池田耀平(陸上)「1万mで日本トップクラスのスピードをつける」
トラックからマラソンへと距離を延ばし、その結果、今年大きな躍進を見せている。もちろん池田耀平が目指すは来年のパリ・オリンピックだ。(雑誌『Tarzan』の人気連載「Here Comes Tarzan」、No.856〈2023年5月11日発売〉より全文掲載)
取材・文/鈴木一朗 撮影/下屋敷和文
初出『Tarzan』No.856・2023年5月11日発売
Profile
池田耀平(いけだ・ようへい)/1998年生まれ。166cm、50kg、体脂肪率6.5%。静岡県立島田高校で陸上を始める。日本体育大学2年のときに出雲駅伝、全日本学生駅伝、箱根駅伝の学生三大駅伝に出場。3年時は箱根駅伝で1区3位。4年時の箱根駅伝では2区で日本人トップ。2023年、ニューイヤー駅伝で区間賞。大阪マラソンでは日本人2位に。Kao所属。
初のマラソンで2時間6分53秒を記録。
今年の元日に行われた、社会人最高峰のレース『ニューイヤー駅伝』。一人の選手が駅伝ファンの度肝を抜いた。kaoの池田耀平である。
最長区間4区(22.4km)を任された池田は18位で受け取ったタスキを、なんと入賞圏内の8位まで押し上げる強さを見せたのである。10人抜き、1時間4分4秒で、区間賞に輝いた。
池田の快進撃は終わらない。今度は2月に開催された『大阪マラソン』。従来の初マラソン日本最高記録2時間7分31秒を上回る2時間6分53秒でフィニッシュし、MGC(マラソングランドチャンピオンシップ、10月15日開催予定、パリ・オリンピックの日本代表選考会)の出場権を獲得した。
初マラソンが2時間6分台とは、ちょっと驚異的である。ここまでの躍進を彼自身はどう捉えているのだろう。
「今年の大阪マラソンで走ることを、昨年の4月ぐらいに決断したんです。そこから、やっぱりマラソンをやるとなったら高い意識を持たないといけないし、自分の中で覚悟を決めることで練習の量や質も上がりました。
さらに、日常生活でもより高いレベルで過ごすことができた。いろんなことが一段階上がって、それがニューイヤー駅伝の走りになった。その結果でまた自信をつけることができたんですね。そして、それが大阪マラソンに繫がった。マラソンを見据えてやってきたことが、しっかりと結果になったと思います」
不安材料は持久力だった。
マラソンを目指すと決める前は、池田はトラックの5000m、1万mを主戦場としていた。マラソンとの違いは、誰でもわかるであろうが距離だ。目指す前と後では具体的にどのように変わってきたのか。
「社会人1年目(池田は入社3年目)はトラック中心でやってきたので、スピード練習が主でした。だから練習は量というよりは、やや短い距離をとにかく速く走ることが目標になっていたんです。ただ自分の中では、スピード練習をやったからって、それが結果に繫がるのかという疑問がずっとあった。
それで、マラソンをやるとなったときに、当然量はやらなくてはならないし、そうなると有酸素系の運動が増える。ジョギングの時間も多くなる。地味な練習なんですけど、それをしっかりやることで土台ができた。
これから先もトラック競技は並行してやっていくつもりですが、それにもいい影響を与えていると思っているんです」
もともと、スピードを備えた選手だった。彼自身も「ある程度の自信はある」と言う。不安材料はスタミナ、つまり持久力だった。
大阪マラソンでは同じく初マラソンに挑戦した西山和弥(トヨタ自動車)に38km過ぎについていけなくなり、日本人2位に終わった。今の初マラソンの記録はこのとき西山が出した2時間6分45秒である。
レースで印象的だったのが、38km過ぎだった。西山から徐々に離され、池田に苦痛の表情が浮かんだ。ただ苦しいだけではない。そこには悔しさが溢れ出ていた。
「今までだと、2番、3番でも満足していたというか、自分の中でよしとしていた部分が正直言ってありました。ただ、今回のマラソンに関しては本気で日本人1位を狙っていた。MGCのことは考えていなかったけど、世界陸上(今年8月4日ハンガリーのブダペストで開催)に出場したいという気持ちが強かった。
2番じゃダメなんです。走っている最中もこれで2時間6分台を出して勝てば、世界選手権と思っていました。だから、ついていけなくなったとき、悔しい顔になってしまったんでしょうね」
