わざわざ歩きたくなる気持ちよさ。自然歩きの基礎知識
いつものルートももちろんいい。歩き慣れた道は最高だ。でも、ここ日本にはわざわざ歩きに行きたくなる場所がたくさんある。道は不安定、時間は長く、天候にも左右されるけど、踏破したときに得られるものは、その分大きい。何をするにも気持ちのよい季節。さぁ、自然の中へ。
取材・文/黒澤祐美、豊田耕志 撮影/伊達直人 イラストレーション/東海林巨樹 基礎知識の監修/安藤真由子(体育学博士、健康運動指導士、低酸素シニアトレーナー)
初出『Tarzan』No.843・2022年10月6日発売
自然歩きの基礎知識
自然の中を歩くことは確かな良さがある。たとえ登山のハードルが高くても、里山、公園など、日常の延長にある身近な自然の中を歩けば、それはもう立派なハイキングだ。
「平坦な道と起伏のある山道を歩くときの大きな違いは、フォーム。山道は心拍数が上がりやすくエネルギーも消耗しやすいため、いかに省エネで歩くかが肝となります。上りや下りでは平坦歩きと使う筋肉が違うため、ハイキングに必要な筋肉を鍛えておくことがおすすめです。
たとえば、下りで使う筋肉のトレーニングとしてはスクワット、長時間姿勢を維持するためにはプランクがよいでしょう。事前の準備で、ハイキングをラクに楽しめるカラダが作れます」とは、健康運動指導士の安藤真由子さん。
さてここからは、「持ち物」「着るもの」「歩き方」というキーワードをもとに、自然の中を気持ちよく歩くコツを紹介していこう。
持ち物
歩けばすぐにコンビニが見つかる街中と違い、自然の中にはお店がない。つまり水も食べ物も、自分で持ち歩く必要がある。とくに水はどのぐらいの量を持つべきか悩ましいところだが、それを算出できるのが下の式。
水と補給カロリーの目安量の求め方
体重(kg)×行動時間(h)×5(mL, kcal)
体重60kg消費エネルギーも同様に900kcalとなり、行動中に摂りたいのはこのうち8割以上。
持ち運び用のボトルは、普段持ち歩いているタンブラーや水筒でOK。タフで軽いものといえば、ソフトフラスクやプラスチック製のウォーターボトルもある。
一方の食料は難しいことを考えず、「食べたいものを持っていこう」という提案に尽きる。おにぎりやバナナ、羊羹、溶けないチョコレートといった定番の補給食はもちろん、ちょっと贅沢なおやつを自然の中で食べるのもまたいい。
もう一つ必ず持ち歩いてほしいのが、レインウェアだ。突然の雨による冷えを防ぐほか、夏場でも涼しい標高が高い場所では防寒着にもなる。ザックはこれらが入る20ℓ前後のものを用意しよう。必ず持ち歩くものは押さえつつ、余計な荷物を減らすことで身軽にハイクを楽しめる。
① 水
ボトルの中身は脱水を防ぐために電解質を補えるスポーツドリンクもよいが、糖分が多く余計に喉が渇く可能性があるため、半分は水、半分はスポーツドリンクと分けるのもテク。
② 薄手の雨具
100%快晴の場合は薄手の雨具、雨に降られそうな日はGORE-TEXのレインウェアと、状況に応じて替えてもよし。ただし思わぬ天候悪化があることを考慮して必ず持ち歩くこと。
③ おやつ
ハイキングは距離や時間が短くても、エネルギー消費が大きいぶん想像以上にお腹が減る。すぐに補給できるよう、個包装になったおやつをあらゆるポケットに忍ばせておこう。
④ ザック
自分の体型に合ったものを選ぶことが大事。これから揃えるならウェストハーネス(腰ベルト)付きをおすすめしたい。肩にかかる圧が分散し、ラクに歩ける。
着るもの
山歩きの服装は、素早く汗を吸収して発散させる「吸水速乾性」のあるものを選ぶのがマスト。綿のように吸湿性の高い生地は衣服内に湿気がこもり、汗がカラダを冷やしてしまうためだ。カラダが冷えた状態で強い風に晒されると、夏でも急速に体温が失われる危険がある。とくに肌に直接触れるウェアは事前に素材をチェックしよう。
続いてシューズ。ソールが薄いもの・分厚いもの、ハイカット・ローカット、防水であるもの・そうでないものと選択肢はたくさんあるが、公園や里山のように日常の延長で気軽に入れるトレイルであれば普段履いているスニーカーでも問題はない。
