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調子の波に翻弄されながら、それでも競技と対峙してきた。2022年、日本記録を樹立したスイマー・青木玲緒樹の正念場がこれから始まる。(雑誌『ターザン』の人気連載「Here Comes Tarzan」、No.852〈2023年3月9日発売〉より全文掲載)
今年1月に開催された『KOSUKE KITAJIMA CUP 2023』。この大会の女子100m、200mの平泳ぎで優勝したのが、青木玲緒樹である。タイムは1分6秒06と2分23秒12、どちらも大会新記録であった。
この時期、水泳選手はオフシーズンであり、自らの力を向上させるべく、質量ともに高い練習を行う。たとえば、青木のチームでは50m×40本、100m×20本、200m×10本を全力で泳ぐ練習が恒例となっている。
50mならば1分15秒というタイムが設定されていて、1分で泳げば15秒休むことができ、リスタートを切るといった具合だ。とんでもない激しさである。
そんな日々の中で出した好記録なのだが、青木はどう思っているのか。
「泳ぎながら試合に出るということは、平井(伯昌)先生から言われていました。試合の週はさすがに練習の距離は落ちたんですが、その前まではいつも通り、しっかりと泳いでいました。
4月に日本選手権があるので、この大会である程度の泳ぎができないと不安が残ってしまう。ただ、練習しながらの出場だったのでどうかなと思っていたのですが、予想以上によかった。
100mはこれまでも安定していたのであまり心配はしていなかったのですが、200mも5年ぶりに23秒台前半が出た。年末年始にいい練習ができていたのかな、ということは感じましたね」
青木は昨年の3月に行われた国際大会日本代表選手選考会の100mで、8年ぶりに日本記録を更新し、1分5秒19で優勝した。そこからは、安定した泳ぎで繫いできたのであるが、それ以前は決して順風満帆な選手人生を送ってきたわけではない。
好不調の波が大きく、辞めようと思ったこともある。それを考えると、今世界を相手に戦うことができる力を着実につけてきたことは、大げさではなく奇跡的なことだろう。
3歳で水泳を始め、小学校5年生のときに北島康介さんをはじめとするトップスイマーを育て上げた前述の平井コーチに見初められる。「キックが特徴的だった」と、後になってコーチから聞かされた。
それからは、トップ選手の合宿に参加するなど、充実した日々を過ごす。もちろん日本代表でないどころか、無名の少女が参加するのは“特別”だった。
そして、青木がその実力を開花させたのが東洋大学の4年のとき。リオデジャネイロ・オリンピックが開催された2016年の9月、日本インカレの100m、200mで自己新を出して優勝する。
その後も勢いは止まらず、17、18年の日本選手権で100m、200mの連覇。アジア大会でも100m銀メダル、200m銅メダルと飛躍していった。
「大学には大橋悠依さん、萩野公介さん、今井月さん、小堀勇気さんなどトップスイマーが集まっていた。こんな場所は平井先生のチームしかなかったし、常に高い意識で練習に臨んでいたので、そこはお互いに大きな刺激になっていたと思います」
ところが19年の日本選手権は100mで5位、200mでは10位に沈んでしまう。好不調の波が起き始めた。ジャパン・オープンで優勝し、世界選手権の100mで4位に入る。だが、その後は100mでは1分6秒9台を連発して調子は上がらない。不安がカラダを縛る。
それでも、20年の東京オリンピックの選考会を兼ねた日本選手権で2位に入り、代表権を獲得。しかし、本番では自己ベストより1秒39も遅いタイムで、予選敗退(19位)に終わった。
「そのまま辞めてしまおうかと思いました。メチャメチャ落ち込みましたね。オリンピック後も練習に行ってはいたんですけど、身が入らなかった。がんばるぞと思うときもあるし、ダメかもってなってしまうときもあった。気持ちの振れ幅が大きかったんです。