何が大切なのかを、大迫さんに教えられた。
ニューイヤー駅伝で驚異の走りを見せた約3か月前、2022年の9月に池田は貴重な経験をしている。イングランドで毎年開催されるハーフマラソンの大会『グレートノースラン』に出場したのである。
西山も同行した(他に中村高洋=GMOなども出場)。そして、もう一人の日本人選手が個人的に参加していた。大迫傑である。結果は大迫4位、池田7位、西山10位で終わったが、ここで池田は大きな刺激を受けた。
「レース後にお話しさせてもらえる機会がありました。そのとき、大迫さんの勝つことに対する執着心とか、それを成し遂げるために自分がやっていることへの自信が凄かった。
たとえば、大迫さんはメディアとかに出る機会も多くて、そこではアメリカで最新のトレーニングを行っているという感じで紹介されたりする。でも、実際には走っているんです。練習量が多いし、ジョギングなどの地道なこともしっかりやる。
月1000kmぐらいは走っていると思いますし、一つ一つの練習の質の高さには驚きました。普通の選手だったら、質の高い練習で距離を稼ぐというのは難しい。でも大迫さんは、質が高いのに量もやるという強さがある」
この話で池田は、自分なりに質の高い練習をやろうと思った。そして、考えて辿り着いたのがチームに2人いるケニア人の選手に力を借りることだった。具体的には一人では行けないレベルまで、彼らの力を借りて引っ張ってもらったのだ。
それが、昨年の10月、11月。力は確実についていき、それが今年開花したのだ。
大きな筋肉で走ることが、体力の温存に繫がってくる。
練習の一環として、池田が重要だと思っているものがもう一つある。それが、ウェイトトレーニング。陸上練習の質や量に合わせながら週1、2回行っている。これは、母校である日本体育大学のころから行っているのだが、今はチームのトレーナーと相談しつつ実践している。
「重いウェイトではやらないですね。最高で40kg、通常は30kgです。それで、普通にスクワット10回×3セットとか、デッドリフトとかを行います。走るときには、ハムストリングスや尻の筋肉を使いたい。
ふくらはぎはこれらの筋肉に比べると小さいですから、ここだけ使っていると長い距離を走ることはできない。なるべく大きな筋肉を使うことが、体力の温存にも繫がります。
高校のころは何にも考えていなくて、そのころのフォームはけっこう足首で蹴っているんです。それは、ふくらはぎを使った走りで、そのまま大学に進学したから1、2年はケガに泣かされた。
そこから、監督にアドバイスしてもらってウェイトで鍛えることで、ケガをしなくなったし、スピードも出るようになった。今も欠かせないトレーニングなんです」
来年のパリ・オリンピックの出場権はまずMGCの上位2名が得る。池田は大阪マラソンの結果により、MGCには参加できるがこれを回避する。もともと、MGCでの選考を考えていなかったというのがその理由だ。
狙っているのはファイナルチャレンジ。MGCのレース後に開催される日本代表選考レースだ。これが1枠。条件をクリアすれば代表に選出される。その条件はまだ決まってはいないが、多分日本記録2時間4分56秒を基準に考えられるだろう。決して簡単に出せる記録ではない。
「それを目指すためには、さらなるスピードが必要。今、改めてスピード練習もしています。トラックの1万mで世界選手権の代表を目指す。それが実現すれば、この種目でのオリンピック代表の可能性もあります。
今やっていることはマラソンのためでもあるし、トラック競技のためでもあるんです。ファイナルチャレンジを考えたら、まずは1万mで日本トップクラスのスピードをつけることが必要だと考えているんです」
取材に伺った日の練習メニュー
まずはアップ。寮から競技場まで5kmほどのジョグ。着いたらトラックで400mを65秒ほどのペースでインターバルを挟み5本。インターバルでは200mのジョグで次の400mに繫げる。これを3セット。
練習中は止まらない。終わったら、帰りもジョグで5kmほど。全部で20km弱走ったことになる。「今日の練習は土台作りといったところです」と、練習後に平然と言う。なんという体力!