林 咲希(バスケットボール)「あきらめずに戦えた。それが今の自分の誇り」
女子バスケット代表は世界最終予選で勝利。パリ・オリンピックの出場権を手中に収めた。キャプテンである彼女が抱き続けた思いとは。(雑誌『Tarzan』の人気連載「Here Comes Tarzan」No.877(2024年4月4日発売〉より全文掲載)
取材・文/鈴木一朗 撮影/下屋敷和文
初出『Tarzan』No.877・2024年4月4日発売
Profile
林 咲希(はやし・さき)/1995年生まれ。173cm、62kg。精華女子高校ではインターハイでベスト16。国体で福岡県チームに選出されて準優勝。白鷗大学に進学し、4年時にインカレで優勝。得点王、MVPに輝く。2017年、JX-ENEOSサンフラワーズ(現・ENEOSサンフラワーズ)に加入。19年、日本代表初選出。21年、東京オリンピックで銀メダル。23年、富士通レッドウェーブに移籍。24年、パリ・オリンピック出場を決める。
ワンポゼッションが命取りになるプレイもある。明確に話し合えたのがよかった。
「ここをドリブルで走り抜けてシュートして」。
カメラマンの指示に、「はいっ」と返事をして、指示通りの動きをやってみせる。ここは林咲希が所属する〈富士通レッドウェーブ〉の体育館。林は自主練習を終えたばかり。
疲れているのに、イヤな顔ひとつせず撮影に応じてくれる。3ポイントを次々と決める彼女を見て、「よく入りますね」と失礼なことを言うスタッフにも「練習ですから」と瞬時に返す。ここで入らなかったら試合じゃとても、ということなのだろう。
爽やかで聡明、そしてバスケットボールが好きでたまらない。彼女の動きや言葉からそれが伝わってくる。
今年2月8日からハンガリーで行われたバスケットボールのFIBA女子オリンピック世界最終予選。林は日本代表のキャプテンを務めた。この大会にはスペイン、ハンガリー、カナダ、そして日本の4か国が出場して、上位3位までがオリンピック出場権を得る。結果から言うと、日本は2勝1敗で1位となったのだが、初戦であるスペイン戦の直前、林はどのような思いを抱いていたのか。
「東京オリンピックで銀メダルを獲ったことに泥を塗ってはいけない。絶対に出場権を得たいと思っていました。今回の代表には新たなメンバーが4人入ってきたから、キャプテンとしてチームをまとめていかなきゃいけなかった。自分のプラス思考であったり、泥臭い仕事をどんどんやるとか、そういうところが買われていた部分もあるので、そこは先頭切ってやってきたつもりでした」
その結果が試される。だが、初戦前の林の心境は実に穏やかだった。
「個人的にはスペインと戦ったことがなかったので楽しみでした。私のプレイを知らないから、多分(ディフェンスに隙間が)空くだろうと思っていました。そしたら試合では実際に空いたんですけど(笑)。こんな感じでリラックスはしていたんですが、初戦が大事だっていうことは、チームの全員が共有してました」
瑠唯さんがいたからバスケットが面白く思えた
バスケットの名門・白鷗大学でインカレ優勝、MVPと得点王を受賞した林は17年、〈JX―ENEOSサンフラワーズ(現・ENEOSサンフラワーズ)〉に加入した。
誘ったのは当時チームのヘッドコーチ、トム・ホーバス氏。彼はすぐに日本代表ヘッドコーチに就任したため指導を受けることはなかったが、林はこのチームに来て、バスケットの厳しさをたっぷり味わうことになる。
「大学のときとは雰囲気が違うし、取り組む意識も違うから、練習強度が自然に上がるんです。もうレベルが違いすぎるから、試合に出られないと思いながら練習していました」
全日本選手権で27回の優勝を誇るトップチームであり、林はケガもあって5年間レギュラーに定着できなかった。そんななか19年に、林を日本代表に選出してくれたのもホーバス氏だった。彼は、背の低い日本人は3ポイントを武器にした方がいいという考え方を持っていた。その3ポイントの名手が林だった。
迎えた21年、東京オリンピック。林は奇跡を起こす。準々決勝のベルギー戦で、試合終了残り15秒、2点のビハインドの場面で3ポイントを決めたのだ。林の名前が広く知られたのは、このときだったであろう。
そして昨年、彼女は富士通レッドウェーブに移籍した。やっと、ENEOSサンフラワーズの中心選手として活躍し始めてきたのに、だ。
「チームの若い子のことを考えると、絶対残った方がいいと思いました。でも、自分も成長したい。29歳という年齢で、移籍するなら今年じゃないと、来年どんなプレイができているかわからない。
それで、(富士通は)3ポイントを多く打つチームですし、(町田)瑠唯(ポイントガード)さんがいるから、バスケットが面白く思えた。成長できる、楽しめる場所はと考えて選びました。今、ようやく少しずつですけど、チームと嚙み合ってきた感じなんです」
23―24年シーズン、富士通はレギュラーシーズン1位を決めた。プレーオフに進出して、優勝の可能性も十分ある。チームの歓喜の瞬間を見られるかもしれない。
3ポイントを2回決め、今日の私は大丈夫と思った。
さて、オリンピック最終予選、まずはスペイン。日本代表はFIBAランキング9位でスペインは同4位。格上だが、試合早々、林が3ポイントを2回決める。このとき「今日の私は大丈夫」と思ったという。
日本は勢いに乗り、危なげなく勝利。だが2戦目、同14位のハンガリーに地獄へ落とされる。同点に追いつかれた後半、リバウンド争いで優位に立ったハンガリーに負けてしまった。
「相手のホームだから声援がすごかった。それだからか、シュートを決めても、全然気持ちよくないんですよ。ディフェンスもズレができて。相手も3ポイントを決めてきた。簡単にシュートを打たせてしまった自分たちもよくなかったです」
同じ代表の馬瓜エブリンが、「生きた心地がしなかった」と言うこの状況をキャプテンはどう変えたか。
「ゲームが夜だったので、その日はリフレッシュ。で、次の日のミーティングで、“絶対に勝とう”という声とか、宮崎(早織)がエブリンに“お前が吠えろ(声を出して鼓舞しろ)”って言ったりみたいな感じで、雰囲気は決して悪くなかった。
それで、ハンガリー戦ではできなかったことをカナダ戦でやり遂げようというふうになった。勝てる流れは作れたんじゃないかなと思いました」
最終戦のカナダは同5位。負けたら他試合次第の状況で生死が決まる。試合は一瞬の予断も許さない。残り27.5秒で日本は3点差まで詰め寄られるが、辛くも勝利を収めた。
「不安はありました。でも、第3ピリオドまではミーティング通り。ただ、最終ピリオドの残り5分でも混戦が続いて。もう、ワンポゼッションが命取りになるプレイもあるなか、やることを明確に話し合えたのがよかった。
恩塚(亨・日本代表ヘッドコーチ)さんが考える、一人一人が持っているものを最大限に出すバスケットができていたと思います」
激しい戦いの末、やっとつかんだ勝利。しかし、それはパリ・オリンピックの出発点でしかない。そして、あと3か月で夢の舞台は始まるのだ。
「優勝を目指してがんばります」。
最後に林はこう力強く答えてくれた。