金戸凜(飛び込み)「今は切実に五輪に出場したい」
大人にまるで引けを取らない天才少女だった。だが、ケガに泣かされ競技人生が大きく変わる。金戸凜はいくつもの障害を乗り越え歩み続けている。(雑誌『Tarzan』の人気連載「Here Comes Tarzan」No.867〈2023年10月19日発売〉より全文掲載)
取材・文/鈴木一朗 撮影/中西祐介
初出『Tarzan』No.867・2023年10月19日発売
Profile
金戸凜(かねと・りん)/2003年生まれ。152cm。17年、13歳のときに国際大会派遣選手選考会の3m板飛び込みで優勝。19年、日本室内選手権飛込競技大会で優勝。同年、世界選手権で17位。肩のケガで東京オリンピックを断念。22年、世界選手権の3m飛び板シンクロで準優勝。今年9月、日本選手権の高飛び込みで復活となる優勝を果たした。
目次
奇跡とも呼ぶべき、日本選手権での優勝。
「優勝したことは素直にうれしいし、自分の中ではほっとしているのが大きいですね。去年ケガをして、今年4月に行われた福岡の世界選手権の選考試合にも出場できなかったから、今年の日本選手権がパリ(・オリンピック)へのラストチャンスだと思ってやってきた。だから、これまでで一番集中して試合に臨めました」
今年、9月に行われた日本選手権の女子高飛び込みで優勝したのが、金戸凜だ。この優勝は、奇跡とも呼ぶべき出来事である。
昨年9月、彼女は練習中に大ケガをしてしまう。後十字靱帯の断裂と半月板の損傷。まったく歩くことができなかったところから、たった11か月で見事に復活を遂げたのだ。今年4月の世界選手権の選考試合は、だから出場は叶わなかった。
ここで世界選手権の出場権を得て、福岡で行われたこの大会で決勝に残るというのが、パリ・オリンピックへの一番の近道だったし、現に荒井祭里がこれを歩み切った。
そして、今年の日本選手権は、来年2月にカタールのドーハで行われる世界選手権の選考会であり、またそこで決勝に残れば、オリンピック代表に希望を繫げる。金戸が言ったラストチャンスという言葉には、そういう意味が含まれている。
15歳で右肩を負傷。東京は消えた。
祖父母、両親ともにオリンピック代表。まさに飛び込みの申し子、小さい頃から注目されてきたし、実力も文句なしだった。本人も「中学生までが黄金期でした。負けなしでしたから」と、笑う。
両親がバレエとトランポリンを習わせたのも大きかったはず。今でも、空中での感覚が優れていることは演技を見ればすぐにわかるし、手先足先まで美しく伸びているのはバレエで培った技術だろう。
13歳のときにはトップ選手が集結する国際大会派遣選手選考会の3m板飛び込みで優勝を果たす。そして、15歳のときには日本室内選手権飛込競技大会の高飛び込みで優勝し、韓国の光州で開催された世界選手権に初出場した。ここまでは、順風満帆である。
が、ここからとてつもない試練が金戸を襲うのである。
大会では予選5位となり、準決勝へと進む。実はこれは東京オリンピックの選考大会でもあった。決勝進出の12位以内になればその舞台に立てる。しかし、準決勝の1本目で右肩を負傷。17位に沈んでしまう。
それからは、演技で腕を動かすと亜脱臼になることが頻繁に起きる。20年、手術を決断。東京は消えた。そして、復帰後には父・恵太さんの勧めで肩に安全な板飛び込みに専念するようになる。
16歳には難しい決断だ。板の反発を利用する板飛び込みは筋力と体重が必要。成長期の女子には不利である。それでも、黙々と練習を続け、21年には全日本選手権の3m板飛び込みで優勝。
翌年7月には三上紗也可と組んで、ハンガリー・ブダペストの世界選手権の3m飛び板シンクロで準優勝に輝いたのだ。
リハビリってメチャ痛い。夜寝るときには不安が襲う。
ところが2か月後の9月。練習で飛び板を跳んでいたとき、ガクッと膝関節が逆方向に曲がってしまう。
すぐに手術。そして、リハビリとトレーニングの日々。普通の人が完治するのとは違う。ここから再びトップへ返り咲かないといけないのだ。
