今村駿介(競輪)「心拍数170〜180で1時間キープできるカラダに」
2022年、日本の自転車界に一筋の光明が差した。主要ヨーロッパの強豪国を抑え、男子史上初の国際大会のマディソン種目(2人でチームを組み、行うレース)で銀メダルを獲得。世界選手権オムニアムでも手ごたえをつかむ今村駿介の目指す先はもちろんパリの表彰台だ。(雑誌『Tarzan』の人気連載「Here Comes Tarzan」、No.858〈2023年6月8日発売〉より全文掲載)
取材・文/鈴木一朗 撮影/下屋敷和文
初出『Tarzan』No.858・2023年6月8日発売
Profile
今村駿介(いまむら・しゅんすけ)/1998年生まれ。176cm、75kg、体脂肪率8%。福岡県の祐誠高等学校で自転車競技を始める。2015年にジュニアトラック世界選手権のポイントレースで日本人中距離選手初の優勝。中央大学では日本選手権で優勝するなどの活躍をし、2018年にTEAM BRIDGESTO
NE CYCLINGに加入。2022年、世界選手権男子オムニアムで6位。
目次
瞬発力、持久力、精神力を極限にまで求められるオムニアムという競技。
日本男子の自転車トラック種目も世界へと着実に近づいていると感じたのが、昨年フランスで開催された世界選手権である。男子オムニアムで今村駿介が6位に入ったのだ。この競技、女子では梶原悠未が世界選手権で金、東京オリンピックで銀を獲得しているが、男子が6位という成績を残したことは、これまでなかった。
オムニアムという競技は4つの種目を行い、その総合成績を競う。瞬発力、持久力、精神力を極限にまで求められる競技なのだが、まず今村にこの大会について語ってもらった。
「男子もできると証明できたのはよかったです。最終的には6位だったのですが、2種目目が終わった時点で暫定1位になれたというのはひとつの成果だと思います。今までの日本男子ではなかったことでしたから。だから、次回もまた期待してもらえるレースはできたと思います。
ただ、レースの終盤に行くにつれて、世界との力の差を感じた。4種目目で順位を落としてしまうのは、体力のなさというか、力の差がある証拠。最後は走りながら、何もできない自分がいてとても悔しかったですね」
レースは世界基準で1周250mの板張りトラックで行われる。
オムニアムを簡単に説明する。1種目目がスクラッチ。男子は10kmを走って着順を競う。2種目目がテンポレース。男子は10km、毎周回1位で通過した選手だけが1ポイント。集団を周回遅れにした場合は20ポイントが与えられる。世界選手権ではここで今村は1位に立つ。
3種目目がエリミネーション。2周に1回、最後尾の選手が脱落して、残り1周は2人でのマッチレースとなる。最後がポイントレース。男子は25km、10周ごとに10回、1位の5点に始まり、順位によってポイントが与えられる。1周回って集団に追いつけば20点加算、追いつかれたら20点マイナス。
全種目終わった結果が6位だった。 今村は最終のポイントレースでは、「掲示板で自分の順位を確認できないぐらい、イッパイイッパイだった」と言う。
10周ごとのポイント獲得だから、選手たちみんなが10周に1回動こうとする。そこで弱気になってしまうと隙が出て、ポイントは遠のく。
「毎回、これ以上行ったら体力が持たないという恐怖と、100周を全力で戦うことはできないのでどこまで行けるかという恐怖があった」
オムニアムがどれほど過酷な競技であるかわかるであろう。ちなみにオリンピックでは全種目を、なんと3時間で行うのである。
先頭を走ってゴールすれば、それで間違いないと思った。
父・保徳さんは、今は現役を退いているが競輪選手だった。今村は幼いころから、父の姿を見続けてきた。
「毎日、練習に行って帰ってくるので、何かすごいことをやっていると思っていました。父は競輪場で練習するタイプではなく、ロードを走ることが多くて、レースの前々日ぐらいは母が運転する車に乗って、後ろを走っている父をガラス一枚隔てて見ていた。恰好よかったですね」
父の使用していたトラック競技用のピストバイクにも憧れた。親がいないときに乗ったら、「ペダルを止めたらウッとなる感覚」(ペダルとチェーンが直結されているので足を止めるとブレーキがかかる)が好きになった。
