奈良岡功大(バドミントン)「今はファイナルに出場することが目標なんです」
父親の指導で子供の頃から才能は開花した。ところがコロナの拡大で道が閉ざされてしまう。それでも奈良岡功大は諦めず、日本のエースに上り詰めた。(雑誌『Tarzan』の人気連載「Here Comes Tarzan」No.871〈2024年1月25日発売〉より全文掲載)
取材・文/鈴木一朗 撮影/岸本勉
初出『Tarzan』No.871・2024年1月4日発売
Profile
奈良岡功大(ならおか・こうだい)/2001年生まれ。173cm、67kg、体脂肪率7%。17年、全日本総合バドミントン選手権大会に出場。16歳4か月での1回戦突破が史上最年少となる。同年、世界ジュニア選手権で3位に入り、翌18年の同大会で2位。また、同年のユースオリンピックで3位。23年、世界選手権で2位になる。FWDグループ所属。
日本人選手2人目の快挙を成し遂げた舞台裏。
2023年8月、デンマークの首都コペンハーゲンで開催されたバドミントンの世界選手権。男子シングルスで銀メダルを獲得したのが、奈良岡功大である。
奈良岡は4回戦までを危なげなくストレートで勝ち上がり、準々決勝でも世界ランキング8位(このとき奈良岡は4位)、中国のシ・ユーチーを撃破し、準決勝に進出した。
この相手がアンダース・アントンセン。デンマークの選手で、奈良岡の入場時には観客からのブーイング。その雰囲気に飲まれたわけではないだろうが、1ゲーム目はデュースまでもつれたが奈良岡が奪い、勢いのまま2セットを連取した。
「自分的にはコンディションが良くないなかでの大会でした。試合前の練習もできなかったぐらいで。でも、ちょっとずつ合わせていけたのでよかったですね。いつもなら、長いラリーをして相手を疲れさせようと思うのですが、あのときはそれをやると自分が疲れるので、できるだけ早く終わらせようと考えていました」
4回戦まで危なげなく、というのは観客の視点だった。実際は万全ではなかったのだ。そして、決勝は世界ジュニアでも戦ったタイのクンラブット・ヴィチットサーン。フルゲーム1時間46分を戦い抜き、惜敗という結果。長時間の厳しい戦いが、奈良岡の体力を奪ったのであろう。
「決勝戦も正直、ちゃんと練習できていれば優勝できたと思っています。ただ、準決勝をやっている途中で、ケガしていた場所が痛くなってしまって、“これは、まずいな”というなかでどうにか勝てて、決勝もどうかなって思っていたんです。あと少しというところで負けてしまいました。
クンラブット選手は昔からずっとやっていますけど、フェイントが凄いし、攻守ともにできる選手です。ライバルだけれど仲はいいです」
ともあれ結果は準優勝だ。日本人選手として表彰台の上に立つのは、桃田賢人以来2人目である。
才能を引き出したのは、特別扱いしない父の厳しさ。
奈良岡を語るとき、父親の存在を抜きにはできない。父・浩さんは元バドミントン選手で、地元・青森のバドミントンの弱さを憂いて、浪岡ジュニアバドミントンチームを設立する。奈良岡は5歳の頃から、ここで練習を始める。
「全然、覚えていない」と彼は言うが、父親も特別扱いはしなかった。すべての選手を育てていく。そうした父の考えが強く働いたからこそ、青森は今、バドミントンで最強の県という地位を築けたのだろう。
奈良岡に話を戻したい。
「小学校3年生のABC(全国小学校ABC大会)で勝ったあたりから、ちょっとがんばろうかなと思い始めました。ケガのリスクがあるから、他のいろんな遊びをやらなくなった。そして、バドミントンのことを、ずっと考えるようになりましたね」
学校から帰ると19時から21時まで練習。奈良岡が「無限」と表現するほどの過酷さだった。一方のコートに奈良岡が入り、もう一方には3人、4人の先輩が入る。それで、試合形式の実戦的な練習が長時間続く。
