小牧加矢太(競馬)「自分がどれぐらいできるのかを試してみたい」
今まで誰もできなかった方法で騎手になり、障害競走でメキメキと頭角を現している。馬術で日本一にもなった小牧加矢太が探る未来とは。(雑誌『Tarzan』の人気連載「Here Comes Tarzan」No.863〈2023年8月24日発売〉より全文掲載)
取材・文/鈴木一朗 撮影/中西祐介
初出『Tarzan』No.863・2023年8月24日発売
Profile
小牧加矢太(こまき・かやた)/1996年生まれ。172cm、55kg、体脂肪率6%。2013年、全日本ジュニアライダー障害飛越選手権優勝。14年は国民体育大会優勝。20年、全日本障害飛越選手権優勝。22年、JRA騎手免許試験に合格し、同年3月19日にデビュー、4着。初勝利は同年4月24日、福島競馬場で行われた障害4歳以上未勝利戦。23年7月27日現在で18勝を挙げている。
馬術と競馬。まったく異なる競技への転身。
JRA(日本中央競馬会)の騎手になるためには、JRA騎手免許試験に合格することが必要である。
そのための方法は、ひとつは競馬学校に入学すること。あるいは、地方競馬や海外の騎手免許を取ってから、JRAの試験に臨むというのが通常であった。と、過去形で記すには理由がある。学校へ行かず、地方・海外の免許も持たず、いきなり試験を受けて合格した騎手が、昨年初めて誕生したのだ。それが小牧加矢太だ。
中央競馬でのレースには、平坦なコースを走る平地競走と、障害物を飛越する障害競走があるが、小牧は障害競走の騎手免許を取得した。もともと馬術の全日本障害飛越選手権で優勝(2020年)した、日本最高峰の選手であったが、そこから競馬への転身。そして、これまで(23年7月27日現在)に、18勝を挙げている。
ただ、転身というが、これは決して簡単なことではない。馬術と競馬はまったく異なる競技だからだ。
「馬に跨ることと、障害を跳ぶこと以外はすべて違います。たとえば、ゲートなんて(馬術には)ないです。僕は試験の前に3回(ゲートから馬を出す)練習をして、試験で2回やった。そして、実質人生6回目で、もう初レースです。
今考えても恐ろしいんですけど、苦手意識はなかったですね。というのも、馬という部分に関して言えば、馬術と通ずる部分があった。どうやって(馬を)落ち着かせるかとか、駐立といって四本足を揃えて立たせるとか。あとは随伴(馬の動きに騎手が合わせる)するのも一緒なんで、そこまで戸惑いはなかったです。
ただ、経験がなかった。競馬学校生は、すごい練習を重ねてデビューするわけですけど、それでもハラハラすると思うんです。それが、僕の場合はほとんど一発本番という感じでしたからね」
死んでもいいとは思わないけど、それぐらいの覚悟は必要
馬術の競技場は狭く、競馬場は広い。当然、出すスピードもまったく違う。馬術では、馬は障害を越えるとき斜め上に向かって跳ぶように見える。が、障害競走では前へ、より直線的に跳んでいく。
また、障害競走は平地競走に比べてリスクが大きい。飛越失敗のときに落馬や人馬転倒が起きることがあるからだ。小牧はそれにほぼ一発勝負で挑んだわけだが、恐怖心はなかったのだろうか。
「恐怖心がなかったらケガをしてしまいますので、ある程度は必要なものなんです。たとえば、(スタート前に)ゲートの裏で(馬に乗って)回っているときはドキドキしますし、失敗のイメージも頭に出てくる。怖くないって言ったら噓になります。
ただ、怖いからといって固まるかといえば、ゲートが開いちゃえばアドレナリンも出ますし、人が変わるという感覚がある。もう、生きるか死ぬかですし、勝たなくてはしょうがない。
だからスタートした瞬間に自然にスイッチが入りますね。とにかく、一番は覚悟なんですよね。死んでもいいとは思ってないですけど、それぐらいの覚悟を持って仕事をしていますから」
平地競走では騎手は馬に1日に8レース乗ることもあるが、障害競走では2レースが精々。小牧が「2レース目は、もう気持ちが持たない」と言うぐらいハードなのである。