小学生の高学年になると競輪選手が夢になる。中学では足腰を鍛えるために、陸上部に入った。が、ここで今村は勘違いをする。競輪ではトラックを決められた周回数走って勝負を決するのだが、駆け引きがあり最後の最後でスプリント勝負となる。つまり短距離での争いなのだ。だが、今村は思った。
「2周でも3周でも先頭を走ってゴールすれば、後ろで人とぶつかってケガをすることもないし、間違いないだろうと思いました。陸上では体力さえつけばいい。それで800~3000mの中距離を走りました」
父には「中距離をやるのはいいが、短距離もやってほしい」と言われ続けていた。ただ、本人はかたくなに中距離を続けた。その結果が福岡・祐誠高校の自転車競技部で露呈してしまうのだ。
「高校の同級生に県大会の100mで勝ったヤツがいて、200mも速かった。それで、“僕とアイツの差はなんだ”って親に聞いたら、筋力の差で、“オマエにはずっと言ってきたぞ”と言われて。そのときに、初めてやってきたことを後悔しました」
競輪の夢がトラック中距離へと変わった。
高校での練習量は豊富だった。まず、学校まで往復50km。部活の練習は3時間で、チームスプリントやパシュート(どちらもトラック種目)の練習、それにダッシュなど。
高校2年の夏には父親の紹介で競輪選手と一緒に練習した。走行距離は1日180kmにも及んだ。そのころから、競輪の夢がトラック中距離へと変わった。後悔したことが、逆に今村を高みへと導いたともいえよう。
そしてこの年、日本代表の合宿に呼ばれる。ところが、現実は厳しかった。
「合宿でのタイムがすごく悪くて、次もコレだったら強化指定解除と言われましたが、このポジションは奪われたくないと思って。そこで次の合宿まで、普段の練習に加えて、ひたすらパワーマックス(最大無酸素パワーとその持続力を向上するマシン)をやり続けました」
これでタイムが出る。瞬発系の練習がとても重要だとカラダが覚えた瞬間だった。そして、高校3年生のときに、ジュニア世界選手権のポイントレースで、見事優勝を飾るのだ。
毎日全員が集まって、家族ぐらい一緒にいる。
現在、今村は〈TEAM BRIDGESTONE CYCLING〉に所属している。1964年から60年近くの歴史を持つこのチームは、ロードにトラックにと日本の自転車レースを牽引してきた。所属選手ほとんどが日本代表だ。
そして、その代表の合宿というのが、尋常ではない。練習場所は静岡県伊豆市。温泉で有名な修善寺にほど近い場所にある、伊豆べロドロームという屋内トラック。選手は年に3~4回の休みがあるほかは、ずっとこのドームの近辺に住んで、練習を行っているのだ。
「もう合宿というよりは、毎日全員が集まって、ただただトレーニングをしている感じですね。家族ぐらい一緒にいますし、それが当たり前。ここ数年間は、そんな生活をしています。
練習は午前だけのときと、午後も行うときもあります。坂が多いので、これを使ったロードのトレーニングもやります。それに週2回のウェイト。時期によって3パターンあって、まずロードに乗る期間があって、ロードとトラックを併用する期間、そして試合が近づいてくると実戦的なトラックを集中的に行う感じなんです」
練習メニュー
日本代表の練習は極秘事項。ただ、こんな感じの内容というのは教えてもらえた。まず、ウォームアップでは徐々にペースを上げて走行。その後、たとえば先頭を入れ替えながら走るパシュートという種目の練習で、2000m×3本。
ロードワークでは3時間をかけて約80kmを走ることもある。「ウェイトトレーニングは試合が終わったあとに、トレーナーと相談しながら足りなかった部分を補っています」とのこと。
来年はいよいよパリ・オリンピックである。東京オリンピックではサポートメンバーに甘んじたから、次は是が非でも出場したいであろう。代表を目指している選手は幾人かいるが、その最右翼は今村である。
「オリンピックまで1年と少しなんですが、半年前からは、調整とか、いろんなことを嚙み合わせる時間になると思います。そう考えるとトレーニングする時間はとても少ないんです。だから、残りの時間で体力をさらにつけなくてはならない。それも、オムニアムに特化した体力ですね。
具体的に言えば心拍数が170〜180(拍/分)で1時間キープできるように、科学的で効率よい練習をするのを目標にしています。パリにすべてを懸けている。金メダルを狙うつもりで行きたいです」