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中学、高校、大学と階段を一歩一歩上るように、バスケットボールという競技の高みへ向かっていった。そして今、さらなる飛躍を目指して西田優大は進み続ける。(雑誌『ターザン』の人気連載「Here Comes Tarzan」、No.854〈2023年4月6日発売〉より全文掲載)
昨シーズン、〈シーホース三河〉に入団し、見事新人賞に輝いたのが西田優大。平均得点の11.6Pは新人の中では他の追随を許さぬ記録だった。
彼のポジションはシューティングガード。その名の通り、まず求められるのはシュート力。アウトサイドの3ポイントから始まり、ドリブル突破でのジャンプシュート、味方を利用したスクリーンを使ってのシュート。どのような場面でも得点への活路を生み出す力が必要とされる。
また、スティールやリバウンド、敵の強力選手とのマッチアップなど、ディフェンス面でも対応しなくてはならない。つまり、技術的にも身体的にも秀逸な選手でなければ務まらないし、それだからエースとも呼ばれる存在でもある。
西田の理想のシューティングガードとは? まず質問すると、こんな答えが返ってきた。
「日本でいえば比江島(慎)さんが目標ですね。誰が見てもエースだなっていうのがわかるので。得点が欲しいところでしっかり決め切るし、僕が今、必要だと思っているドリブルからの3ポイントも上手いので、比江島さんのプレーから見習いたい部分はたくさんあります」
比江島は西田が所属しているシーホース三河でプレーしていて、2019年に宇都宮ブレックスに移籍した。
攻守に優れ、“比江島ステップ”と名付けられた、類を見ないドライブ(ドリブルでディフェンスを抜いてゴールに向かうこと)で相手を翻弄する。西田もマッチアップしたことがあるが「気づいたら抜かれている。アレ?って感じですね」と笑う。
シーホース三河は1947年に誕生してから日本で2番目の古い歴史を持つ強豪チーム。昨シーズン西田が加入し、西地区4位という成績を残したが、今シーズンは今のところ6位と苦戦している。
「最初のシーズンはチームに勢いを与えるような、フレッシュな力を注ぎ込めたらいいなと思っていました。それで、チームのエースだと言われるようになって、自覚や責任も生まれ始めました。
今シーズンのこれまでは、それが空回りしてしまって、なかなか勝つことができない。エースとしての責任も感じています」
父親が社会人チームの選手。その影響で幼いころからバスケットボールに親しんだ。小学校3年からはミニバスケットボールを始め、中学からは本格的に競技と向き合うことになる。
中学では全国大会には出場できなかったが、すばらしいプレーの数々で西田の名は全国に浸透し始める。現在、滋賀レイクスのテーブス海選手は、中学時代に西田と対戦しており、当時の西田を「本当にバケモノ」と語ったことがあるほどだ。
「中学校のころから、そういう選手とやり合ってきたのが、今に活きてるんだと思います。全国へは行けなかったけど、選抜で大きい大会に出場したりはしていましたからね」
そのころから、最大の武器はサウスポーから放たれる精度の高い3ポイント。
ひとつエピソードがある。
幼いころの西田は父親の試合をよく見に行った。当時の父のチームはすべて右利きの選手で、西田も見よう見まねで、右手でシュートを打っていたという。それを本来の左に変えさせたのが父である。そのまま右でやり続けたら、この稀有なプレーヤーは生まれなかったかもしれない。
とにかく、中学のときの西田は自由奔放。「めちゃくちゃ打ってましたね」と言うほど3ポイントを打ち、好き勝手にコートを走りまくった。
「シュートが好きで、外(アウトサイド)からのプレースタイルをずっとやらせてくれていたミニバスや中学の監督には感謝しかないです」
個人的な技術の素地は、ここで出来上がっていったのだ。
そして、高校では組織的な戦略部分を学ぶことになる。バスケットボールの名門・福岡大学附属大濠高校へと進学したのだ。
