【棚橋弘至・連載】第26回:プロレスは怪我と隣り合わせ。両膝の靭帯は残り3本です
新日本プロレス「100年に一人の逸材」棚橋弘至が綴る、大胸筋のように厚く、起立筋の溝のように深い筋肉コラム。第26回のテーマは「怪我との付き合い方」について。
英語で言われた「折れていますね」
先月のアメリカ大会で、肋骨を負傷しました。試合後、アメリカの病院でCTを撮り「折れていますね」と英語で言われました。海外旅行の保険には入っていたのですが、それを申請しないと、途方もなく高額な医療費が請求されます。それはもう、おそらく100万とか…。
と、高額医療費をイメージして、アドレナリンが出たところで(笑)、現在も試合には復帰しましたが、完治はしていない状態です。
骨折当初は、寝返りを打ったり、ちょっとしたカラダの捻りで、負傷箇所の肋骨が「ポクッ」て鳴る感覚がありました。これは、骨折面が、まだくっついていない証拠ですね。この左の肋骨は、2009年の中西さんとの試合でも折ってしまっていて、ほぼ同じ場所でした。
ただ、ここ1週間くらいは、骨の動きがなくなったので、ようやく繋がったかなというところでした。今日(5/5)で、負傷から3週間なので、まぁそれくらいかなと。
デビュー以来の「無理しない範囲で無理する」
さて、怪我をしてしまうと、当然ながら、思うようにはトレーニングができません。というか、やっちゃダメですね。
しかし「無理しない範囲で無理する」が、プロレスラーの真骨頂でもあるので、上半身を怪我したら、下半身を。下半身ができないときは、ひたすら上半身をやったりしました。
デビューして、半年で左手中手骨を折りました。手は厄介でした。なぜなら、上半身の種目が何一つできないから(←休みなさい)。なので、この欠場期間の半年は、ひたすら下半身をやりましたね。
特にバーベルを担ぐ必要がないレッグプレス、レッグエクステンション、レッグカールを2日に1回はやっていました。この時期が1番脚の筋量が増えましたね。いまは、だいぶ細くなってしまいましたけど。
復帰してほどなく、今度は左脚の前十字靱帯を切ります。完全断裂でしたね。ここから定期的に、しかも、左右交互に、膝を負傷していきます。
私の怪我自慢ではないですが(汗)、両膝の前十字靱帯、内側側副靱帯も切れて、ないです。あとは、右膝の半月板半分と後十字靱帯もないっすね。と、本来なら8本あるはずの靱帯が、残り3本ということですね。頑張れ! 残りの靱帯達!
眼窩底骨折は怪我の功名?
話を戻して、最初に怪我をした、左手中手骨も全治2か月くらいだったのですが、治る前にバーベルを握ってトレーニングをしたら「バキッ」と、二次骨折。治りかけで、折ってしまったので、骨面が付きにくくなり、復帰まで、半年もかかってしまったというわけです。
あと、大きな怪我といえば、右の眼窩底骨折かな。目の奥の骨ですね。骨折をしたら、吐き気が来ると聞いていましたが、このときは本当に来ました。
試合後、そのまま病院へ行き、手術。全身麻酔で、肋骨の間の軟骨を取り出して、眼窩底の穴の空いた部分に、パズルのようにはめ込んだのでした。軟骨をはめ込む際、右目と鼻の間を切ったので、縫合するとき、先生に「多めに縫っておいて下さい♪」と、言えるチャンスがあればよかったのに(笑)。
しかしながら、この手術後、ずっと一重まぶただった右目が、二重になったのでした。これは、まさに「怪我の功名」。骨を折って二重を手に入れたのでした。
欠場期間は「溜め」である
プロレスという競技は、怪我と隣り合わせでは、ありますが、その怪我で欠場している期間すら、復帰までの物語に変えることができます。なので、この経験を若い選手に、しっかり伝えておこうと思います。
欠場中に、ライバル達が活躍して、どんどん駆け上がっていく姿を見るのは、悔しいし、焦りもあります。しかし、この欠場期間を「溜め」だと思って欲しい。
バネもしっかり、縮めないと跳ねないように、プロレスという競技も溜めが必要なのです。ただ、ストレスはあります。運動できないストレス。痛みのストレス。筋肉が落ちていくストレス etc…。
人間はストレスを感じると、食欲が湧きます。ええ、食べ過ぎてしまうんですね。もちろん、怪我からの回復するためには、しっかりと食べることも必要なんですけど…脂肪は「貯め」過ぎないように。
棚橋弘至
たなはし・ひろし/1976年生まれ。新日本プロレス所属。立命館大学法学部卒業後、1999年デビュー。低迷期にあった同団体をV字回復に導き、昨今のプロレスブームをリング内外の活動で支える。