「肩のときは、日々、回復していく感じがあったんです。ちょっとずつ動かせるようになったとか。でも、膝は何も感じられなくて、自分が復帰する姿も想像できなかった。
ケガした直後はその瞬間の記憶が残っていて、しんどかった。フラッシュバックみたいに頭に浮かんで、ケガをしたときのズリッとした音も残っていて。
ただ、リハビリってメチャ痛いんですよ。だから、リハビリをやっているときは、競技のことは頭から抜けちゃってて、とにかく痛いばっかり。それで、夜寝るときにズリッというあの感覚とか、この先のことを考えてしまったりするんです」
担当の医師には“半年で復帰”と言われていた。それは今年の3~4月ということだ。福岡の選考大会に間に合う。
ただ、金戸は疑問を払拭できないでいた。ケガが良くなっているようには思えなかったのだ。そして、1月に膝関節に癒着部分が見つかる。また手術だ。肩を合わせて計3回受けたことになる。
戻れたことが、とにかく、うれしかった。
また一からのリハビリがスタートした。伸ばした脚の膝を少しだけ上に持ち上げる。ベッドから浮く程度だ。そこから始まり、ケガした側の足を体重計に乗せて少しずつ加重していく。
歩けるようになっても痛みは消えず、それを抱えたままでの優勝だったのである。肉体的にも精神的にも驚かされるタフさを彼女は持っている。
「あの場所に戻れたというのが、とにかくうれしかったです。“帰ってきたね”とか“大丈夫?”とか声をかけられたりして、やっぱり自分にはここしかないと思いました」
ラストチャンスをモノにした金戸だが、まだ万全にはほど遠い状態だ。
「自分に必要なのはまず体力面。日本選手権の決勝のときに自分が疲れているのがわかった。世界選手権では日本選手権より多く跳ばないといけないので、有酸素運動で持久力を高めることも、長い間跳べる膝にすることも大切だと考えています」
飛び込みの練習は千葉国際総合水泳場で行っている。そして、2日に1回はリハビリとトレーニングだ。
「まずリハビリを2時間やって、次にトレーニングが2時間です。リハビリは膝まわりの筋肉に力を入れる練習、痛くない使い方を覚える、可動域を上げる、それに電気での治療などです。
終わったら、全身のウェイトトレーニング。飛び込みで大切なのは、空中で動くための体幹と、高くジャンプする脚力ですね」
取材に伺った日の練習メニュー
まずはプールサイドでストレッチ。時間をかけてケガをした場所をカバーしていく。そして、テーピング。写真にあるように膝をしっかりとホールドできていないと、さらなる障害を誘発する可能性もある。
とにかく慎重に巻く。終わると、3mの飛び板を使って30本ほど跳ぶ。一本一本を父・恵太さんに見てもらい、空中動作や入水の角度など細かいところを指導してもらう。約1時間の練習だった。
今は切実にパリに行きたい。でも、出るだけでいいというのは違う。
来年の2月に向かって今、金戸は遅くとも確実に前進を続けている。そして、その先には7月に開催されるパリ・オリンピックが控えている。
「祖父母、両親、兄、姉が選手なので、取材ではオリンピックへの意気込みをという質問をされてきました。思春期の頃は“金メダルを獲りたい”と言うのがイヤだった。みんな同じこと言ってるし、言わされている感がすごく強くて。
でも、東京オリンピックをケガで逃したときに、それがガラリと変わって、オリンピックに出場したいという気持ちを前面に出せるようになった。本当にあのときは悔しかったんですね。だから、今は切実にパリに行きたい。でも、出るだけでいいというのは違うと思う。
ここまで戻ってこられたので、ここから先はケガをしないでどこまで伸ばしていけるかが重要になります。飛び込みは圧倒的に中国が強くて、もしかしたら勝つのは無理かもしれない。ただ、そこで自分が納得できる、ベストの演技ができるようにしたいと思っているんです」
プールサイドから娘を見つめる父であり、コーチでもある恵太さんが“飛び込みの神様がこれからは…”と呟いたのが、強くココロに残った。