この練習が終わると、自主的にネット際での攻防の練習。「キツいトレーニングのあとでも(ハードじゃないから)楽しめる」らしい。帰ったら、風呂場がトレーニング場だ。しゃもじで手首の鍛錬である。フォアで500回、バックで500回、握り方を変えて500回、手首をまっすぐにして500回。計2000回だ。
木のしゃもじには父が“己に勝つ”と記した。ところが1年も経たずに折れてしまい、以降はプラスチック製に替わる。ここまでやって、強くならないはずがない。
そして、地元の名門・浪岡中学校、浪岡高校へと進学する。ここでもコーチ、監督は父だ。全国中学選手権では1年~3年まで3連覇。高校では将来を見据え、海外を転戦するようになる。
「ただ、海外を回って、そのうえでインターハイの調整をするのは難しかった。1年のときはすべての試合に出場して肉体的に消耗して個人は2位。個人だけに出ていたら優勝したと思います。
2年のときは試合前に足首を捻挫して松葉杖状態。それで2位なのでしょうがないって感じです。ただ、3年は最後のチャンスですから、ある程度カラダを作っていて、これで優勝しなかったらおかしいという状態で臨みました」
結果はもちろん優勝。体重が増加気味だったのでランニングを毎日6km。週に2回のフリーウェイトでのトレーニング。
写真でもわかると思うが、ふくらはぎの太さが尋常ではない。「ラリー力や粘りはこれがあるおかげ」と、自身も語る。現在、奈良岡は日本大学の4年生だが、この大学を選んだのにも理由がある。
「普通は大学ではリーグ戦とかインカレを優先してほしいというのがあるんです。でも、自分は海外を転戦するつもりだから、それはできない。日大は国際試合を優先していいと言ってくれた。それで決めました」
「負けてもいいじゃん、がんばっているんだから」母の言葉で吹っ切れた。
ところが、新型コロナが広がり、海外だけでなく、日本の大会もほぼ中止となる。そのとき、奈良岡は世界ランキング42位で日本のB代表だったのだが、海外の大会が再開しても出場できる選手はA代表のみ。
図らずも、大学の大会に出場して関東大学リーグの日大優勝を牽引することとなったのだ。ただ、そんな状況でも、彼は前向きに考えていた。
「自分と同世代のクンラブット選手なんかを見ていて、ここまでにはなれるんだと思っていました。確か、彼がそのとき10位ぐらいだったかな。試合に出られさえすれば、そこまで行ける、ならば自分が今できることをやっておこうと、体力作りや試合勘を取り戻すことを主に、練習やトレーニングをしていました」
予想は的中する。通常通り大会が行われるようになって1年ほどの2023年の8月、奈良岡の世界ランキングは3位まで浮上。日本のエースと呼ばれる存在にまで上り詰めた。次の楽しみはパリ・オリンピックだ。
「オリンピックの選考レースは、最初の頃はストレスが半端じゃなかった。そんなときに、母親が“負けてもいいじゃん、がんばっているんだから”と言ってくれたんです。22歳だし、まだ3回は行くチャンスがあるって。
それで、ランキングを上げて注目されたいとか、勝って賞金が欲しいとか、子供みたいな考えで通そうって思った。オリンピックも頭に浮かばない。それがよくて、ここまで繫がっているんだと思います。だから、今はファイナルに出場することが目標なんです。高いんですよ、この大会の賞金が(笑)」
ファイナルとはBWFワールドツアーファイナルズのこと。ツアーの上位8人による頂上決戦だ。昨年の12月に行われたので、これを読んでいる人は結果がわかっているはず(この記事の執筆は2023年11月末時点)。
それでも、やはりパリ・オリンピックなのだ。彼の活躍を期待しながら、見てみたいものである。
取材に伺った日の練習メニュー
今回、奈良岡はそれほど激しい練習は行わなかったが、ショットの多彩さは十分に理解できた。たとえば、ネットのギリギリ上を通過させてシャトルを打ち合う。ネットから浮いてしまうと、実戦では反撃される材料となる。
また、後方へ大きく打つロブ。体勢を立て直す時間を稼ぐショットだ。そして、スマッシュ。相手のコートに一直線に打ち込むこのショットはもっとも攻撃的。打ち出した瞬間の速さがとにかくスゴイ。