九州にはもうひとつ、福岡第一高校という強豪校がある。高校での最高峰の大会はウィンターカップだが、2017年から22年の6年間で福岡第一高校が2回、福岡大学大濠高校が1回優勝を果たしている。九州勢の強さがこれでわかるだろう。
「福岡第一高校との対戦は、毎回全国大会の決勝みたいなものでした。好き勝手やって通用しない部分が出てきましたし、自分より上手いと思える選手も出てきた。
中学までは徳島県で、自分より得点を取る選手はなかなかいなかったので、福岡の高校に入ったときは衝撃を受けました。ただ、そのなかでも通用したのが外のシュートだったので、これだけは続けようと思っていました」
大学は東海大学。ここでは陸川章監督との出会いが大きかった。彼を通して、チームの団結の大切さを知ることになる。
西田は中学、高校、大学とまるで階段を一歩一歩上るようにして、バスケットボールという競技の高みへと向かっていったのだ。
「結果よりも過程を大事にしろというのが陸(川)さんの考えでした。僕が大学4年のときにインカレで優勝するのですが、それまでにすごく準備をしてきた。だから、優勝できたのもうれしかったのですが、準備という過程の部分でほとんど満足できるぐらい充実していました。
陸さんの考えは今の自分にも活きていますね。自主性を重視するといったこととか。たとえば、練習方法はチーム全員で話し合って決める。そして、陸さんに伝えると“みんなで決めたのならそうしなさい”ということになる。
こうすることで、自然に選手全員が一つの方向に向くということができていく。チームという感覚を強く理解できたのは大学時代です」
さて、西田はシーホース三河の選手という顔の他に、日本代表としての顔も持つ。U15の代表以来、すべての年代別代表に選出されている。そして、今年8月にはフィリピン、インドネシア、日本でワールドカップが開催される。
チームを率いるのは、東京オリンピックで女子バスケットチームを銀メダルへと導いた、名将トム・ホーバス氏である。
「トムさんは一人ひとりに明確に役割を与えてくれるので、すごくやりやすいですね。今は、個人の考えだけでプレーするバスケってすごく少ないと思う。
たとえば、日本代表だったら、自分たちのなかに大まかなルールがあって――たとえば3ポイントのためのプレーだったり、フェイントで中にアタックするためのプレーだったり――そこから、自分たちがアイデアを派生させていくといった感じです。
代表のときには本来のシューティングガードではないポジションも務めたのですが、それもいい経験になっていると思います」
実は西田、ワールドカップやオリンピックで代表に選ばれたことはない。だから今年は代表に残れるか否かが、一つのポイントだろう。
そして来年にはパリ・オリンピックが控えている。まだ24歳、どこまで成長していくのか楽しみである。
「まずはエースと言われながら、チームをなかなか勝たせられないというのが現状なので、勝たせられる選手になることが重要です。それを目標に継続して、結果が出せるようになれば、毎回日本代表に呼ばれる選手になれるんじゃないかと考えています。
そのためには、3ポイントの精度をもっと高めたい。ただボールをもらって打つだけではなく、自分がドリブルしたシチュエーションから打てるようになりたいです。そして、最終的には日本のエースと呼ばれるような存在になることができれば、それはうれしいですね」
この日の練習は、まず戦術確認をして、パスとシュートの練習。右サイド、中央、左サイドと位置を変え、パスを受けてシュートを打つ。
続いてランニングしながらのパスとシュート。これがキツそう。3人でパスを回し、コートを1往復。次に2往復、さらに3往復と走る距離を延ばす。また2往復、1往復に戻って終了。全力だから心肺機能、筋力ともに鍛えられる。
この後、シュート練習、攻守を変えながらの実戦練習。終わると個人練習でシュートを繰り返した。これが大事。
取材・文/鈴木一朗 撮影/下屋敷和文
初出『Tarzan』No.854・2023年4月6日発売