宮田笙子(体操)「自分の状態を把握して体調を整え、メダルを狙えるところまでは持っていきたい」

今や日本のエースにまで成長した宮田笙子だが、過酷なケガとの闘いはずっと続いている。逆境を跳ね返す強さはどこから生まれたのか。(雑誌『Tarzan』の人気連載「Here Comes Tarzan」、No.861〈2023年7月20日発売〉より全文掲載)

取材・文/鈴木一朗 撮影/中村博之

初出『Tarzan』No.861・2023年7月20日発売

体操・宮田笙子
Profile

宮田笙子(みやた・しょうこ)/2004年生まれ。151.5cm。18年、モントリオールで開催されたカナダ国際で国際大会デビュー。19年、世界ジュニア選手権に出場。20年ワールドカップ・メルボルン大会でシニアの大会に初出場し、跳馬で3位。22年、NHK杯優勝、世界選手権の平均台で3位。23年、NHK杯連覇。世界選手権への出場を決める。順天堂大学体操競技部所属。

体操NHK杯で2連覇を果たす。

今年5月に開催された体操のNHK杯で優勝を飾ったのが宮田笙子だ。昨年からの2連覇である。2021年に日本の絶対的存在の村上茉愛が、22年には長年女子を牽引してきた寺本明日香が引退したなかで、新たなエースが誕生したといっていい。

NHK杯で宮田は、まず得意の跳馬で伸身ユルチェンコ2回ひねりを決めて2位発進。2種目目の段違い平行棒では、E難度のマロニーハーフを見事に決めて、1位と0.100差。平均台の美しい演技でトップに立つと、最後の床は弾むような軽快な動きで、H難度の大技チュソビチナを決めて女王に輝いたのだ。

「素直に2連覇を狙って練習してきましたが、足の状態がそこまでよくありませんでした。でも、全日本(選手権)のときに比べればましだったし、最後まであきらめずにやってよかったと思っています。

最後の床では点差がないなかで、2位の選手も点数を獲れる子だったのですが、自分も技を上げてきていたので、それが自信に繫がっていい演技ができたんじゃないかなと思っています」

全日本の前はけっこう辛かった。

この優勝は特別なものだったろう。実は、宮田は今年の2月に右の踵を疲労骨折していたのだ。踵、である。立つこともままならない状態だろう。ましてや、体操の着地など論外。宮田もNHK杯のインタビューでは「自分に勝たないといけないという思いがあった。着地を止めたのは根性だった」と、語っているほどだ。

医師にも、このまま続けたら体操ができなくなると言われるほどのケガだったのに、2か月後の4月に行われた全日本選手権に強行出場せざるを得なかった。なぜなら、この大会の予選と決勝の合計得点を持ち点にして、そこにNHK杯の得点を合わせて、今年9月にベルギーで開催される世界選手権の出場権が得られるからである。

体操選手 宮田笙子

宮田にとっては、どれほど過酷なことだったであろう。

「周りからのプレッシャーが凄かったです。代表になることだったり、エースとしてという圧というか期待がかかっていました。メディアとかでも、自分がわかっていること、たとえば代表にならないとダメだよね、なんて言われたりする。それは、自分が一番わかっていることだし、だけど足やカラダの状態も、自分が一番わかっていた。

だからそういうことを考えていて、全日本の前はけっこう辛かったです。2月にケガをして、全日本の1週間前ぐらいからしか練習ができなかったし、体力も落ちていた。技をやるのが精一杯で、難度を下げるしかなかった。その部分でも自信はなかったし、ずっと不安な気持ちを抱えていたんですね」

ただ、宮田にはどうにかなるという気持ちも、どこかにあったはずだ。それは、彼女がひとつ大きな経験をしていたからだ。昨年の全日本選手権前に起こった出来事だった。

「全日本の1か月前にも肘をケガしてしまったんです。それを乗り越えられたことが今回に繫がったし、いい経験になった。経験に頼るということではないですが、何事も経験することは大事だと思いましたね」

昨年、宮田はケガを乗り越えて世界選手権に出場。平均台で3位になった。逆境を力に変える。一流の選手には、これこそ大切なのであろう。

田野辺監督に出会って技もココロも成長した。

体操選手 宮田笙子

「本格的に始めたのは4歳からですね。でも、習う前から兄がやっている姿を見ていて、真似したりとかしていたようなんです。それで母に、やってみる?と言われて。あんまり詳しくは覚えてないですけどね」

子供の頃から脚力が強かったのであろう。今でも、得意とする種目は床と跳馬である。中学校2年のときにはインドネシアで開かれたジュニア・アジア大会に出場して、種目別の跳馬で3位に入り、翌年はジュニア世界選手権の日本代表にも選ばれている。この頃から、将来を有望視されていた。

そして中学3年の秋、宮田は自分自身で大きな決断をする。福井県の鯖江高校の田野辺満監督の指導を仰ぐために、地元である京都を離れることにしたのだ。

「田野辺監督の指導がいいというのは知っていたんです。それがあって、実際に(監督のところへ)練習に行ったとき、すごくわかりやすかった。

体操はすごく個性が出るし、やり方も一人一人違ったりする。そういうことを全部わかって教えてくれるのが、凄いことだと思ったんです。田野辺監督に出会えたことで、技もそうですが、ココロの部分でもたくさん成長させてもらうことができました。すごく感謝しているんです」

ただ、高校1年のときは、なかなか力を発揮できなかった。才能があるぶん、これぐらいやれば大丈夫だろうという甘さがあったと言う。

「変に自信があったというか…。試合で何回も同じようなミスをしてしまい、周りからやればできるのにと言われるのが悔しかった。

ただ、やればできるのかとも思ったんです。そこが転機だったというか、自分はこのままでいいのかと考えることができた。それがよかったんですね」

世界選手権には自信を持って臨めれば、それでいい。

体操選手 宮田笙子

世界選手権の平均台で銅メダルに輝いたのは高校3年のときだった。そして今年、宮田は強豪・順天堂大学の1年生となり、体操競技部に所属している。広く、環境が整った体操競技場で練習する毎日なのだ。

「去年、世界選手権を経験したことで、どんな強い選手がいるのかなど、いろんな情報を得ることができたんです。それによって、自分が何をやらないといけないかということが見えてきた。ただ、足をケガしてしまったので、今は何とも言えないんですけど。

調子を上げたくても、足がどうかということにかかってくるので、とにかく世界選手権には自信を持って臨めれば、それでいいと思っています。

そして、パリ・オリンピックへの計画は、その後に立てようと考えています。自分の状態を把握して体調を整え、メダルを狙えるところまでは持っていきたいですね」

取材に伺った日の練習メニュー

この日はカラダの調子を見ながら、ストレッチをしたり、ラバーバンドでのちょっとしたトレーニングに終始した。一般的な体操の練習では、まず一つ一つの技を繰り返して精度を上げる。

そして、最終的にそれらを繫いで演技を行う練習に入る。技は瞬発的に大きな力を発揮しなくてはならない。そのために一度やると十分休憩を挟んで、再度行うということになる。これがケガ防止にも繫がる。