平 レオン オリリアス(パデル)「習い事のつもりが、習い事じゃなくなって今や選手です」
スペインのコートはずっと人で溢れていた。その光景が忘れられずパデルに転向した平 レオン オリリアスは、この競技が日本に定着することを強く願っている。(雑誌『Tarzan』の人気連載「Here Comes Tarzan」、No.851〈2023年2月22日発売〉より全文掲載)
取材・文/鈴木一朗 撮影/下屋敷和文
初出『Tarzan』No.851・2023年2月22日発売
Profile
平 レオン オリリアス(LEON AURELIUS TAIRA)/2001年生まれ。173cm、73kg、体脂肪率10%。父はカナダ人、母は日本人。幼少の頃よりテニスでプロを目指すが、高校時にパデルに転向。18歳のときに日本パデルツアー・オープンカテゴリーの東京オープン、奈良オープンで優勝。全日本選手権では日下部俊吾とペアを組み、第4回大会と第6回大会で優勝。
目次
スペインで生まれた「テニスとスカッシュ」を合わせたようなスポーツ。
パデルという競技をご存じだろうか。1970年代半ば、スペインで生まれたスポーツで、今やヨーロッパをはじめ、アメリカ、南米にまで広がりを見せている。というより、爆発的な人気を誇っており、スペインでの競技人口は300万とも400万ともいわれていて、いずれオリンピック競技になるという噂があるほどだ。
まずは、この競技を説明する。 パデルはラケットスポーツ。
使われるラケットはテニスよりも一回りほど小さく、ガットはなくカーボン素材でできている。テニスラケットより反発力は小さい。ボールは硬式のテニスボールとほぼ同じだが、内圧はそれよりも低く、こちらも反発力が小さくなっている。
コートは10m×20mで中央にネットがあり、アンダーサーブから始まり、テニスのようにネットを越えるようにボールを打ち、勝敗を競う。得点の数え方もテニスに準ずる。
試合は基本的にダブルスで行われる。 特徴的なのは、周りが強化ガラスと金網のフェンスによって囲まれているという点。相手が打ったボールをこの強化ガラス面にバウンドさせて、クッションボールを打ち返したり、ガラス面に向かいショットを打って、相手コートに入れるということもできる。
つまり、テニスとスカッシュを合わせたようなスポーツといえるであろう。テニスのトッププレイヤーであるジョコビッチやフェデラーも余暇で楽しんでいるという。
“ちょうどいいチャレンジ”ができる競技。
この競技の全日本選手権の覇者である平 レオン オリリアスは、パデルの魅力についてこう語る。
「僕の中では、パデルは“ちょうどいいチャレンジ”ができる競技だと思っています。たとえばテニスは入り口のハードルが高い。一般の人がスクールに2~3週間通ってもラリーができなかったりする。
でも、パデルはほとんどの人がワンレッスンで、試合形式でプレイができます。ラケットが短かったり、コートが小さかったりしますからね。“パデルやろうぜ!”と、言葉にするだけで、初回から楽しめるんです。
それに、さっき“ちょうどいいチャレンジ”と言いましたが、段階を踏んでいけるんです。まず単純に打ち合ってみる。今度は壁を使ってみよう。次は壁に2回当たったときのドブレというショットが練習したくなる。
できたら、さらにポジショニングや戦略へと移行していける。試合にも出たくなる。競技になればより複雑な戦略や高度なテクニックが必要となる。
どんなレベルの人でも“コレ、ちょっとやってみたいな”と思える、ちょうどいいハードルがいくつも設定されているスポーツなんです。だから、一回やって終わるのではなく、みんなずっと楽しんでいきたいと思うようになるんですね」
ただ、サッカーのようにボールひとつでできるという競技ではない。特殊(と言っていいだろう)なコートが必要なのだ。日本では2013年に埼玉県に初のパデルコートができて以来、現在までに20を超える。
「まずは、みなさんがパデルに触れる機会を増やしたいんです。そのためには、コートを作ることが大事。日本では今年50コートを超える予定です。
この50という数字がいわゆるベンチマーク。スウェーデンやフィンランドなど、後発でパデルが人気となった国では、50コートまでは少しずつ増えていったのが、50を超えると翌年から倍増していくような傾向にあった。だから、この数字が達成できれば、日本でも急増するかもしれないと期待しています」
