高谷惣亮(レスリング)「ミスをなくせばメダルは獲れる」
日本で一番強いレスリング選手である。ただ、世界ではなかなか結果が残せない。34歳の今、高谷惣亮は集大成の時期を迎えている。(雑誌『Tarzan』の人気連載「Here Comes Tarzan」、No.855〈2023年4月20日発売〉より全文掲載)
取材・文/鈴木一朗 撮影/中西祐介
初出『Tarzan』No.855・2023年4月20日発売
Profile
高谷惣亮(たかたに・そうすけ)/1989年生まれ。178cm、88kg、体脂肪率9%。2011年の全日本選手権で優勝し、以降12連覇。12年、ロンドン・オリンピックアジア予選で準優勝し、74kg級の出場権を獲得。ロンドンでは初戦敗退。14年、世界選手権74kg級で準優勝。16年、リオデジャネイロ・オリンピックで7位。21年、東京オリンピックで初戦敗退。
全日本選手権12連覇という快挙。
昨年12月に行われたレスリングの全日本選手権。フリースタイル92kg級で優勝したのが高谷惣亮である。
この勝利は全日本12連覇という快挙でもあった。どんな競技であれ、12年もの長きにわたり、トップを走り続けるのは容易ではない。ましてや、高谷の対峙しているのはコンタクトスポーツの雄、格闘技なのだ。実際、これまでもケガに泣かされた時期はあった。が、それでも、ずっと勝ち続けた。
また、トップにいるということは、相手に目標とされるということでもある。高谷を倒すために、ライバルたちは弱点やクセを徹底的に研究してきたはずだ。そんな中でも、着実に結果を積み重ねてきた。
彼はまず12年をこう振り返った。
「12年…、すごく長かったですね。ただ、一回一回の大会で課題を持って取り組んできたし、誰と決勝で戦ったかということもはっきりと覚えてます。よく、ここまでがんばってきたと思いますね。
僕の特徴といえば、まずタックルなんですが、相手はその切り方(タックルを避ける方法)を練習してくるし、実際の試合でもタックルを警戒するような構えになる。実は、僕の中では、そういった対策をしてくれたほうがありがたいというか、逆にやりやすい。
タックルを注意するあまり、フェイントを仕掛けたらすごい反応をするし、試合の前半で相手のパターンがわかれば、後半で確実に(ポイントが)取れる。とにかく僕は攻めることしかしないので、それがここまで勝ててきている理由だと思っています」
その差18kg。いかに4階級で優勝したのか。
高谷の特筆すべき点がもうひとつある。それが階級である。彼は全日本で74kg級から92㎏級の4階級で優勝しているのだ。
その差は18kg。格闘技において、体重差というのは重要な問題だ。階級が上がれば、骨格や筋力、それにプレイスタイルも変わってくる。その大きな壁を、高谷はやすやすと越えてきているのだ。
「僕自身もちょっとおかしいと思っているんです(笑)。中学のときは53kg級なので、そこから考えると40kg近く上がっているんですよね。でも、そのなかでも負ける気はしなかったし、今から97kg級で出場しろ、125kg級で出ろと言われても勝てると思う。
何で階級制になっているかといえば、パワーに差があるからなんです。僕はずっと74kg級でやっていたのですが、そのとき海外の選手とやると力負けしていた。だから、とにかくウェイトトレーニングをやった。もう、血を吐くぐらいやりました。それで力がついて体重も増えた。
それからは86kg級や97kg級の選手とスパーリングをやるようになりました。だから、今は上の階級に出ることに、構えてしまうことはないんです。スパーリングの延長といった感じで気負うことはないですね」
とにかく大変な男だ。実は昨年の全日本で優勝した92kg級という階級はオリンピックにはない。高谷はパリには86kg級で挑戦する。彼の体重は現在88kgといったところ。2kgの減量はそれほど厳しいものではない。それより88kgで92kg級を制してしまうほうが驚きなのである。
2時間の練習は全力でやる。スパーリングもすべてが勝負。
3人兄弟の真ん中。兄と弟はレスリングをやっていたが、高谷は空手だった。小学校6年のときにレスリングに誘われる。レスリング選手のほとんどは小学校に上がる前から始めているので、いかにも遅い。
