源田壮亮(野球)「優勝を目指せるチーム。そこを目指してやるだけ」
WBCですばらしいがんばりと活躍を見せ、侍ジャパンの優勝に大きく貢献した彼は、今、日本一を目指して戦いに挑もうとしている。(雑誌『Tarzan』の人気連載「Here Comes Tarzan」No.876(2024年3月21日発売〉より全文掲載)
取材・文/鈴木一朗 撮影/中西祐介
初出『Tarzan』No.876・2024年3月21日発売
Profile
源田壮亮(げんだ・そうすけ)/1993年生まれ。179cm、75kg、体脂肪率14%。小学校3年生のときにソフトボールを始める。中学校からは野球。大分商業高校から愛知学院大学、トヨタ自動車を経て、埼玉西武ライオンズへ。2017年、新人王。18~23年、ゴールデングラブ賞。18年、オールスターゲーム第2戦、最優秀選手賞。
シーズン中は苦しいこともある。でも、それが全部吹き飛ぶのが優勝。
「ピッチャーもそうだし、味方の選手、それにファンの人もそう。あそこに飛んだら大丈夫だ、源田なら捕れるという安心感を持ってもらえたらと思いながら、やっていますね」
埼玉西武ライオンズの源田壮亮は、“自分が守備をするときに心掛けていることは?”という質問に、こう答えてくれた。球界を代表するショートストップである。2018~23年、つまり昨年まで6年連続でゴールデングラブ賞に輝いているのが何よりの証拠だ。
もちろん源田は、プロ野球ファンの間では、高い人気を誇っている。が、その名が一般の人にまで深く浸透したのは、やはり昨年に行われたWBCだろう。
1次ラウンドB組第2戦・韓国戦の3回。二塁走者として帰塁した際、源田は右手を骨折してしまう。このときはまだ骨折とわかっていなかったが、ここからのドラマがすごい。一度はベンチに引っ込むが、また走者として塁上へと戻り、その回を終了してから、ようやく交代したのだ。それには、もちろん理由があった。
「中野選手(拓夢・阪神、源田の交代選手)の準備の時間を少しでも作れたらと思ったんです。あの雰囲気、あの緊張感のなかで、彼がポンッとセカンドランナーとして入っていくのは、けっこう難しさもありましたから。それで“ちょっと準備しといて”と言って、セカンドに戻った。自分も多少なら大丈夫でしたし」
普通はこれで終わる。しかし、源田はその後2試合に欠場したものの、準々決勝以降は出場し続けた。骨折箇所をテーピングで固定して、だ。これにはWBCの記者の一人も“本当に感心させられた。
源田が見せたヒーローのようなプレーは、この大会を思い出すときに占める大部分になるでしょう”と綴っているのだ。
「欠場の選択肢はありませんでした。小さい頃WBCを見て、夢を与えてもらいましたから。日本代表のユニフォームは特別ですし、これまで何度か選んでもらいましたけど、ベンチにいることが多かった。坂本(勇人・巨人)選手がショートにいたので。
だから、この大会に懸けていたというか、自分の人生ですごく大きい大会になると考えていた。最後まで戦い抜いて世界一になるというのがありましたね。ライオンズが、最後まで悔いなくやりなさいと背中を押してくれたのも感謝しています」
そして帰国後にはある変化が…。
「本当に声をかけられることが多くて、すごくありがたい。“骨折の人”みたいな(笑)。やっぱり、自分としては選手の価値を上げていかないといけないし、僕が小さい頃、WBCで夢を与えてもらったように、次は自分がそういう立場になれたので、子供たちに野球に興味を持ってもらえればと思っているんですよ」
大学野球日本代表合宿で、新たにスイッチが入った。
高校では野球部に入部したものの、卒業後は就職を考えていた。ところが高校2年のときに大きな変化が起きる。その冬から春にかけ、身長が160cm台から176cmほどまで伸びたのである。「春の大会はニュー源田でした」と言う。卒業前にはプロから育成指名の声がかかった。だが、まだプロでやる自信はなかった。
大学野球といえば、中心を成すのは六大学野球や東都大学野球といった東京である。だが、あるチームから話があったのに流れてしまう。そして、選んだのが愛知県にある愛知学院大学だった。1年の春からベンチ入り、秋にはレギュラーになる。
「運が良かっただけです。それまでレギュラーだった人がケガをして…。愛知学院はレベル高かったですよ。東京の大学を倒すって。みんな東都を目指してたけど、僕と同じような境遇だったんです。だからスカウトが注目する選手もいました」
守備はピカイチだった。ただ、打撃は少々物足りない。大学3年の冬から、それを解消すべく練習時間のほとんどをバッティングに充てた。その結果が春のリーグ戦、全国大会へと繫がっていく。同時期、もうひとつ貴重な体験をする。大学野球日本代表合宿に招聘されたのである。
「行ってみると雑誌でよく見る、もう絶対ドラフト上位という人たちがいっぱいで、それを目の当たりにしました。僕が持っている彼らのイメージは空振りしない、エラーしない、全部ヒットかホームランみたいな感じだった。ところが、実際には空振りするし、エラーもする。これならがんばればいけるかもって、逆に自信がついてスイッチが入りました」
卒業後、社会人のトヨタ自動車に入社する。この選択が源田にとってプラスに働く。それがコーチの乗田貴士さんとの出会いだ。乗田コーチは、トヨタ自動車で長く現役を続けた守備の名手である。彼が源田の守備をもう一段高いところへ導いた。
「それまで自分の守備をちゃんと指摘してくれる人がいなかった。トヨタに入って、コーチにいろんなことを言われてとてもうれしくて、ついていこうと思いましたね。実際、練習していくと、どんどん自分のなかでも変わっていくのがわかった。たとえば、グラブをここに置いていたほうが一番無駄なくボールが入ってくるよね、なんて感じ。ただ、今までの十何年間の自分のクセがあるので、とにかくそれを取り除くために延々と守備練習をやっていました」
2年目の公式戦はノーエラー。そしてこの年、ドラフト3位でライオンズに入団が決まるのである。
選手が結果を出していけば、自然と先は見えてくる。
昨年のWBC後、源田は骨折のため開幕には間に合わず、少々悔しいシーズンを過ごした。ライオンズも19年以来優勝を逃している。というか、昨年は5位に沈んでしまった。それだからこそ今年は、復活を期待するファンの声は高まっている。それに応えなくてはならない。
「これまで戦ってきて、本当に優勝を狙えるチームだと思っているんです。だから、そこを目指してやるという気持ちは強く持っています。そのためには、理想ですが一年間選手がケガで欠けることがないようにしたい。
優勝したチームは、一年間ほとんどスタメンが変わってないですから。僕らが優勝した18年、19年もそんな感じでした。そして、試合に出る選手が結果を出していければ、自然と見えてくると考えています。そうなればいいですね。一年間みんなで戦ってよかったと思えるので」
週に6日試合があって、結果は非情にも全国へと流れる。“それは苦しいですね?”、そう聞くと源田は、「もちろん苦しいですよ。でも、そんなことが全部、吹き飛んでしまうのが優勝なんです」と、笑った。
練習メニュー
取材した日は、キャンプに入る前の自主トレ期間中。まだ動き始めたばかりなので、ごく軽いメニューであった。まずはキャッチボールから。ゆったりとしたフォームから、伸びる球が相手の構えたグラブに収まる。ショートストップの強肩を見せつけられた。そして、ピッチングマシンを使っての打撃練習。バットを振り抜くと、室内練習場にカーンという抜けるような小気味よい音が響いた。