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人類の90%は右利き。つまり圧倒的にマイノリティである左利きだが、生物学的に見ると左利きはどんな意味を持つのか? 右利きの生物学者である池田清彦さんに、進化の過程や遺伝、脳への影響まで、左利きにまつわるを教えてもらった。
池田清彦さん(いけだ・きよひこ)/生物学者、理学博士。早稲田大学名誉教授、山梨大学名誉教授。東京都立大学大学院生物学専攻博士課程単位取得満期退学。テレビやYouTubeなどでも、最新の話題を生物学的な視点でわかりやすく解説する。
人類のおよそ90%は右利き。左利きは残りの10%のマイノリティにすぎない。血液型だって、ここまで圧倒的な偏りはない。いつから私たちは右利き優勢になったのか。歴史を遡ってみよう。
もっとも初期の人類として知られるホモ・ハビリスの約180万年前の化石を分析した結果、右利きの最古の証拠が見つかったという。
歯に残されていた傷跡から、硬い食べ物を口に咥えて左手で押さえ、右手に持った石器で切断して食べていたと想像されるからだ。かなり器用だが、ちなみにホモ・ハビリスとは、ラテン語で「器用な人」という意味がある。
ホモより古いアウストラロピテクスの250万年前の遺跡からも、左側に傷を負ったヒヒの頭骨が出土することから(右手に石斧を持って向かい合ったヒヒの頭を殴って殺した)、当時の人類も右利きだと推測される。
また、4万年ほど前まで、ヒトと共存していたネアンデルタール人も、右利き優勢だったようだ。
進化論は、より優れたものが競争に勝ち、生き残る自然選択(ナチュラル・セレクション)を経て、生き物は環境の変化に対応しながら進化を続けると教える。もしそうだとしたら、生存に有利だから、右利きは左利きの9倍も多いのだろうか。
「生物の世界では、生存に有利でも不利でもない形質(特徴)が、何らかの原因で残ることがあります。右利きが多いのも、とくに生存に有利だったからとは考えられません」
そう教えてくれたのは、右利きの生物学者の池田清彦先生。
そもそも右利き、左利きはどうやって決まるのか。やはり遺伝子なのか。
2019年に、約40万人のゲノム(全遺伝子情報)を解析したオックスフォード大学の研究では、4つの領域に右利きと左利きで異なる遺伝子座(染色体上の位置)が発見された。
そう聞くと、利き腕は遺伝によるものだと考えたくなる。左利きの両親からは、左利きが生まれやすいという調査もあるようだが、利き腕に限らず、ヒトの形質は遺伝子のみで決まらない。環境が与える影響も大きいのである。
「遺伝子より、お母さんのお腹で胎児として過ごす間のちょっとしたバイアス(偏り)が、利き腕に関わる可能性がある。加えて誕生後、何らかの理由でバイアスが固定化し、右利きが圧倒的に多くなると考えられます」
利き腕の決定に決定的なインパクトを与えると考えられるのは、ヒトだけが持っている言葉を操る言語能力。その中枢(言葉を発するブローカ野、他人の言葉を理解するウェルニッケ野)は、左脳側にある。右利きの言語野の97〜98%は左脳にあり、左利きでも70%ほどは左脳にあるのだ。
脳と腕をつなぐ神経回路は途中で交差しており、右脳は左手、左脳は右手と強くコネクトしている。言語を使うようになると、左脳にある言語野が強化されるため、それにつれて反対側の右腕をおもに使う右利きが定着すると考えられる。
右利きと左利きでは、脳の多様性にも違いがあると池田先生は指摘する。
「左利きの3割は言語野が右脳にあることからもわかるように、左利きの方が脳の多様性は高い。社会が右利きに便利に作られているため、左利きでも右手を使うことも関係するでしょう。多様性が高いと、特殊な“脳力”を発揮する天才も出やすいのでは」
利き腕の固定化に脳が深く関わるなら、ヒトのような巨大な脳を持たない動物には、カラダの左右どちらかを優位に使う偏りはないのだろうか。
ペットにも利き腕、利き足があるという報告もあるけれど、必ずしも統計的に有意とは言えない。
アフリカ大陸のタンガニーカ湖に棲むシクリッドという淡水魚の仲間の一種は、口が左右のどちらかに曲がっており、“利き口”があるという。
「この魚は、他の魚の鱗を食べる鱗食魚。狙いを定めた魚に後方から近づき、自分の得意な“利き口”で側面から嚙み付くことが知られています」
右側が“利き口”の個体が増えると、ターゲットの被食魚は、左側を警戒する。すると負けじと、左側が“利き口”の個体が増える。今度は被食魚が右側を警戒するから、また右側が“利き口”の数が増える…。
かくてアフリカの湖では、今日も“利き口”をめぐり、食うか食われるかのドラマが展開されているのだ。
取材・文/井上健二 取材協力/池田清彦(早稲田大学名誉教授、山梨大学名誉教授)
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