そんな状態で、去年の1月、KOSUKE KITAJIMA CUPに出場して、100mが1分7秒79。年明けにこんな遅いタイムで泳いだのは何年ぶりかっていう感じだったので、本当にどうしようという思いばかりでした」
それでも、練習でタイムトライアルを繰り返しているうちに、レース感覚が戻ってきた。そして、それと同時に自分の中に「やってダメならしょうがないけど、やる前からダメだと思ってどうするんだ!」という気持ちが湧き起こった。
それが、日本記録を打ち立てた日本選手権の2週間前である。メンタル面がどれほど大きい影響を選手に与えるかが、この事実ではっきりとわかる。
「前は先生が指導してくれても、“イヤ、これ難しいです”なんて言って避けていたんです。でも、そんなことでは後悔する結果になるとわかったし、覚悟を持って練習しようという気持ちにもなっていけた。
今は、ひとつは泳ぐときに、腕を開いていくときは力を抜いて、搔く瞬間だけ力を入れるようなメリハリのある動作をすること、キツくなってくると肩と顎が上がってしまうので注意をすること、さらには、キックで最後まで押し切ることなどを課題にして、指導してもらっています」
練習に対しての考え方も変わっていった。以前はタイムに一喜一憂したし、常に全力を出し切ることが重要だと思っていた。しかし、今はよりよいフォームで泳ぐことを、第一の目標にするようになったのだ。
「いい泳ぎを続けよう、フォームを崩してまで、タイムを追求してはいけない。そう考えるようになってから、キツイ練習をしているときも、スピードがスッと上がることが多くなったんです。それが、試合にも繫がっている。
泳ぎが安定するようになったので、多少タイムが悪くても修正できるようになりました。それにレースが近づくにつれて、自分の気持ちを合わせにいくことができるようになった。まだ完璧ではないですが、前よりも上手くいっていると思います」
現在、青木はスポーツメーカーのミズノに所属しているが、練習は母校である東洋大学で行っている。平井コーチは東洋大学水泳部の監督であり、ずっと指導を受けていることにも変わりはない。
この取材を行ったのは2月の初めのオフシーズン。青木は多いときで7000mほどを泳いでいる。そして、それに加えて行っているのがウェイトトレーニングである。
この日の練習は、距離が4800mほどと短め。といっても、腰にパラシュートを装着して負荷をかけ、パドルやフィンを使って高強度な運動を繰り返した。
プールでの練習が終わると、陸上でのトレーニング。バーベルを担いでのジャンプスクワット。ターンするときの、切り返しのスピードを高めることが目的。「このトレーニングは今日初めてやりました」と青木。キックを強化することができる。
ウェイトの重要性に気づいたのは最近になってからのようだ。
「高校のときはウェイトの日は午後の練習が休みでした。だから、休みでラッキーと思うだけで(笑)。でも今は、カラダにとってとても大切だと考えられるようになった。陸上で作ったものが、スイムにきちんと繫がると実感しています。
泳いでいて、あんまりキレがよくなかったり、体幹に力が入ってなかったりすると、ウェイトトレーニングで刺激を入れる。試合の前日も回数は少なめですがウェイトをやっておくと、本番でいい泳ぎができるように思います」
今年7月には福岡で世界水泳が行われる。その代表権が競われるのが、4月に行われる日本選手権だ。そして、翌年にはパリ・オリンピックを迎える。
ここからが正念場だろう。
「今、国内の大会では安定しているのですが、国際大会ではまだ力を発揮できていません。だから、まずは日本選手権で勝って、世界水泳の決勝で自己ベストを出せたら一番いい。
それができれば、パリでのレースをイメージすることができると思うし、そこに繫げていくことも可能だと考えています。そのためには、自信を持って焦らずに、一つ一つ試合に臨むことが重要。
ここまで、ずっと失敗してきましたから(笑)、その分学んだことも多い。それを生かして、これから先に進んでいきたいです」
取材・文/鈴木一朗 撮影/中西祐介
初出『Tarzan』No.852・2023年3月9日発売