自然を道標にハワイから世界へ。伝統航海術を駆使した「ホクレア」のいま
この現代にエンジンもGPSも使わず、ハワイを起点に何千kmをも航海するカヌーがあるという。「ホクレア」というその船は、ハワイの伝統航海術を蘇らせ、その存在はハワイの人たちの誇りともなった。初航海から50年に向け、新たな役割を担い、大海原を悠々と進むホクレアの現在を追った。
取材・文/井上健二 撮影/石原敦志(内田さん) イラストレーション/山口正児 写真協力/Polynesian Voyaging Society 取材協力/内田正洋、内野加奈子、ハワイ州観光局
初出『Tarzan』No.868・2023年11月2日発売
内田正洋さん
教えてくれた人
うちだ・まさひろ/海洋ジャーナリスト。1956年、長崎県生まれ。海上保安庁・海の安全推進アドバイザー、東京海洋大学講師、〈モンベル〉アドバイザー。パリ・ダカールに8度出場した冒険家で、87年からシーカヤック文化を日本に紹介。
君たちはホクレアを知っているか?
ハワイに行ったら、ハワイの誇りは何かとロコに尋ねてほしい。アロハスピリッツ、マウナケア、ビッグウェーブ…。答えはそれぞれだろうが、おそらく多くのハワイアンはこう答える。
「ハワイの誇り? ホクレアさ」
ホクレアは、ハワイ語で「喜びの星」という意味。エンジンもGPSなどの航海計器も使わず、伝統的な航海術で運用される双胴船(カタマラン)の愛称だ。
ホクレアはハワイ州の“州宝”。ハワイ州のナンバープレートデザインにも採用される。ここまでハワイアンに愛される理由は?
「ハワイ諸島は、太平洋のど真ん中に浮かぶ絶海の孤島。1500年前にマルケサス諸島から、500年前にタヒチから多く移住者が訪れました。ただどうやって約3000km航海してやってきたかは長年謎だった。
難破などで偶然漂着したという説が有力でしたが、ハワイアンには、“自分たちは意図してここに辿り着いた”というプライドが強かった。それを実証するため、アメリカ建国200年事業の一環で1975年に始まったのが、ホクレアのプロジェクトなのです」(海洋ジャーナリストの内田正洋さん)
ホクレアは過去の資料を基に完成し、76年に伝統航海術によりハワイからタヒチまでの航海に成功。古代ポリネシア人は広大な太平洋を自由に往来しており、ハワイアンの祖先が偶然の漂着ではなく、移住先としてハワイ諸島を選べたことを実証した。それが、ハワイアンがホクレアを誇る理由だ。
ハワイ諸島、イースター島、ニュージーランドを結ぶポリネシアン・トライアングルの航海を終えた後、ホクレアが向かおうとしたのはなんと日本だった。2007年の日本到着を目指していると知り、本誌『ターザン』は急遽ムック本を編集。その執筆を一手に担ったのが、何を隠そう内田さんだ。
「僕はカヤックで日本沿岸を回ったり、沖縄から台湾まで単独で航海したりしていた。そうした話を関係者が聞きつけ、“日本へ行くなら、日本の海を知り尽くしたウチダに聞け”という話になったらしい。それでホクレアの伝統航海士のナイノア・トンプソンという男が僕に会いにやってきた」
ナイノアは現在、ホクレアを運行するポリネシア航海協会の会長を務めるカリスマ。若き日のナイノアは、初対面の内田さんに会うと開口一番、こう尋ねた。
「ホクレアが日本に行く意味は、本当にあるのかな?」
そう聞かれた内田さんは「もちろんあるさ!」と即答する。
「明治元年から、ハワイには多くの日本人が移民として渡り、農業などで多大な功績を上げます。僕の曽祖母も、そんなハワイ移民の一人でした。そして日本人も、ハワイアンと同じく海洋民族。島に住んでいるのだから、他の土地から渡ってきた人びとの末裔に違いはない。
さらにポリネシア人は人種的にはモンゴロイドであり、日本人とポリネシア人には関連性もある。ですからナイノアの問いに迷わず“イエス!”と即答できたのです」
内田さんに励まされたナイノアはホクレアを日本へ見事導き、内田さんもクルーとして乗り込む。
そして現在、ホクレアは再び日本へと舵を取っている。ハワイ好きの日本人も知らないホクレアの話。さらに掘り下げよう。
星、島、鳥。自然こそがホクレアを導く
西洋人としてハワイ諸島を初めて「発見」したのは、7つの海を支配した大英帝国が派遣したキャプテン・クック(ジェームズ・クック)御一行。日本の江戸時代、1778年の出来事だ。
そのときクックらは、ジョン・ハリソンという時計職人が完成させたばかりの、揺れる船上でも正確に時を刻む時計を携えていた。大海原で船の位置を知るには、緯度と経度を知る必要がある。
緯度は北極星の位置で分かるが(水平線からの北極星の高度が、緯度に等しい)、経度を知るにはクロノメーターと呼ばれる高精度の時計が欠かせなかったのだ。
大昔、ハワイアンたちはクロノメーターもなしに、どうやって絶海の孤島へ辿り着けたのか? クックらは知らなかったが、ポリネシア人は星を操る伝統航海術の使い手であり、太平洋を何千kmでも自在に旅していたのだ。
ところが70年代にホクレアのプロジェクトが始まった際、大きな課題が立ちはだかった。カヌーというハードウェアは出来上がったのに、それを正確に導くソフトウェアである伝統航海術が失われていたのだ。だが、ここで一つの偶然がホクレアに味方する。
