白井璃緒(水泳)「きれいでていねいな泳ぎ、今それを必死で探っている」
昨年は日本から世界へといい流れをつかんだ。そして今年、もちろん彼女が目指しているのは、派遣標準記録突破であり、パリ・オリンピックだ。(雑誌『Tarzan』の人気連載「Here Comes Tarzan」No.875(2024年3月7日発売〉より全文掲載)
取材・文/鈴木一朗 撮影/岸本 勉
初出『Tarzan』No.875・2024年3月7日発売
Profile
白井璃緒(しらい・りお)/1999年、兵庫県生まれ。166cm、62kg、体脂肪率20%。2歳で水泳を始める。2019年、日本選手権200m自由形、200m背泳ぎ優勝。20年、日本選手権200m自由形優勝。21年、東京オリンピック800mフリーリレー日本代表。23年、日本選手権200m背泳ぎ優勝、世界選手権200m背泳ぎで準決勝進出。ミズノ所属。
全力で泳いで200mは持たない。今、一番重要なのは泳ぎの安定性。
いよいよパリ・オリンピックが間近となった。まだ出場が決まっていない選手にとっては、正念場であろう。水泳の自由形と背泳ぎのトップ選手である白井璃緒もその一人。
3月17日から24日にかけて行われる国際大会代表選手選考会で出場切符が手に入るか否かが決まるのだ。一発勝負なので、本当に誰が勝つかは予想がつかない。
ただ、白井がいい流れでここまで来ているのは確かだ。まず、昨年4月に彼女は日本選手権の女子200m背泳ぎで優勝を果たし、7月に福岡で開催される世界選手権の代表となった。
「日本選手権はけっこう手応えがあって一本一本集中できたというか、これからの弾みになるような試合ができました。
もちろん、記録が残せない種目(自由形と背泳ぎで出場)もあったのですが、すぐに切り替えて次の種目の準備に移れたのは、自分的にはオンオフの切り替えがすごくうまくできたと思います」
会心の大会だったろう。レースが続く中で自らを保ち続ける難しさは、選手なら誰でも知っていることだ。
「自分の場合、うまくいかないとそればっかり考えてしまい、次のレースに集中し切れなかった部分がすごく目立っていたんです。
でも、去年の選手権では、これはダメだったけど、次のチャンスがあるってすぐ備えられた。
ずっと集中し続けられたんです。最後の種目が200m背泳ぎだったんですけど、そこで決めるしかないという覚悟があった。そういう感覚になったのは、けっこう久しぶりのことだったと思います」
そして、世界選手権。予選は突破したものの準決勝敗退。決勝へは進めなかった。ただ、世界のトップ選手と競い合えたことは、これもひとつ大きな経験になったことだろう。
「バック(背泳ぎ)は多分、(世界で)上位3人ぐらいはもう確定している種目と捉えています。
他の(決勝に残る)5人は安定している選手もいれば、緊張でガタッと落ちる選手もいて、入れ替わる可能性もある。やっぱりオリンピックというと全世界が目標にしていて、気持ちが強い人が決勝に残る舞台だと思うので、自分もそこに食い込んでいければと思っています。
そういう意味では、去年の世界選手権はもっと気持ちを強めていかないといけないと感じさせてくれた大会でもありましたね」
夢を目の前にすると、怖さが先に来た。
2歳から水泳を始めた白井だが、オリンピックを夢見始めたのは小学校3年生のとき。北京オリンピックで北島康介さんの活躍を見てからだった。
もちろん、そのときは夢のまた夢。だが、年齢を重ねるに従い、現実味を帯びてくる。そのとき彼女が感じ始めたのは、驚くことに“うれしさ”とは真逆の感情であった。
「“あっ、ちょっと怖いな”と思いました。すごく覚えているんですけど、東京オリンピックの選考会。2フリ(200m自由形)で150mまでは1位だったんですけど、そこから、おかしくなっちゃって。