パデルの戦術や戦略は、 テニスより複雑で奥深かった。
パデルとの出合いは衝撃的だった。もともとはテニスクラブの選手育成コースで、プロを目指して日々練習していた。小学校5年生の夏休み、その一環としてスペインのバルセロナにあるアカデミーに留学した。
「ヨーロッパといえばクレーコートが有名で、あんなすばらしい環境ならみんなテニスをやってると思っていたんです。だけれど、クラブに行ってみると十何面あるコートは、ちょっとは人がいるんですが、空いてるところも多かった。
ところが、そこに4面あったパデルコートは朝から晩まで人でパンパン。“何だ、コレ”って本当に驚きました。で、テニスのコーチに聞いたら、パデルというスポーツでテニスより人気だと言う。“オレも強いぜ!”って。
アンタ、僕のテニスコーチだろと思いながら、1、2回プレイしたら、本当に楽しかったんです」
帰国してパデルについて調べても、何の情報も得られなかった。それで、またテニスの日々。だが、学業に専念したいという思いもあり、16歳のときに一度スポーツから離れることを決める。
今、平は慶應義塾大学に在学中だから、文武の文のほうも秀でていたのだ。
ただ、大学も決まりつつあった高校の終わりごろ、スポーツをやりたいという欲求が再燃する。そんなとき、東京にパデルコートができたことを知る。善福寺にあるパデル東京だ。
「気づいたら、超ドハマリしてましたね。習い事のつもりが、習い事じゃなくなって今や選手です。
テニス時代からダブルスでの戦略や戦術、それに相手を負かすセオリーみたいなのが好きだったのですが、パデルをやったらそれらがテニスより複雑で奥深かった。すぐ惚れましたね。
それに、テニスではダブルスといっても、個が占める割合が高い。時速200km以上のサーブなら一発で決まることもある。パデルではパワー勝負が少なく、2人のコンビネーションが合えば自分のポテンシャル以上、1+1が100や200になったりする。そういう部分が、自分に合っていたとも思っています」
そして、始めて1年ほどの18歳のとき、日本パデルツアー・オープンカテゴリーの東京オープン、奈良オープンと2回優勝する。2021年には競技歴4年弱にして、最年少で全日本の優勝を果たしたのである。
第2世代はパデルで育った。だからとてつもなくスゴイ。
昨年4月から、平は大学を休学して、拠点をスペインに移した。そして、ヨーロッパのプロリーグに参加しながら、腕を磨いている。
「週5~6回、2時間ぐらいの練習に加えて、ウェイトトレーニングもします。週末は試合のことが多い。とにかくスペインはレベルが高いんです。世界で十何位とかの選手に囲まれて戦いますから、日本では経験できないことです。
今、スペインでは、パデルが第2世代に入ったといわれています。第1世代はテニスからパデルへと移った人たちが多いのですが、第2世代は最初からパデルだけをやってきた。だから、とてつもなくスゴイ。
普通に打ち返すということはまずなくて、必ずトリックやフェイントが入る。それを考えることもなく瞬時にできるのが、第2世代。僕と同年代なんですが、彼らから学ぶことは多いんですよ」
まずは、世界と互角に戦えるようになる。これが、平の大きな目標であろう。そして、もうひとつ。パデルというスポーツが、日本で定着することも彼の夢であるに違いない。
「パデルはいわゆるニュースポーツなんですが、それは言い換えれば競技と自分が一緒に成長できるということ。昔からあるスポーツでは、そこに入っていって、ただ自分が成長するか否かだけです。
だから、僕は試合の結果とか小さなことではなくて、パデルとともに成長していきたい。そして、パデル=平になれば、僕の行動がパデルの評判に繫がると考えています。そのためにも、一番大きい場所まで、パデルを背負って引っ張り上げようと思っています」
取材に伺った日の練習メニュー
この日の練習は1対1で行った。パデル用語はすべてスペイン語。グロボはテニスのロブ、コルダードはスライスだ。それらを使い実戦的なラリーを、約2時間行った。
一方、ウェイトトレーニングも行う。スクワットなど下半身を中心としたメニューや、ボックスジャンプなどのプライオメトリック。「自分の今を数字で具体的に知ることがモチベーションになる」と言う。