうとか、もう一度ちゃんと自分のカラダとうまく付き合っていこうと思い直せたんです」
言葉通りに橋本は少しずつ調子を戻していく。アスリートのメンタルがいかにフィジカルに影響を与えるかが、このことからもわかる。「日本では思った以上に、いい動きができていたんですよ」と、橋本も言う。ところが昨年10月、世界選手権が開催されるベルギーの前に、まず入ったオランダで異変が起こったのだ。
「痛みはないんですよ。でも、自分が求めている動きができない。それで、そのままの状態で世界選手権の本番に入ってしまったんですね」
骨盤まわりのストレッチで、 カラダの動きを取り戻せた。 予選は3位。出遅れてしまった。いつもとは動きも違い、精彩を欠いた。自分の意思通りにカラダが動いてくれない。
実は体操選手には“試合筋”なるものがある。これは自分の意思に反して、必要以上の筋力を発揮してしまうことを指す。つまり、カラダの反応が良くなりすぎ、動きを制御できずに失敗してしまうのだ。
橋本はこんなことがよくあり、そのときは筋力の発揮を60%ぐらいに留めるように努めているという。だが、今回は違う。自分の思い描いている動きがほとんどできなかったのだ。
「予選が終わった翌日、痛くないけどやっぱり腰なのかなと思って、トレーナーさんとも相談して腸腰筋のストレッチとかを入念にやりました。それで練習に入ってみたところ、見違えるような動きになって。鉄棒触っても、平行棒触っても全然違う。
やっぱり、オランダに入る前に飛行機やバスの長い移動時間があったから、体幹が知らぬ間に固まったとか、骨盤の可動域が狭まっていたんですね。これで、まず団体決勝は大丈夫だと思いました」
自分の演技に磨きをかける。 それがオリンピックに繫がる
エースが蘇り、まずは団体で優勝する。実は橋本が一番欲しかったのはこれだった。2015年以来8年ぶりの金メダル。弾みがついた。
「個人総合は普通にやれば勝てると思っていました。もう何も考えずに自分のことだけに集中しようと。ただ、床で着地が乱れて大きく減点されて、鞍馬に関してもあまり評価されなかったので、勝負をかけるなら後半の3種目だと考えていました」
跳馬、平行棒、鉄棒。まず跳馬は難度が高いロペスという技を決める。
「空中に出た瞬間に、これは(着地は)止まるって。いつもより(着地する)青いマットや、(中央の)白い線まではっきり見えたんです。ど真ん中に立ったというのがわかった。あのときは、もうこの流れに乗っていくしかないと思いましたね」
平行棒もうまくまとめて着地をピタリと決め、得意の鉄棒はいつもより難度を下げた演技を行い、しっかりと優勝を手中に収めたのである。
「この経験をしたから、今後ケガをしてもモチベーションが落ちることはないと思います。多少痛みがあっても何かしらできることはあるはず。世界一になるために必要な力っていうのは、いろんなところから吸収できると考えています。だから、今も毎日練習できている時間を、とても大切にしているんですよ」
2024年7月からパリ・オリンピックが始まる。橋本は東京オリンピック個人総合で優勝しているので、これも連覇がかかっている。周りの期待も日々大きくなっていくだろう。
「すごい挑戦ができることはわかっています。ただ、あんまり連覇のことは考えすぎずに、自分の演技に集中して毎日を積み重ねていければいいかなと。そうすれば、最後はオリンピックでいい演技ができたって思えることに繫がっていくはずだから。自分の演技に磨きをかける。まず一番重要なのはそこなんですよ」