中村拓人(バスケットボール)「今シーズンが一番実力を試されると思う」
チャンピオンシップを勝ち抜いて優勝に貢献した若き司令塔は、 さらなる飛躍を誓って戦い続ける。(雑誌『Tarzan』の人気連載「Here Comes Tarzan」〈2024年9月12日発売〉より全文掲載)
取材・文/鈴木一朗 撮影/吉松伸太郎
初出『Tarzan』No.887・2024年9月12日発売
Profile
中村拓人(なかむら・たくと)/2001年生まれ。184㎝、87㎏。中部大学第一高校から大東文化大学へ進学。在学中の21年1月に特別指定選手として、レバンガ北海道と契約。22年12月、広島ドラゴンフライズとプロ契約し、23―24年シーズンに西地区3位、全体7位でチャンピオンシップに進出。優勝を果たし、自身は日本生命ファイナル賞に輝いた。
いつでもスタメンで出場できる。その準備はしっかりとやってきた。
2024年シーズン、バスケットボールのBリーグで優勝を果たしたのが、広島ドラゴンフライズだ。Bリーグは東地区、中地区、西地区に分かれ、各8チームずつのシーズン全60試合で勝敗を競う。そして各地区の1、2位、それにプラスして勝率が高い2チームによって、CS(チャンピオンシップ)で優勝を争う。広島は西地区の3位。全体7位でCSに進出することができた。
準々決勝で中地区王者の三遠ネオフェニックスを破ると、準決勝では西地区優勝の名古屋ダイヤモンドドルフィンズに勝利、決勝では昨年のチャンピオン、琉球ゴールデンキングスを撃破しての優勝だった。広島はBリーグの2部リーグ(B2)に所属したこともあり(B2に所属したチームの優勝はこれまでない)、7位からの優勝。いろんな場所で“下剋上”という言葉が躍った。
この広島のポイントガードという司令塔を任されていたのが、中村拓人である。彼はCSで3ポイントシュートの成功率が58%であったという。普通3ポイントの場合40%なら上出来も上出来、それがこの数値だから驚きだ。ただ、彼にCS直前の心境、思いを聞いてみると、意外な言葉が返ってきた。
「シーズンの後半戦は、CSに出られるかという位置で、しかも強豪との試合が多かったんです。だから、その辺りから内容の濃いというか、普段のレギュラーシーズンとは違う試合ができていた。CSに入ったときには、すでにチームとしての完成度も高かったし、気持ちの部分も選手全員で共有できていました。ワンプレイ、ワンプレイの遂行力の高さ、集中力、すべてにレベルの高いバスケができていたので、今までやってきたことをやるだけっていう感覚。何の疑いもありませんでした」
“誰かのため”が、すごいエネルギーになる。
広島にとって特別なシーズンだった。創設10年目の節目である。それだけでも、選手の気合は違ってくるというものだ。そして、もうひとつ。開幕前に朝山正悟の引退が発表された。彼は“ミスタードラゴンフライズ”や“広島のレジェンド”とも呼ばれる、いわばチームの支柱的存在。彼の最後のシーズンというのも、大きな発奮材料になった。
「広島を象徴する選手と一緒にプレイできたのは、僕の中ではいい経験でした。とにかくよく見てくださるというか、細かいところまで教えてくれて。まだまだ一緒にプレイできると思っていたから驚きましたし、最後だから優勝を目指さなくてはとも思っていました。“誰かのために”というのがチームを強く団結させた。そのエネルギーは何よりも強いんだと、このシーズンで感じましたね」
ただ、いざ開幕となると気合の空回りか、2連敗でスタート。シーズン前半は負けが先行し、なかなかに苦しかった。2024年3月、最初の2連戦までの成績は21勝20敗。それでも、少しずつチームの調子は上がってきていた。
だが、3月3日に行われた千葉ジェッツ戦で、寺嶋良が右膝に大ケガをして戦線を離脱してしまう。寺嶋も広島の推進力を支える重要選手で、これまで朝山との両輪でチームを引っ張ってきた。
彼のポジションは、中村と同じポイントガード。常にスターティングメンバーであり、中村は二番手に甘んじていた。寺嶋はケガの後に、中村に“頼んだぞ”と声をかけたという。
「もちろんスタメンで出場したいという気持ちはありました。常にそこを目指していたので、準備はできていたんです。悪いアクシデントで僕の番が回ってきたものの、チャンスでもある。最大限のパフォーマンスをしよう、逆境の中でも楽しもうっていうモチベーションでプレイできたのがよかったんだと思います」
彼の言う準備のひとつがカラダ作り。とくにディフェンスで外国人選手に対抗できる力が欲しかった。
「競い合えないと、舐められてしまうことが多いんです。そういう意味でもカラダを大きくしないといけない。最初は食べて体重を増やしつつ、トレーニングで絞っていく。そんな感じで力をつけていきましたね」
本当に広島にとって、もちろん中村にとっても、過酷でタフなシーズンであった。成績は36勝24敗。最終戦の前の一戦で、ようやくCSの出場を決めることができた。「チームの完成度が高かった」と中村が言うわけは、ここにあったのだろう。
僕たちのバスケをして、優勝しようと話し合った。
さて、CSだ。2勝したチームが勝ち進む。まず三遠には2連勝した。「勝ち切れたのは非常に大きかった」と、中村。次の対戦相手は名古屋D。こちらは、1戦目は勝ったが2戦目は負け。後がなくなった。
「改善するところはチームでミーティングして、すぐに気持ちを切り替えようと話していましたね」
うまく切り替えられたのには理由がある。広島は一昨年もCSに出場していて、このときは同じ状況のなか千葉ジェッツに敗れている。この経験が大きかった。引き摺っていては負けるということを選手がしっかりと自覚していたのだ。そして、ファイナルの琉球戦。初戦を落とす。
「もう開き直っていましたね。決勝の舞台に立った選手もほとんどいませんし、とにかく思いっきりやろう、最後に僕たちのバスケットをして優勝しようということをみんなで話して、それが逆にチームをいい方向へと導いていったのだと思います」
1勝1敗に持ち込んだ最終戦。入院中の寺嶋が会場にやってきた。彼はCS前に中村に同じ言葉をかけた。“頼んだぞ”。第1クオーターから広島が主導権を握る。中村はここで実に7点を奪ってみせる。第2クオーターには3点差まで詰め寄られるが、その後は厳しいディフェンスと、テンポのよい攻撃で得点を重ね、65対50で見事優勝を飾ったのだった。
今シーズン、広島は追う立場から追われる立場になる。戦略は研究され、中村にもこれまで以上に激しくチェックが入ることになるだろう。
「今シーズンがプレイヤーとして一番実力が試されるシーズンだと思っています。CSというのはけっこう一発勝負の場なんで、運の要素もある。レギュラーシーズンで勝つのが本当の強さだと考えているし、すごく難しいことでもある。まずは西地区で優勝というのが目標です。“下剋上”じゃない(笑)、本当の意味での力を見せていきたいんですよ」