根附海龍(スケートボード)「世界ではまだアマチュア。トップスケーターになりたい」
実力を急激に伸ばしている彼は、世界選手権という大きな舞台で、昨年、初めて銀メダルを獲得した。(雑誌『Tarzan』の人気連載「Here Comes Tarzan」No.874(2024年2月22日発売〉より全文掲載)
取材・文/鈴木一朗 撮影/下屋敷和文 スタイリスト/松下洋介 撮影協力/東静岡アートアンドスポーツ/ヒロバ @eastszokveltex
初出『Tarzan』No.874・2024年2月22日発売
Profile
根附海龍(ねつけ・かいり)/2003年生まれ。170cm、56kg、体脂肪率10%。7歳でスケートボードを始め、多くの大会に出場。19年、アマチュア最高峰の大会Tampa AMで優勝。22年、JAPAN STREET LEAGUE優勝。23年、JAPAN STREET LEAGUE準優勝。X- GAMES Chiba5位。世界選手権準優勝。
世界選手権で技が評価され、世界に通用することがわかってきた
静岡市にある東静岡アート&スポーツヒロバ。その日、根附海龍は多くのセクション(構造物)を自由に、楽しみながら滑り続け、華麗な技を披露した。見る側にとって驚きの連続だった。
彼は、昨年末に東京の有明コロシアムで開催されたスケートボード・ストリートの世界選手権で銀メダルを獲得した。そして、試合前には一つの思い、いや確信を抱いていた。
「勝ち方がわかってきたんですよ」
スケートボード・ストリートの世界選手権はシリーズで行われる。根附はその第1戦で23位、第4戦ではいきなり4位へとランクアップを果たした。その過程で、どうすればジャッジに響き、高得点が獲れるかが、わかり始めたと言うのである。
「ランのときの構成。技の一つひとつの難易度も大事ですけど、それらをどううまく繫げられるかというところが、すごく大事。そこを変えるように意識したら点数が出るようになった。あー、こういうことかってわかったし、それはよかったです」
スケートボード・ストリートは持ち時間45秒で自由に技を展開させる“ラン”と、大技の一発勝負で得点を競う“ベストトリック”で構成されている種目だ。今、根附が話したのはランでの45秒のうまい使い方がわかったということである。そして、もうひとつ。慣れが重要だと話す。
「世界的な大会に初めて出たときは、やっぱり見たことがあるスゴイ人がいっぱいいるから、雰囲気とかに持ってかれちゃったけど、今はそれがなくなった。日本人(選手)の友達もいるし、みんなと話しながら、いつも通りみたいな感じでできるようになりました。本当にいつもと同じにできることが理想なんですよね」
試合に慣れ、平常心を保つことも覚えた。ただ、スケートボードの女神は、そうやすやすとは根附に微笑んではくれなかった。翌日からの世界選手権では苦難が待っていたのだ。
ランプを滑ることが、小学生のときは怖かった
7歳のときに母親の勧めでスケートボードを始める。両親の傾倒ぶりは目を見張るほどで、根附が小学校4年生ぐらいのときに、自宅にランプまで作ってしまう。ランプは楕円を半分に切ったようなカタチで、その床を上下に滑る。彎曲した場所でバランスを取るのは非常に難しく、それだから上達にはもってこいなのだが、逆にいえば転倒しやすい。
「けっこう、スケボーにハマっていたので、作ってくれたんですが、小学校のときはこれを滑るのが怖かった。でも、親は攻めるタイプで、自分が小さいときはあれやれ、これやれってすごい言われて、そんなときにはやめたいと思ったことも、ちょっとですがありましたね(笑)」
だが、両親の献身はいかんなく発揮される。大会があれば車で連れていき、常に寄り添ってくれた。そして、中学生になると多くの大会で勝てるようになってきた。
「プロを目指せるぐらいになったときから、だんだん自分でやるようになりましたね。親はまぁわかってなかった(笑)っていうか、できなかったことですから。自分の方が、自分のことはわかっていますからね」
近くに青木勇貴斗という選手がいたことも大きかった。毎日のように2人だけで練習するようになった。
「勇貴斗は本当に上手かった。それを見て刺激になって、自分も上手くなったって感じです。だから、彼が(東京オリンピックで)予選を通過できなかったのには、少し驚きました。
彼は大会とかであんまりミスをしないイメージだったから。ただ、普段の勇貴斗って感じじゃなかった。凄い緊張でガチガチになってたんです。いつもの技をやっていれば、予選は通ったと思う。
エックスゲームズとかSLS(世界最高峰プロツアー・ストリートリーグ)も凄いと思うんですけど、“やっぱりスケーター以外の人も見ているから、いつもの雰囲気とは違う”と言っていた人がいた。なるほどと思いましたね」
練習メニュー
この日は撮影のために技を披露してくれた。ボードを回転させてレールに乗ったり、ボックスの角にフロント部分だけを乗せて滑らせたりと、根附にとっては簡単なのだろうが、取材班にはボードがどんな動きをしているかすら、わからない。足首はまだ完全ではないようで、「今は接骨院でチューブを使って周辺の筋肉を鍛えるようにしています」と笑う。
現在、根附はランキングで日本3位である。上位3位までがオリンピックに出場できるから、このままいけばパリも決して夢ではない。
ちなみに、東京オリンピックで金メダルを獲った堀米雄斗は4位。このことは日本のスケートボードの層の厚さと実力を、はっきりと示している。
練習せずにランの45秒2本、これに集中しようと思った
世界選手権初日の予選。ベストトリックは行われず、ラン2本で勝敗を決する。そして、ここで根附は大きなアクシデントに見舞われる。
「予選の2本目で足首を痛めてしまったんです。1本目でいい点が出たんで、2本目をやらなくても準々決勝に進めたんですが、やってしまって。もともと右足首には痛みがあったのですが、もう本当に明日からスケボーできないと思うぐらいの痛みになって、かなり大変でしたね」
準決勝には痛み止めの薬を飲み、強行出場。しかし、そこですばらしいランを展開する。全選手の中でトップの得点を叩き出したのである。
「不安はありました。ランの技も足首をそんなに使わないモノに変えて。練習時間も45分あったのですが、痛いのであんまり滑らないようにして、本番の45秒2本だけに集中して乗れるように、がんばりました」
準決勝も痛みに耐えて、決勝へとコマを進める。ここで、根附は「いつか世界大会の決勝でやりたかった」という大技を、完璧に成功させる。僅差で優勝こそ叶わなかったが、彼は試合後に首に掛かった銀メダルを見て「重いです」と笑顔で語った。
「他のメダルとは違いますね。こんな大きな大会で表彰台に立ったのは初めて。自信にはなりました。この世界選手権で、自分の技が評価されて、世界に通用するということがわかった。
オリンピックでも、自分のできることを全部やればメダルを狙えると思います。そのときに、いつもと同じ状態でいられたらですが」
さらに根附には大きな夢がある。それが世界のトップスケーターになること。叶えば世界が変わる。本場アメリカに自宅を持って、外国人選手たちと切磋琢磨できるようになるし、パークというスケートボードの練習場を持つこともできるだろう。
「うん。パークは作りたいですね。ただ、今は日本ではプロだけど、世界ではアマチュア。世界で認められたブランドから、自分の名前が入った板を出したいんです。それでようやく世界的なプロってことになるので、これはけっこうデカイこと。
そのためには、もっと練習して大会で勝っていくことが大事だし、それだけでなく街で滑っている動画を配信したりして、世界で有名なトップスケーターになりたいんですよね」