高谷もやりたくなかった。兄と弟がやっているから、自分一人が遅れて入るというのが面白くなかったのだ。 しかし、試しにということで2回だけ練習に参加した。教えてもらったのはタックルとローリング。
ローリングというのは、うつ伏せになった相手の背後に回り込み、自らが回転して相手をひっくり返す技。2ポイントとなる。それで小学生の近畿の大会で優勝してしまうのである。
「中学生のときは地元のクラブチームに通ったのですが、朝の練習とかはさぼりまくっていました。自主練習もやらない。ただ、メインの2時間の練習だけは全力でやった。スパーリングも一本一本が真剣。
他の子はどうやって楽をしようかと考えていたけど、僕にはそれがまったくなかった。インターバルトレーニングでもウェイトトレーニングでも全部1番でなければ嫌でしたね」
言ってしまえば、生意気なガキである。このころから、自分が必要とする練習と、そうでない練習を嗅ぎ分けて、必要な場所だけに力を注いでいたのである。その結果が、中学校2年生のときの全国中学生レスリング選手権3位であり、3年での優勝だったのだ。
生意気は高校に入っても続く。京都府立網野高校はレスリングの名門。選手は全員丸刈りである。これに食ってかかった。「髪を切ったら優勝できるんですか?」。
で、一枚の写真がある。丸刈りの選手が並ぶ中央に長髪の一人。高谷である。「坊主じゃモチベーションが保てない」という理由で3年間を通してしまったのだ。
そして、もうひとつ我を通したことがあった。
「入学したときには66kg級だったのですが、2年のときに74kg級に上げたんです。このときに“オマエは上の階級では勝てない。減量から逃げるな”って言われたんです。それが、けっこうカチンときて、74kg級でも絶対勝つと思ってました」
その年、国体で2位になる。そして3年のときには日本最高峰の大会、全日本選手権で準優勝するのである。そのころの74kg級は選手が揃っていて、その中で高校生が成績を残したというのは奇跡と言っていい。
自分のダメなパターンを消していければ、パリではメダルを獲れる。
高谷は今ももちろん現役選手だが、母校である拓殖大学の監督も務めている。選手の指導についても語る。
「大学では自主性が重んじられます。基本は自分がやりたいようにやる。ただ、僕の場合はやりたいトレーニングをやって勝てていたからいいんですが、やりたいトレーニングだけでは勝てない生徒もいる。楽なトレーニングに寄っていって、キツかったり、苦手だったりするものは、無意識に排除してしまうんです。
それを今、監督としてはアドバイスしないとダメなんですね。僕の場合はキツい練習も必要だとわかっていて、しっかりやってきたことが、ここまで繫がってきているんですけど」
高谷は現在34歳。過去、ロンドン、リオデジャネイロ、東京のオリンピックに出場しているが、初戦敗退、7位、初戦敗退と結果が残せていない。日本のレスリングは軽量級は強いが、重量級は苦戦を強いられている。
これを突破する最有力候補が高谷であり、またパリ・オリンピックは彼の集大成にもなるだろう。
「重量級ではひとつにはパワーで負けているんですね。それを底上げすることが大切です。そうすれば相手の圧力でスタミナを消費することが少なくなる。ただ、僕の場合は相手に圧力を受けるということはほとんどないんです。なぜかと言えば、試合中ずっと攻め続けているから。
国際大会で負けるときは、自分で安易に(タックルに)行って返されることが多い。自分のミスで負ける。だから、それをしないことが大切。雑にタックルに入らないとか、相手に付き合わないとか、自分のダメなパターンを消していくことが必要です。
スピードだったら、世界でもトップクラスだと思っているし、強豪相手にも十分戦える。パリではメダルは絶対獲れると思っています。簡単に“行ける!”って思わなければということなんですが(笑)」
取材に伺った日の練習メニュー
驚くのは練習時間の長さ。スパーリングだけで2時間近くやる。「高校ですごく強かった子ばかりではないから大学4年間でしっかりと鍛えてやりたい」と高谷。もちろん、彼も一緒にスパーリングをしながら、選手たちにも技術面を指導していく。
学生の中には強い選手もいるが、高谷にはまったく歯が立たない。最後に一本取らせてやるが「僕が勝ちっぱなしだと、自信をなくしちゃいますから」と、笑う。