「プロジェクトの中心人物だった人類学者のベン・フィニーが、マウ・ピアイルグという男と知り合います。彼はミクロネシアのカロリン諸島に属するサタワル島から、姪の結婚式に出るため、たまたまハワイを訪れていたのです。
このサタワル島こそ、ポリネシアとミクロネシアで育まれた伝統航海術を継承する土地であり、マウは伝統航海術を操れる手だれの航海士だったのです」
GPSはもちろん、羅針盤も海図も用いない伝統航海術の中核は、星や星座といった天体の運行。
いわば星を使った羅針盤である「スターコンパス」を用いながら、事前に頭に叩き込んだアテボシ(目印となる星)の出没場所などから、自分たちの位置と方向を正確に把握する。水平線から天体までの角度を知る六分儀(セキスタント)もなかったから、手や指を使って目測していたのだ。
スターコンパスの概念図
目印となるアテボシ(太陽を含む)が出る方向(沈むのは対称位置)を季節に応じて頭にすべて叩き込み、航海する。
「マウが知るのはミクロネシア版のスターコンパスで、ポリネシア版のスターコンパスは知らない。そこでホノルルのビショップ博物館のプラネタリウムで、ハワイからタヒチまでのスターコンパスを急遽作り、31日間でホクレアをタヒチへ到着させたのです」
伝統航海術は、天体をおもに使うことから、スター・ナビゲーションと呼ばれることが多い。
スター・ナビゲーション
スター・ナビゲーションは星を使った「星当て」。地軸上で動かない北極星は、緯度を教える重要な星だ。それ以外に島を目標にする「島当て」、山を目標にする「山当て」なども活用。
でも実際は、風向き、海流、波、島陰、海鳥、ヤシの実などの漂流物など、自然のあらゆるものを手がかりに航海している。
たとえば、海鳥のアジサシの行動範囲はだいたい40〜50km。アジサシを見つけたら、すぐ近くに島があるとわかる。そこで現在、伝統航海術は「ウェイファインディング」と呼ばれることの方が多くなった。シンプルに「道を見つける」という意味である。
タヒチへの旅を成功させたマウは、ナイノア・トンプソンを弟子に迎えて伝統航海術を伝授する。
それに改良を重ねながら独自に発展させたナイノアは、その後のホクレアの航海を次々と成就させる。それと同時に、多くの弟子を育てながら、伝統航海術の伝承にいまなお力を尽くしている。
ホクレア、ただいま環太平洋を航海中
ホクレアは単なる伝説でも過去の偉業でもない。現在進行形のプロジェクトでもある。2026年5月1日、ホクレアは初航海から50周年を迎える。
この節目にあたり、2023年から27年まで、ホクレアとその姉妹カヌーであるヒキアナリアは、太平洋を一巡する環太平洋航海を行っている。これは、日本を含む46か国345地域に寄港する壮大なプロジェクト。ハワイ、北米、中南米、ポリネシアからアジアへ、航海距離は6万6000km(地球1.6周分)にも達するという。
このプロジェクトに参加しているクルーの一人、内野加奈子さんに話を聞くことができた。内野さんは学生時代にホクレアの存在を知り、伝統航海に魅せられてハワイへ移住。2000年からトレーニングを始め、これまで何度もクルーを務めた。
彼女のように、クルーになるトレーニングを済ませた人はハワイに300〜400人いるとか。そこから毎回10人程度が選出されてホクレアに乗り込む。
「航海中のカヌーでは30〜40ほどのさまざまな役割があり、クルーが持ち回りで分担します。ベテラン航海士はもちろん、若手の見習い航海士も乗り込み、ウェイファインディングを学んでいます。
私はウェイファインディングを学びながら、クルー目線で動画、写真、文章を発信するドキュメンテーションを担当しています。寄港地では地元の先住民などと交流しながら、文化の伝承や環境保全の重要性を世界に伝えています」
ホクレアがきっかけとなり、太平洋諸島には20艇を超える伝統航海カヌーが作られており、伝統航海を介した巨大なコミュニティが生まれている。
それにつれて、ホクレアは、ハワイアンの伝統文化の復興運動のシンボルという存在を遥かに超えて、気候変動や海洋汚染といった環境問題に直面している私たちに、どう生きるかというヒントを与える「喜びの星」としての輝きを増している。
「ハワイには“カヌーは島、島はカヌー”という言葉があります。もっと俯瞰して見ると、地球も宇宙という広大な海に浮かぶ島のようなもの。地球というかけがえのない島の課題を解決するために、いまほど自然に学び、道を見つける伝統的なウェイファインディングが求められる時代はありません。
伝統航海カヌーに乗らなくても、自然を観察してそこから学ぶ姿勢を持つ人はみんなウェイファインダー。環太平洋航海では、若い世代を中心にそんなウェイファインダーを1000万人育てるという目標を掲げています」
1000万人が、地球という島をリードする存在になれば、環境問題解決の糸口も見えそうだ。
最後に、内野さんがホクレアの航海で大切にされているものを教えてくれた。それは「マラマ(Mālama)」という言葉。マラマには「思いやりを持つ、大切にする」といった意味があるという。
「ハワイアンはマラマの精神を大事にします。マラマのスピリットを胸にハワイを訪れて、伝統文化や自然を楽しんでください」
今後もホクレアの動向をチェックしつつ、地球をマラマする気持ちを忘れないようにしたい。