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誰もやったことのない技を成功させ、SNSで動画を発信して注目を集めた。鉄棒のスペシャリスト前田楓丞は世界を見据える。(雑誌『ターザン』の人気連載「Here Comes Tarzan」No.870〈2023年12月14日発売〉より全文掲載)
考えないことではない。でも、できないからやらないという選手がほとんどだろう。というか現実にやったのは唯一人、前田楓丞だけである。
体操の鉄棒に、コバチという離れ技がある。これは後方大回転から手を放し、後方2回宙返りを行い、バーを再びつかむというD難度(Aから順に難度が上がる)の技である。
前田は、この技の上を行く後方3回転に成功したのだ。試合ではない。だから、記録的には何も認められない。ただ、もし試合で成功すればJ難度ともいわれ、もっとも難しい技であることは間違いない。
なんといっても“コバチ宙返り”と呼ばれるようになったこの動画を、世界で19万人近くの人が見たのだ。素人だけでなく、トップの体操選手も、である。なぜできたのだろう。前田は、簡単ですよと言うように話を始めた。
「体操って遊びの部分があって、それが新技の開発になったりするんです。それで、できるかもって感じでやったら、これは夢じゃないと思ったんです。
最初は、まったく(手を放した後に再びバーを)つかめなくって。高校2年生ぐらいで、もうちょっとで持てるって感じ。高校3年のときは持てるかぐらい(笑)。でも持てなくて、大学に入ったときに練習後に試したらできたんです」
もうひとつ離れ技がある。それがミヤチだ。2017年の世界選手権で宮地秀享が初めて成功させた。ブレットシュナイダーという技があるが、これはコバチに横方向のひねりを2回加えたもので、H難度だ。
ミヤチはそれを伸身、つまりカラダを伸ばした状態で行う。こちらはI難度と最も難しい。この技を前田は翌18年、高校3年の国体で決めた。
「まずブレットシュナイダーを高校2年で始めたんですが、なかなかできなかった。当時、ほとんどやられていなくて、お手本がなかった。それで、自分でいろんな方法を試していたらバグって、逆に動きが悪くなってしまった。
ただ、これも練習とは別の遊びですから。それでやっていたら、だんだん伸身のブレットシュナイダー、つまりミヤチができるようになってきて、試合で使えるレベルにまで精度が上がってきた。それでやってみようと」
たった1年でミヤチを試合で行えるほどに仕上げるのは尋常ではない。空中における身体能力の高さが、段違いなのである。前田はなぜそのような能力を手に入れられたのだろう。
2人のコーチとの出会いが大きかった。まず1人が、横田裕彦コーチだ。地元・北九州で4歳から中学3年生まで指導してもらった。小学校1年からは、ほぼマンツーマンで対応してもらうという贅沢さだった。
「横田先生からはカラダの動かし方を学びました。このときは子供だから、自分で考えるというよりは、やらされていたという感じですね。
ただ、それがあったから今がある。自分が思ったようにカラダが動かせること。これを教えてもらいました。
たとえば具体的に練習を挙げると、床にうつ伏せになる。そして、先生が首から腰にかけての背骨をランダムで押していくんです。押されたら、そこの骨だけを上へと押し上げて元に戻す。すると、今度は他の場所をトントンって。これを繰り返す。
また、鏡の前で目を瞑って、両腕を真横に開く。そして、目を開けて確かめる。左右の腕が同じ高さで、真横に伸びているかをです。自分の思っているカタチを、そのままできるようにすることがまず大切なんです」
高校は北九州の体操の名門、自由ヶ丘高校へ。ここで出会ったのが、松浦聡志監督だ。実は、前田はカラダの強さという面では、他の選手より劣る。だから、関節に負荷がかかるあん馬は得意ではないし、鉄棒のスペシャリストを目指すことを決めた理由もここにある。
「あん馬したら手首が痛くなったり、つり輪で肩をやられたり。そんなタイプなんですが、松浦先生はカラダが弱いんだったら、それなりの技術を身につけなさいとずっと言ってくれた。今、持っているパワーを最大限に使える動き方を自分で考えなさい、と。だから、僕は闇雲に練習するほうではないんです。
一度動いてみて、どこが違うのかを確かめる。長いときには成功した選手の動画を1時間半ぐらい見て、また始める。
そうすることでやり方が一から十までわかるんです。何となく、ここにちょっと力を入れたら、という感覚的なことではやっていない。理論で組み立てるんですね」
順天堂大学に進学する。オリンピック選手を何人も輩出した名門だが、前田には合わなかった。「体操には遊びの要素があるし、闇雲に練習はしない」という前田の考えは部の方向性とは隔たっていた。
大学3年のときにはコロナで試合がすべて中止に。いろんなことが重なり、彼は大学を去って、体操もやめることを決意する。そして、北九州に戻り、無為の日々を約1年も続けたのだ。
「そんなときに祖母が“婆ちゃんは体操を見るまで死ねん”って言ったんです。まぁ、未練はあって、2か月に1回ぐらいは高校のときから練習場所だった九州共立大学の体育館には行っていたのですが、祖母の言葉で再度挑戦しようと決めました」
そして、23年の全日本種目別選手権の鉄棒で15.033という高得点を出す。結果は田中佑典と僅差の2位だったのだが、後半に離れ技を次々と入れていくその演技は、観客の驚きを呼び、体育館じゅうに歓声が響いた。
他の選手たちも久しぶりにやってきた彼を、歓迎してくれた。前田も「自分が戻るべき場所はやっぱりここなんだ」と思ったと言う。
さて、今後である。前田には大きい未来が待っている。パリ・オリンピックもそうだろうし、世界選手権、まだその後のオリンピックだって可能性は十分にある。
なんといっても、現在23歳という若さだ。北九州から、まさに世界に羽ばたく彼を見られる日がきっと来るはず。だが、その道は決してやさしくはないようだ。
「目標は持ってやっていますが、簡単ではない。ケガやケアに関しては、金銭的にも不安です。プロテクターやテーピング用のテープとかも要りますし。今でも手首と背中とその下に痛みがあります。少しずつ練習をしていっているという感じですかね。
まずはケガを治して、練習ができるようになれば、自ずと完成度も上がっていく。そうすれば、いろいろ見ることができるようになっていくと考えています。
インスタグラムとかでも、オリンピックに出場した海外の選手が(コバチ宙返りを見て)、DMとかくれたりしているので、会ってちゃんと話して演技したいというのはありますね。そのためにやることは、まだまだ多いんですけど」
ケガを抱えているので、まずは入念にストレッチ。このときから、動画を見て動きの分析を行っている。次に、トランポリンを使い前方、後方宙返り+ひねりなど、休憩をたっぷり取りつつ。
次にロンダート(側転に1/4ひねりを入れた技)の3回ひねりを繰り返し、鉄棒へ。手首にケガ予防のテーピングをして、カッシーナなどの離れ技を見せてくれた。間近でトップの演技を見られ、取材班も興奮!
取材・文/鈴木一朗 撮影/下屋敷和文
初出『Tarzan』No.870・2023年12月14日発売