日本一に輝いたのち、突然の引退。
父の太さんも騎手。だが、サッカー少年で、馬とはまったく関係なく育った。ところが、14歳のときに、父が騎乗して優勝するところを目の前で見てしまう。カッコいい、自分も騎手になりたいと思った。
それで乗馬学校に通い始める。だが、その夢は叶わなかった。中学校の3年間で身長が30cm以上伸びて、40kg半ばという体重制限を下回ることができなくなってしまったのだ。もちろん、減量は行っていた。ただ、「キツイと思っていたし、馬術が楽しかったので、そっちに向いてしまっていた」と、そのときの心境を語る。
高校時代にはジュニアで活躍し始め、卒業後は千葉県にある北総乗馬クラブに就職。シドニー、アテネ・オリンピックの日本代表の林忠義さんに指導してもらいながら、馬との生活を始める。
そして、全日本選手権で日本一に輝くまでに成長するのである。となれば、次はオリンピックへと続いていくはずなのだが、なんと突然引退してしまうのだった。
「オリンピックはずっと目指す場所だと思っていました。ただ、乗馬はすごくお金がかかるんです。馬は億単位ですし、サポートもしてもらっていたけど、“これ以上は無理、最後にしよう”と思って出場したのが全日本選手権でした。
ただ、競走馬に関わる仕事がしたいと思っていたので、引退後は勉強を兼ねて、いろんな牧場で働きました。それが、今に繫がっている。牧場でお世話になった方から騎乗依頼が来たりとか。あのとき、信頼関係ができたことはよかったですね」
騎手は馬主と調教師の依頼を受けて、初めてレースに出場できる。
つまり、もちろん実力が一番重要なのだが、馬主からの信頼を得ていないと必然、収入に響いてくる。小牧は牧場で働いたことで、自然に馬主との関係を築いていっていたのである。もちろん今は実力も兼ね備えているのだが。
ただ、牧場で働いているこのころは、まだ自分が騎手になるとは、まったく思ってもいなかった。
きっかけは、これも父親だった。一緒に温泉に行ったときに、父が小牧の体重計を覗いて、「こんなに軽いの」と、一言。調べてみると、平地競走とは違い、障害競走の体重制限は55kg以下。
最初は今更と思っていたが、父の強い勧めもあり、可能性があるならと、チャレンジした試験だったのである。
実は平地競走の免許も欲しいし、海外にも行ってみたい。
そして今、小牧は騎手としての毎日を送っている。
「朝、3時半に起きて5時半から調教です。7頭ぐらい乗って、9時まで。障害では調教もすべて騎手がするので(平地競走では厩舎側が行う)、失敗したら全部自分のせい。それもいいなと思うところです。
調教が終わったら、片付けをして昼食、昼寝という感じ。週に1回、加圧トレーニングに行きます。やるのは主に脚。騎乗は下半身がすべてです。
障害の騎手としてこの世界に入ったので、障害で絶対的な存在にはなりたいのですが、実は平地(競走)の免許も欲しくって。騎手になって5年経つと、体重制限が緩くなるので、十分に可能だと思っています。それに、海外にも行ってみたい(註・イギリスなど競馬の本場では障害競走は平地競走を凌ぐほどの人気を誇る)。
これまで日本では、人に求められたからやる、という生き方だったように思っているのですが、海外では自分が求められるということは絶対にない。自分から動かないと何も始まらないんです。
そんな環境の中で、自分がどれぐらいできるのかを試してみたいっていうのはありますね。まぁ、本当の話は家でずっと寝ていたいんですけど(笑)」
取材に伺った日の練習メニュー
調教は滋賀県にある栗東トレーニングセンターで行われる。約150万㎡という広大な敷地で2000頭以上の馬が暮らし、調教される。取材当日は3頭の馬に乗った小牧だが、多いときは7頭も調教する。
通常、4時40分からまず1頭目の馬を、並足で運動させてウォームアップ。そのまま5時30分に調教コースに出て馬を走らせ、2頭目からは順次コースに送り込まれた馬を調教していく。