ただし登山道と呼ばれる起伏の大きい道や、舗装されていない道を歩くときは路面が滑りやすい。靴底に突起がついていて、土の上を歩いても滑りにくいものを選ぼう。これから頻繁に里山や低山歩きを楽しみたいときの選択肢としては、比較的軽く、グリップのあるトレイルランニング用のシューズもおすすめ。
歩き方
自然の中で歩くこと、それはちょっとした冒険だ。普段とは違う景色、風、匂いに五感がよろこび、気付けば無心で数時間歩き続けていることがしばしばある。ひと呼吸ついて昂った気持ちが落ち着いたときにどっと疲れが出ないよう、道中は省エネな歩きを意識したい。
ハイキングでは、上りも下りも「フラットフッティング」で歩くのが基本。踵で着地して爪先に抜けながら推進力を得る動きではなく、足裏全体で静かに着地する歩き方だ。こうすることで重心が安定し、長く歩いても疲れにくくなる。
ソールはグリップ重視
ロードとトレイルの大きな違いは、滑りやすさ。とくに雨上がりなど地面のコンディションが悪い日は転倒につながる危険がある。できるだけ滑りにくいシューズを選ぼう。
着地はフラットに
爪先から着地して踵で蹴り上げるように上ると、ふくらはぎに負荷が集中する。足裏全体で着地し、腿裏とお尻の筋肉を使ってゆっくり荷重するイメージで歩いてみよう。
上半身のポイントは、腕の振りを最小限に抑えること。腕を大きく振ると、連動して股関節が動き、歩幅が大きくなる。できるだけ歩幅は小さく、重心のブレを少なくするために上半身は力を抜いて腕は自然に下ろしておこう。
ザックを背負ったまま足元に集中しすぎると、胸がだんだん閉じて呼吸がしにくくなることもある。適度に休息を挟み、胸郭を大きく開くストレッチも忘れずに。
① 腕の振りは最小限に:ランニングをするときのように腕を大きく振ると、歩幅が大きくなりエネルギーを消耗しやすくなる。上半身は肩の力を抜き、リラックスした状態で歩くこと。
② 目線は前へ:荷物の入ったザックを背負いながら歩くと、徐々に肩が内側に入り、背中も丸くなる。せっかく自然の中にいるのだから、足元に集中しすぎず目線は前へ、背すじは伸ばして。
③ 歩幅は小さく:傾斜が大きいときは、靴1足分ほどの歩幅を目安に。小さく細かく歩くことで重心が安定し、疲労が蓄積しにくくなる。雪道の歩き方にも近く、転倒防止にもつながる。
いざ歩きに。初心者に優しい極上コース
一歩目をどこで踏み出すか迷う? いい場所をお教えしよう。
美ヶ原パノラマコース
所要時間:4時間+休憩
ルート:美ヶ原高原美術館駐車場 → 塩くれ場 → アルプス展望コース → 王ヶ鼻 → 王ヶ頭ホテル → 塩くれ場 → 美ヶ原高原美術館駐車場
標高2000mの散策路なので、風避けのシェルやグリップの利くシューズは必須。美ヶ原高原美術館駐車場までは、松本駅から車で1時間ほど。
ここは天国? 空が近く、雄大なランドスケープと澄み切った空気を味わえるこの天空の散策路は、標高2000m級の稜線をウォークできる美ヶ原パノラマコース。写真のようなダイナミックな風景が連続する散策路だから、当然アップダウンの激しい山歩き? と思いきや全く別物。
スタート地点となる〈美ヶ原高原美術館〉駐車場からゴール地点の王ヶ鼻まで緩やかな自然路を進む、初心者にひたすら優しい極上コースなのだ。
でも、その素晴らしき風景を満喫するには、長閑に草を食む牛たちに別れを告げ、塩くれ場の分岐をアルプス展望コース方面に進むのがマスト。
砂利道や木道が消え、空との距離もグッと近づいた崖沿いのルートは、観光路とは異なる「僕は、今自然の中を歩いているんだ!」という気持ちで胸をいっぱいにできる。
途中、ワイルドに突き出た板状節理の岩に腰掛け、ミニチュアのように小さくなった松本の街や麓の家々を眺めてみたり。普段は目につかない野に咲く花が気になって撮ってみたり。ゆったり寄り道しながら歩いて、ゴールの王ヶ鼻まで片道2時間弱。まさに百聞は一見に如かず。
自然歩きのウォーミングアップには、この上なくベストな選択だ。