残りの50mをがんばれば夢はつかめるのに、“え、いいのかな”とか、いろいろ頭に浮かんできて、それがもう怖かった。ずっと持ち続けてきた夢をいざ目の前にすると、こんなに怖くなるんだって思いました。
だから、“もっと覚悟を持たないと”と感じたのをはっきり覚えています」
東京では個人での出場はならなかったが、800mフリーリレーを泳ぐことはできた。ただ、このオリンピックは、それまでに比べて華やかさに欠けた。無観客だったからだ。
「選手村に入っても正直、他の世界水泳と変わらなかったです。会場に入っても人はいないし、さみしいなって思っていたんですけど、いざ入場して予選を泳いで、応援席の方をパッと見たら、日本の旗が見えた。
そのときに、今オリンピックで泳いでいるんだって、やっと実感が湧いたというか。夢が叶ったと思えるまでに時間がだいぶかかりましたね」
ただ、オリンピックに出場したという事実は非常に重要なことだろう。
派遣標準記録は厳しいが、手が届かない記録ではない。
さて、この取材を行ったときは、練習の強度がピークを迎える時期と重なっていた。
取材前日は朝6000m、午後7300m泳いだという。そして、練習後は体重がなんと1kg減ったらしい。基本は午前と午後の2部練習だが、週2回は午後の練習がウェイトトレーニングに変わる。
「ウェイトは大学に入って始めたんですが、1年の頃は少しずつカラダに染みついていったみたいな感じ。で、2年のときに培った力をスイムに繫げられるようになってきて、ウェイトの種類であったり、回数を試行錯誤するようになっていったんですよね」
練習メニュー
この日の練習はプールサイドでの筋力トレーニングから。ビート板、パドル、そしてパラシュートと呼ばれる抵抗を生む器具を使い、いくつものドリルを繰り返して泳ぐ。
距離は4700m。その後、ウェイトトレーニングへ。今日の練習のキツさはと聞くと「一番キツいのを10とすると2か3ぐらい」と笑う。
決して楽には見えなかったから驚き。前日がハードメニューだったので軽めだったようだ。
それにしても優秀なアスリートを見て常々思うのは、過酷な毎日によく耐えていけるなということ。
「イヤになることはありませんか?」と聞いてみると、「常に思っていますよ。やらなきゃ終わらない、ただそれだけ。いやいや、前はこの練習をやれば、もっと強くなれると思ってやっていたはずなんですが」と笑う。
だが、やらなくてはならないことを、やれないのが、ほとんどの人。やはりトップに立つ人は違う。
前述した3月17日から始まるオリンピック代表選考会では、まず2位までに入ることが必須である。そして、もうひとつ重要なことがある。それが派遣標準記録を超えることだ。
女子200m背泳ぎでは2分8秒65。2017年から23年までのオリンピックおよび世界選手権の10位までで、最速だった記録を超えることが代表の条件となったのだ。
これが非常に厳しい。白井は19年に2分7秒87というタイムを出している。ただ、最近では2分10秒を切れていないという実情もある。
つまり、この種目の全選手にとっても、大きな壁なのである。だが、白井はやれることは多いと、前向きの姿勢をまったく崩さない。
「泳ぎの安定性がまだないというか、それが大きな課題。タイムを出すためには、全力で泳ぐ。今まではそうしていたんです。
でも、200mを泳ぐなら、ちょっと速度を落としてもきれいで丁寧な泳ぎじゃないと持たないし、戦えない。その泳ぎを、今必死で探っているって感じです。
それに、ターン動作。まだイマイチよくなくって。安定性が上がって、ターン動作ができていけば、1秒ぐらいは縮められるはずです。選考会の派遣標準記録は、そう簡単に出せるものではない。
ただ、(日々の練習での)ラップタイムを考えると決して手が届かない記録ではないと思う。日々の練習から泳ぎを見つけて、その泳ぎでパリへと進んでいきたいと考えているんです」